思いだす日々
りこ視点です。
「りこと別れてから八年が経つけど、その間もりこを忘れた日なんて一度もなかった。ずっとずっとりこの事が大好きだった。お願いします。もう一度私と恋人になってくれませんか……?」
夢かと思った。ずっと想っていたあなたともう一度恋人になれるなんて。
あやねちゃんと再び付き合い始めて半年がたった。私は工房の技工室である物を作っていると、ロバートがコーヒーを二つ持って部屋に入ってきた。
「やぁりこ作業の進み具合はどうだい? よければ休憩にしないか?」
「あ、ロバート。一区切りついたから大丈夫だよ」
私はそう言ってロバートからコーヒーを受け取り、一口飲んだ。ずっと気を張り詰めていたのでコーヒーの温かさが体に沁み渡る。
ロバートもコーヒーを飲みながら、私が今作っているアクセサリーに目を向けた。
「もうすぐ完成だな。きっと依頼主も喜ぶよ」
「そうだといいな……。わざわざ私を指名してくれたんだもん。私の全部を使ってこれを完成させるつもり」
そう言って私はそれをそっと指で撫でた。
私が今作っているアクセサリー。それはムーンストーン、アクアマリン、アメジストの三種の天然石を使った結婚指輪だ。
これはロバートの友人からの依頼で、その人はもうすぐプロポーズをするらしい。そこでここの工房に依頼に来た時、私の作ったアクセサリーを一目で気に入ってくれたそうだ。
私は結婚という人生の大きなイベントに、私を指名してくれた事が本当に嬉しくて、この指輪をつける二人の幸せを祈りながら作っている。
「そう言えばりこはあやねさんとの仲はどうなんだ。順調か?」
ロバートのその言葉に私は少し頬が赤くなるのを感じた。それを見られるのが少し恥ずかしくて、私は頬を隠すように両手で覆った。
「おかげ様で順調です。最近あやねちゃんも仕事が忙しいから、今日はあやねちゃんのマンションに行ってご飯作ろうかなって思ってるの」
そんな私を見てロバートは安心したように微笑んだ。
「はは、仲が良いようで何よりだよ。りこは昔からずっとあやねさんの事が好きだったからね。君が幸せなら僕も嬉しい」
「ロバート……ありがとう、昔から私の事心配してくれて。今回あやねちゃんと仲直りできたのもロバートのおかげだよ」
そう言って微笑んだ後、私はゆっくりとコーヒーを飲みながら、昔の事を思い出した。
ロバートと出会ったのは私がアメリカの高校を卒業して、大学一年生の時だった。当時の私はあやねちゃんとの思い出に触れるように、様々なアクセサリーを作り続けていた。
しかしそのうちにアクセサリーを収納する場所が満杯になった。そこで私は自分が作ったアクセサリーをネットで販売してみることにした。
すると嬉しい事に私のアクセサリーを買ってくれる人が、結構いた。購入してくれた人が、私のアクセサリーを身につけてくれる。そう考えると私は嬉しくなって、更にアクセサリーを作り続けた。
ある日、一通のメールが来た。そのメールの主は有名なデザイナーとして密かに憧れていたロバートからだった。内容は私の作ったアクセサリーを見て、よかったら自分のもとでアクセサリーの勉強をしてみないかという事だった。
彼ほどの人が自分に声をかけてくれるなんて……! と私は恐縮してしまったが、私にとってアクセサリーを作ると言う事は、もはや人生の一部だった。今以上にいいものが作れるならと、彼の経営する工房にアルバイトとして仕事を始めた。
初めてロバートと会った時は、メールの文面どうり優しそうな印象だった。しかし仕事にはこだわりを持っていて厳しかった。けれど最初の頃、なかなか周りのスタッフとコミュニケーションのとれなかった私にアドバイスしてくれたり、励ましてくれた。そのおかげで半年もたった頃には私は自分の言いたい事が言えるようになっていた。仕事がとても楽しかった。
けれど時々アクセサリーを作っている時、あやねちゃんは今どうしているんだろうと考え、水嶋さんとあやねちゃんが仲良くしている姿を想像し、落ち込む事もあった。
アクセサリーを作るのをやめてしまおうか。そう考える事が増えていった。
「よぉ、りこ。今日こそ俺と付き合ってもらうぜ?」
ある日仕事を終えて帰ろうと通路を歩いていた時、同じ仕事仲間のブライアンに声をかけられた。ブライアンの事を他の女性はワイルドで素敵だと騒いでいるが、この人はいつもしつこく私を誘ってきて苦手だった。
「……ごめんなさいブライアン。今日私用事があるから」
そう言ってブライアンの脇を通り過ぎようとした時、思い切り強く腕を引っ張られた。
「いた……っ! 離してよブライアン! 何するの!?」
「お前いつも俺の誘い断りやがってよぉ……。俺を試してんのか? 俺がお前に付き合ってやるって言ってんだからさっさと来い!」
「ちょ……! やだ、離してってば!」
ブライアンは私の腕を掴んだまま、そのまま空き部屋に連れ込もうとした。
