もう一度あなたと
私は外したネックレスを手に握りしめ、放り投げようと腕を高く振り上げた。もうこのネックレスは私には必要ない。持っていても未練になるだけだ。そう思いながらも私の腕はそれ以上動けなかった。
「……どうして捨てられないの……」
そう呟き、力なく腕を下ろした。涙を流しながら、うつろな目でネックレスを見つめる。
本当は理由は分かっているのだ。あんな姿を見せつけられても、私はりこを愛している事を。彼女が作ってくれたこのネックレスを、私が捨てられる訳ないのだ。
自分の諦めの悪さに大きくため息を吐こうとしたその時
「あやねちゃん!!」
りこの声が階段中に響いた。
後ろを振り返ると、そこには全力で階段を駆け下りてきたのか、大きく肩を上下させながら息を切らせているりこの姿があった。
私はここにりこがいるのが信じられなくて、ぼう然としていると、りこが私の手に目線をやった。
「はぁ、はぁ……それって……私があげたネックレスだよね。まだ持ってたんだ……」
その言葉を聞いて、私は無性に腹が立った。持っていたから何だと言うのだ。りこにとってこのネックレスは捨ててしまってもしょうがないものだったのか。
私は立ちあがりながら、りこを睨みつけると、思わず怒鳴り声を上げてしまった。
「持ってて悪い!? 私の勝手でしょそんな事! りこが作ってくれたものを私が捨てられる訳ないじゃん!」
怒鳴り声なんて久しぶりに出した。りこは初めて聞く私の声に、目を見開いて驚いている。私は関を切ったように声を出し続けた。
「もう何なのよ! なんで私を追いかけてくるの! わざわざロバートさんと恋人な事を話に来たの!? やめてよそんな事聞きたくない!」
「――――っ! 違うよ!」
「何が違うの!? ロバートさんと抱き合っていたくせに!」
「あやねちゃん待って落ちついて! ……ここじゃ目立つからこっち来て!」
りこは周りを見渡して、階段の踊り場から一番近い部屋に私を押しこんだ。
部屋の中は机やホワイトボードがあって、ちょっとした会議室のようだった。りこは後ろ手で部屋のカギを閉めると、私の両肩を掴んで落ちつかせるように言った。
「あやねちゃん、私はロバートと恋人同士じゃない。ただの仕事仲間だよ」
「はぁ!? ただの仕事仲間が抱き合ったりするのが普通なの? それに彼が作ったものを身につけているじゃない! 私があげたものよりロバートさんのほうがいいんだね!」
「あやねちゃんお願い私の話を聞いて!」
「わざわざ私にとどめを刺しに来たの!? それとも私を笑いに来たの!? もう放っておいてよ!」
落ちつかなくてはと心の中ではわかっている。詳しい話をりこから聞くべきだ。しかしりこを前にして気の高ぶりを押さえる事なんてできなかった。
しかし次の瞬間りこは私を睨みつけ、私の両頬に手を添えて、思いっきり横に引っ張った。
「っ!? いひゃいいひゃい!」
りこの思いもよらない行動に、私は情けない悲鳴を上げてしまった。りこはすぐに手を離してくれたが、その代わり怒った声で叫んだ。
「私の話を聞いてって言ってるでしょ! ばか!」
「ば、ばか……!?」
私は自分の両頬をさすりながら、初めて体験するりこの行動と暴言に唖然としてしまった。高校生の頃のりこはおっとりしていて、こんな事をされた事なんて一度もなかった。
黙り込んでしまった私を睨みつけながら、りこは自分の上着のポケットから巾着袋を取り出し、それの中身を私に突きつけた。
「それは……私がりこに贈ったブレスレット……」
そこには淡い光が特徴的なムーンストーンのブレスレットがあった。捨てたはずではなかったのか。私の混乱する表情が気に食わなかったのか、更にりこは怒った。
「なんでそんな顔をするの!? 私があやねちゃんからもらった物を捨てるわけないでしょ! アクセサリー作るのにこれが傷ついたら嫌だから、仕事中は外してるだけだよ! ロバートがくれたものは別に傷ついても問題ないし!」
「じゃ、じゃあなんでロバートさんと抱き合ってたの!?」
りこの迫力に気押されていた私だが、こればかりは譲れないと反論する。抱き合っている二人を見た時心臓が止まるかと思ったのだ。しかしりこは平然とした表情で言った。
「親しい友人とハグをするのはアメリカでは普通の事だよ。いきなりあやねちゃんが現れたから私が動揺して、それを励まそうとしてくれていただけ。それにロバートはゲイだしね!」
「ゲ、ゲイ!?」
「業界では有名な話だよ。だから私と恋人になるなんて死んでもありえません!……あやねちゃんこそ水嶋さんとはどうなったの。今でも恋人同士なの?」
