狂気の足音
前半りこ視点。後半あやね視点に変わります。
今日は大手出版社からの取材がある日だ。しかしすぐに完成できるだろうと思っていた作品が、予想以上に時間がかかって少し遅れてしまった。私は慌ててロバートと記者の人達がいる応接室に飛び込んだ。 その時、信じられない人物が私の目の前にいた。
「久しぶり……りこ」
「……あ、やねちゃん……」
それは私の最愛の人、あやねちゃんだった。
あやねちゃんを目の前にして、私は嵐のような感情が心の中で荒れ狂った。
会いたかった。会いたくなかった。嬉しい。苦しい。やめて、私の事嫌いになったんでしょ? 水嶋さんと付き合っているんでしょ? 私に止めを刺さないで! もしあやねちゃんが私に対して、嫌悪感を示したら、今度こそ私は立ち直れなくなってしまう。
自分でも知らないうちにひどい顔色になっていたのだろう。ロバートが労わるように私に声をかけ、そっと肩を抱いてくれた。
ロバートの微笑みを見て、緊張の糸がするりと解けた気がした。
そうだ……。今は嫌な事を考えるのはやめよう。ずっと会いたかったあやねちゃんに会えた。その事を純粋に喜ぼう。
「あやねちゃん久しぶり……元気だった?」
そう言って、あやねちゃんに手を差しだす。
五年ぶりに会うあやねちゃん。高校生の時よりずっと綺麗になった彼女を見て、私は自然に笑顔になる事ができた――――
取材が終わり、あやねちゃん達が帰った後、私はロバートに改めてあやねちゃんの事を話した。彼女が私の大好きな人だと。
いきなり会って動揺してしまったが、やっぱりあやねちゃんを好きな気持ちは変わらない事をつげると
ロバートはにっこり笑って私を抱きしめた。
「これは神様がくれたチャンスだよ。不安な事もあるだろうが、君の素直な気持ちをあやねさんに伝えるといい。何があっても私は君の味方だ」
ロバートのその言葉に、私は心の底にあった不安が溶けたような気がした。
そうだ……結果はどうなっても、あやねちゃんにもう一度私の気持ちを伝えよう。こうして会えた事だけでも奇跡なのだから。
そう強く思い、私もロバートを抱きしめ返した時、部屋の扉が動いた。
慌ててロバートと体を離し、扉の方に目を向けた。そこには可哀想になるくらい顔を青ざめた、あやねちゃんが立っていた。
「あの、すみません……ち、ちょっと忘れ物をしてしまって……でももういいんです。すみません、お邪魔しました!」
あやねちゃんはそう言うと、走ってその場から逃げ出した。私は突然の出来事にぼう然としていると、ロバートが私に叱責した。
「何をしているんだりこ! 追いかけなさい!」
「っ――――! ありがとうロバート行ってくる!」
ロバートの言葉に我に返った私は、あやねちゃんを追うために部屋を飛び出した。
再び私の前に姿を現してくれたという事は少しは期待してもいいのだろうか?
そんな淡い期待を胸に抱きながら、廊下を駆け抜けて行った。
その後私達は取っ組み合いのケンカをしながら、お互いの気持ちを確かめ合った。あやねちゃんもずっと私の事が好きだと言ってくれて、本当に嬉しかった。今度はあやねちゃんの方から告白してくれて、私達は再び恋人同士になった。
「今日の晩御飯何にしようかなぁ~あやねちゃんの好きなものは……」
ロバートにコーヒーを貰った後、私は職場をあとにして、あやねちゃんのマンションの近くのスーパーで買い物をしていた。あやねちゃんは最近仕事が忙しくて外食ばかりしていると言っていた。外食ばかりでは体に悪いので、今日は私があやねちゃんにご飯を作ると言ってある。
私はカートに食材を乗せながら店内を歩いていると、意外な人物と会った。
「お、りこちゃんじゃないか。久しぶりだね。元気だった?」
「あ、あやねちゃんのお兄さん!?」
そこには久しぶりに会うあやねちゃんのお兄さんがいた。あやねちゃんから聞いた話では、お兄さんは既に結婚していてあやねちゃんの実家で二世帯で暮らしているらしい。私はその事を思い出し、お兄さんに祝いの言葉を述べた。
「お久しぶりです。元気にしていますよ。お兄さんご結婚おめでとうございます」
私がお辞儀をしながらそう言うと、お兄さんは照れくさそうに笑った。
「あやねから聞いたの? ありがとうございます。りこちゃんこそあやねとはどうなの? 付き合っているんでしょ?」
「えっ!? いや、あの……!」
お兄さんの爆弾発言に私がしどろもどろしていると、お兄さんは可笑しそうに笑った。
「あやねから全部聞いているよ。俺も高校時代の君達を心配していたからね。……世間では何て言われようが、俺は君たちが幸せなら祝福するよ。本当によかったね」
「お兄さん……」
思いがけないお兄さんの言葉に、涙ぐみそうになる。私達の関係は世間では奇異の目で見られるだろう。その中で私達を祝福してくれると言うお兄さんの気持ちが本当に嬉しかった。
その後、私とお兄さんは一緒に話しながら買い物をした後、店をあとにした。お兄さんにあやねちゃんの好物を聞いて、私は意気揚々とあやねちゃんのマンションに向かった。
「よし、出来た。あやねちゃんそろそろ帰ってくる頃かな……」
私はあやねちゃんのマンションで、あやねちゃんが大好きな野菜とお肉がたっぷり入ったシチューを作り上げた。部屋中においしそうな匂いが漂っている。
その時、玄関の扉が開く音がした。私は慌てて玄関の方に向かうと、そこには少し疲れた様子のあやねちゃんの姿があった。