冗談ではない。こんな男と二人きりになってしまっては何をされるかわかったものではない。
以前の私だったら、こんな事されたら恐怖で動けなくなってしまっただろう。しかしあの水嶋さんと比べたらこんな男でもまだマシなほうだ。
力では敵わないので大きく叫ぼうとした時、ブライアンの指があやねちゃんから貰ったブレスレットに触れた。
「っ――――! 汚い手で触らないで!」
私は思わず片方の手で、ブライアンの頬を引っぱたいた。ブライアンは一瞬呆けたが、すぐに我に帰り、怒りの表情で私を睨みつけた。
「てめぇ……人が優しくしてりゃ調子に乗りやがって!」
そう言ってブライアンは拳を握りしめ、私の頭上に振りおろそうとしたその時、
「おい、何をやっているんだ。りこを離せ」
「げっ! しゃ、社長……!」
ロバートが空き部屋から姿を現した。ブライアンは慌てて私の腕を離す。私はすぐにブライアンから離れてロバートの後ろに隠れた。ブライアンは挙動不審になりながら尋ねた。
「社長なんで空き部屋から……」
「最近空き部屋でよからぬ事をする奴がいると聞いてね。少し張っていたんだよ。どうやら噂は本当のようだ。残念だよブライアン。後でしかるべき罰を君に与えよう」
「くっ……!」
ロバートの言葉にブライアンは顔を青ざめながら、そのまま私達の前から走り去ってしまった。
ブライアンの姿が見えなくなって、私は緊張の糸が切れたように大きく息を吐きだした。
「社長……ありがとうございます。おかげで助かりました……」
私の力のない声に心配したのだろう。ロバートは労わるように私の背中をさすった。
「ブライアンが君を狙っている事は見ていてわかったからね。本当に無事でよかったよ。……今にも倒れそうな顔色だ。休憩して帰りなさい。お茶をだすから……」
ロバートの誘いに私は頷いた。こんな事があった後だ。これが他の男だったら、私は断っていただろう。しかしロバートはそういう下心というものが一切感じられなかった。私が安心できる数少ない男性だった。
私は休憩室でイスに座りながら、ロバートがいれてくれた熱い紅茶を飲んだ。紅茶の香りが気分を大分落ちつかせてくれて、私は改めてロバートにお礼を言った。
「紅茶ありがとうございます。……大分落ちつきました」
「それはよかった。……りこはいつも男性社員からの誘いを断っているね。彼氏でもいるのかな?……それとも、女性が好きなのかい?」
ロバートの思いがけない質問に、私は思わず息を飲んで、ロバートの顔を見上げた。からかっているのかとも思ったが、ロバートの目は真剣だった。私は一瞬ごまかそうとも思ったが、やめた。彼に嘘はつきたくなかった。
「……私は女性が好きだと思った事はありません。けれど高校時代付き合っていた女の子はいました。その子とは別れてしまいましたが、今もその子の事が頭から離れません。――――本当に愛していたから」
そう言いながらあやねちゃんのブレスレットに触れた瞬間、目から涙がこぼれ落ちた。私が慌てて涙をぬぐおうとすると、ロバートがハンカチを差し出し、私の目元をぬぐってくれた。そしてすまなそうな顔をして、私に詫びた。
「すまない、君を悲しませるつもりはなかったんだ。……ただ君はアクセサリーを作っている時、たまに辛そうな顔をする時があったからね。苦しい恋をしているんじゃないかと思ったんだ。……僕のようにね」
「社長……」
「ロバートと呼んでくれ。私は実はゲイなんだ。今は特に隠してもいないが、昔はその事についてよく悩んだよ。色々苦労もしたし、辛い事もあった。でもそのすべてが今の私の作品づくりに生かされている」
ロバートはそう言って、私の両肩を掴み、私の瞳を見ながら言った。
「りこ、僕はね。君にはアクセサリー作りの才能があると信じているんだ。君は辛い恋をしたかも知れない。けれどその全ては君の力になるんだ。僕はいずれ君を私の右腕として、働かせたいと思っている。だからりこ、どうかここで諦めないでくれ。僕を頼ってくれ」
「ロバート……! うぅぅ!」
ロバートがこんなにも私の事を買ってくれているなんて思いもよらなかった。私はロバートから貰ったハンカチを目元に強く当てながら、久しぶりに子供みたいに泣きじゃくった。
ロバートはそんな私を、落ちつくまで傍で見守ってくれていた。
それ以来、私とロバートはお互いを同志のように感じていた。そこには恋愛感情は一切なく、ただお互いを尊重していた。
そうして月日は流れ、私は大学を卒業して、そのままロバートの会社の社員となった。
社員となって二年目のある日、会議で日本にも工房を作ろうという話が起きた。日本という単語を聞いて、私は自分の感情がさざなみのように揺れるのを感じたが、いい加減前に進んでもいい歳だ。私はその件に賛成した。
そして日本に拠点を移して一年が経ったある日、そこであやねちゃんと再会した。