りこの爆弾発言に目を点にしながら聞いていると、思わぬ人物の名前が飛び出した。もしかしてりこは私とカナデが付き合っていると思っているのだろうか? そう考えると私の中に消えかけた怒りが再び顔を出した。
「カナデと付き合ってるわけないよ! あの後カナデがした事が発覚して、それ以来カナデとは話していない! どうして私に相談してくれなかったの! なんで急にいなくなったりしたの! 私がどれだけ後悔したかわかってるの!?」
あの時の苦い気持ちは今でも私の中にくすぶっている。けれどりこの置かれた状況に気付かなかった私が全面的に悪いのだ。だからりこを責めるのはお門違いなのだが、これは間違いなく私の本音だった。
りこは一瞬瞳を揺らしたが、すぐに表情を引き締め反論した。
「水嶋さんとあやねちゃんは親友同士だったし、私が水嶋さんの事を悪く言って、あやねちゃんに嫌われるんじゃないかって思ったら怖くて言えなかったの! 相談できなかった私が悪いのは認めるけど、あやねちゃんも少しぐらい察してくれてもよかったのに!」
「エスパーか私は! 言ってくれなきゃわかんないよ! りこのばか!」
「あやねちゃんのばか!」
そう言うとお互い相手の頬をひっぱったり、掴みかかったりして私達は思いっきりケンカした。イスが倒れたり机が動いたりして、こんなに激しいケンカは久しぶりだった。
どれくらい時間がたったのか、私達はぜいぜいと息を切らせながらお互いを睨んでいた。髪はぼさぼさで服は乱れ、まわりに人がいたら驚くような格好だろう。
けれどそんな自分達の様子を自覚して、私はなんだか可笑しくなってしまい思わず噴き出してしまった。するとりこも私につられて笑いだし、二人とも声を出して大笑いした。
「あはは! 二十五歳にもなって何やってるんだろうね私達……」
「ふふっ本当にそうだね。私もあやねちゃんとこんなふうにケンカできるなんて思ってもいなかったよ」
「……あの時、こんなふうにケンカしていればよかったね。そうすればきっと、お互い誤解しないですんだかもしれないね」
「……そうだね。私はアメリカに行ってから、こういうふうに言いたい事は言えるようになったけど、あの時は自分でどうにかする事だけを考えていたから……もっと早くこうしていればよかった」
私の脳裏に高校時代の思い出が蘇る。二人でデートしたりキスしたり、本当に楽しかった。もしもあの時お互い遠慮しないで言いたい事が言えていたなら、私達は離ればなれにならずにすんだかも知れない。
けれど過去は変えられない。変える事が出来るのは未来だけだ。だから――――。
「りこ、あの時は本当にごめん。辛い思いをさせて、一人で苦しめて……。それなのにこんな事言うのはずるいけど……」
ずっとりこに謝りたかった。そして何より伝えたい事があった。私は大きく深呼吸をして、真剣な表情でりこの瞳を見つめながら――――言った。
「りこと別れてから八年が経つけど、その間もりこを忘れた日なんて一度もなかった。ずっとずっとりこの事が大好きだった。お願いします。もう一度私と恋人になってくれませんか……?」
心臓がドキドキしすぎて胸が苦しい。好きな人に告白するってこんなに勇気がいるんだ。よくりこはあの時私に告白できたなと尊敬していると、りこの瞳から大粒の涙がこぼれ落ちた。私はギョッと驚いて慌ててハンカチを取り出し、りこの涙をぬぐった。
「り、りこ!? どうしたのごめん嫌だった!?」
「ち、ちが……っひ……! だって、嬉しくて……! 私もずっとあやねちゃんの事が大好きで、もう一度あやねちゃんと恋人になりたかったから……! 夢じゃないよねこれ……!」
私は次の瞬間思い切り、りこを抱きしめた。りこも私の背中に手を回し、離さないとばかりに強く私に抱きついた。
愛しさが溢れて止まらなかった。どれほどこの時を待ちわびた事か。どれほどりこを抱きしめたかったか。
お互いを抱きしめ合った後、私達は見つめ合い、そしてキスをした。
高校生の時一回だけした事のあるキス。もう一度出来るとは思わなくて、私はあふれる涙を止められなかった。
体を離すとりこは頬も瞳も真っ赤になっていた。私が泣きながら笑うと、りこも一緒に泣きながら笑った。
「ははは……なんだか私達キスをするたびに泣いてるね……りこ大丈夫?」
「へへ……目が溶けそうだけど、大丈夫。ねぇ……もう一回してくれる?」
りこは照れながらそう言うと、再び私に抱きついてきた。私は嬉しくて嬉しくて何度もりこにキスをした。
もう二度とりこを離さない。りこを悲しませない。必ずこの人を守ってみせる。
りこにキスをしながら、そう神様に誓いを立てた。
この日、私にもう一度、可愛い彼女ができました。