「あやねちゃん、おかえりなさい。お仕事お疲れ様」
私が微笑んでそう言うと、あやねちゃんは私を抱きしめながら、私の胸に顔を埋めてため息を吐いた。
「ただいま~りこぉ。疲れた~お腹すいた~いい匂いがする~」
私はあやねちゃんの背中をよしよしと撫でながら、苦笑した。
「今日はあやねちゃんの好きなシチューだよ。すぐに用意するからいっしょに食べよ?」
「やった~もうペコペコだよ! りこの作ったものは何でも美味しいからすごく楽しみ。あ、私も器に盛るの手伝う」
「ありがとうあやねちゃん。じゃあいっしょにキッチンに行こうか?」
こんな何気ない会話が本当に嬉しい。私は幸せを噛みしめながら、あやねちゃんとキッチンへ向かった。
「ごちそうさまでした~シチューすっごく美味しかった! 疲れがふっとんだよ」
「お粗末さまでした。全部綺麗に食べてくれてありがとう」
食後、晩御飯を全部綺麗に平らげたあやねちゃんは満足そうに笑った。そんな風に笑ってくれるのなら私も作り甲斐があるというものだ。
二人でしばらく紅茶を飲みながら談笑している時、私のケータイのアラームが鳴った。私が慌てて時計を見ると、時刻は夜の十時を過ぎようとしていた。
「え、もうこんな時間!? ごめん私また工房に戻らなきゃ」
「今から!? もうこんな時間なのに? 私もう少しりこと一緒にいたいよ……」
あやねちゃんは寂しそうにそう言って、俯いてしまった。そんなあやねちゃんも可愛いなと思いつつ、私は両手を合わせて頭を下げた。
「……私もあやねちゃんともっと一緒にいたいよ……。でも本当にあと少しで依頼されてた結婚指輪が出来上がるの。早く依頼人に渡したいから……ごめんね?」
「それじゃあ仕方ないね……じゃあ私駅まで送るよ。もう少し一緒にいたいから。仕事が落ちついたら一杯いちゃいちゃしようね」
「ふふふ、じゃあ頑張って仕事終わらせてくるね」
そんな事を言いあいながら、私達は出掛ける準備をし、人通りの多い駅までの道を歩いて行った。
「やった……出来た」
次の日の早朝、やっと依頼された結婚指輪が完成した。それぞれのパワーストーンの個性を引き立たせたこの作品は、私が今まで作った物の中で最高傑作だった。
「喜んで下さるといいな……早速綺麗に梱包しなくちゃ――――」
そう言ってイスから立ち上がった時、軽いめまいを感じた。そういえば、あやねちゃんの家を出て工房に戻ってからずっと作業を続けていたので、ほぼ徹夜だ。
「……梱包が済んだらロバートの机に置いて、ロバートにメール送っとこう……。ロバートは自分が直接依頼人に手渡しするって言っていたし」
私は眠い目をこすりあげ、指輪を綺麗に梱包し、それをロバートの机に置いた。ロバートに完成した旨のメールを送り、私は自宅に戻ろうと工房をあとにした。
早朝で人通りが少ない道を歩いていると、ケータイのメール着信音が鳴った。ケータイを開くとあやねちゃんからだった。
『朝早くごめん。仕事もう終わった? りこは無理をしがちだから気をつけてね。もし仕事が終わったら今日また会えないかな?』
そのメールを見て、私は今すぐあやねちゃんに会いたくなったが、さすがに休まないと体がきつい。
すぐにメールの返事を打った。
『ちょうど仕事終わったところだよ。早く会いたいけど徹夜だったから今からちょっと休むね。夜なら大丈夫だからまた連絡します』
そうメールを打ち終えた時、後ろから車がゆっくりと近づいてきているのに気付いた。
私がちょうど車の位置に隠れたその時、いきなり車の後部座席の扉が開き、中には覆面をした男がいた。
「ひっ――――!?」
私は悲鳴を上げようとしたが、次の瞬間覆面の男に車に引きずりこまれた。
あやねちゃん! あやねちゃん助けて!
私が抵抗すると、男は布を私の口に押しつけた。
その布の匂いを吸った直後、私は意識を手放してしまった――――
夕方、私とロバートさんは喫茶店で待ち合わせをしていた。私はテーブルでロバートさんを待っていると、少し遅れてロバートさんがやってきた。
「あやねさん、すまない遅れてしまった!」
急いで来たのだろう。少し息を切らせて謝る彼に私は笑顔を見せた。
「私も今来たところなんですよ。だから大丈夫です」
「そう言ってくれると助かるよ。早速本題に入るが――――」
ロバートさんがテーブルにつき、話を始めようとした時、私のケータイの電話着信音が鳴った。
「す、すみませんロバートさん。電源切るのを忘れてました。」
「いや、いいよ。僕にかまわず電話にでてくれ」
ロバートさんは笑って私に電話にでるように促した。私は申し訳なく思いながらケータイを見ると、りこからだった。
あれ、りこ夜に連絡するって言ってたのに……もう起きたのかな?
私は怪訝に思いながら電話にでた。
「もしもしりこ? どうしたの?」
「……………」
「りこ……?」
何も言わないりこに違和感を感じた。もしかしたら体調が悪いのだろうか。私が声をかけようとした次の瞬間
「あっはははははははははははははははははははははははははははははははははは!!!!!!」
「っ!?」
聞いた事のある笑い声。忘れもしない、聞いた人が恐怖を覚える声。
まさか。なんで今さら。どうして。
混乱する頭で、なんとか声をひねり出し、彼女の名前を呼んだ。
「カ、ナ ……デ ……?」




