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あなたと過ごした日々

 私は昇降口で思い切り泣いた後、目の腫れをひかせるために、家の近くの喫茶店で時間を潰していた。気を抜くと抱き合っていた二人を思い出し、再び泣きそうになる。しかしそろそろ帰らねば両親が心配するだろう。こみ上げてくる気持ちをなんとかなだめ、冷たいおしぼりを目に当て続けた。



 どうにか目の腫れも引き、家の扉を開けた。ただいまと挨拶しながら、リビングを覗く。そこにはいつも帰りの遅い父が、母とともにテーブル越しに座っていた。テーブルには美味しそうな夕食が並べてある。


「おかえりなさい……遅かったわね。ご飯できてるわよ」


「あ、ごめん……ごはん食べてきたから今日はいらない……部屋に戻るね」


 食欲なんてまるでなかった。食べてきたと嘘をつき、自分の部屋に行こうと二人に背を向けると



「いいから食べなさい」



 母に呼び止められた。声の無機質さに驚き、振り返るとなんだか母の様子がいつもと違う。父も眉を寄せながら私を見ている。


「わかった……いただきます」


 二人の迫力に負け、テーブルのイスに座る。目の前の美味しそうなハンバーグを、一口食べた。


「美味しい?」


「うん、美味しいよ。お母さんハンバーグ作るの得意だよね」


 素直な感想を言った途端、父と母の顔色が変わった。そんな二人の様子に戸惑っていると、母は私の隣に座り、そっと私の肩を抱いた。


「りこ……悩みがあるならいいなさい」


「えっ!? 何を言ってるのお母さん……何も悩みなんて……」



「この間、お母さんマフィン作ったでしょう? それをあなた美味しいって言って食べてたけど、あれ砂糖の分量間違えて、甘ったるくて食られたものじゃなかった……。今日はハンバーグに砂糖を入れたのにそれにも気付かない。あなた、味が分からなくなっているのね……」



「……っ!?」


 私は思わず口元を押さえる。全然わからなかった。ぼう然としている私に、心配そうに父が尋ねた。


「味が分からなくなるなんて、相当だぞ。何か悩んでいる事があるんだろう? それを俺たちに教えてくれ。……頼むから一人で抱え込まないでくれ」


「……お父さん……お母さん……う、うぅぅぅ~っ!」


 私は隣に座っていた母に、思わず泣きついた。二人の想いが心にしみわたる。

 私はクラスメイトにいじめられていた事、出会い系掲示板に私の情報が貼られていた事、すべて話した。



「……なんてことだ……そんな事があったなんて! 学校に抗議してやる!」

「やめて! そんな事したら私を守ってくれた人に、迷惑がかかるから!」


 私の話をすべて聞いた父は、激怒しながらイスから立ち上がった。それを私が慌てて止める。

 学校にこの事が知られると、先生達はクラスメイト全員の事情調査をするだろう。そうなったら水嶋さんと一番仲の良い、あやねちゃんにまでいじめに関わっていたと疑われるかもしれない。

 それだけは避けたかった。


 そんな私の様子を見て、父は憮然とした表情で再びイスに座った。


「……だったらお前も私達といっしょにアメリカに来るんだ。そんな学校にはもう通わせられないし、出会い系掲示板の事もある。お前一人日本に残すわけにはいかない」


「……わかった」


 このまま日本に残ったとしても、あやねちゃんの傍にはいられない。私は父の言葉に頷いた。






 あの日から、私は学校には行っていない。病院の先生からストレスによる味覚障害を直すには、安静にしているように言われたからだ。転校の手続きはすでに終えてある。担任の先生には電話で転校の事は皆に秘密にして欲しいと頼んだ。


 その間に着々と、私達家族は日本を離れる準備を進めていった――――




 

 


 明日、私達家族は日本を離れる。家の管理は近所に住む叔母夫婦がしてくれるそうだ。しかし家財道具等は使わないと劣化するので、ほとんど業者に委託した。私の部屋も大事な物は既に航空便でアメリカに送ったり、いらない物は既に処分済みだ。



 しかし最後にひとつだけ、やらねばならない事が残っている。


 

 私は床に座りながら、自分のケータイ、あやねちゃんからもらったブレスレット、あやねちゃんに贈るはずだったネックレスを並べて置いた。


 そしてケータイを手に取り、あやねちゃんに関する情報、デートの時に撮った写真のデータすべてを――――消去した。


 消去した瞬間、目の前が真っ暗になる感覚を味わった。深呼吸して気持ちを落ちつかせる。



 ……これでよかったんだよね……?



 あれから一週間が経とうとしている。その間にあやねちゃんから連絡はひとつも来なかった。来ないという事は、本当に私の事を嫌いになってしまったのだろう。

 その事を考えると胸が張り裂けそうになるが、このままだと私はずっとあやねちゃんを諦めきれない。 それどころか、あやねちゃんの迷惑を考えず、あやねちゃんに連絡をとろうとするだろう。

 そうする前に、私はあやねちゃんに関するすべてを捨てなければならなかった。


 私は次に、ブレスレットとネックレスを手に取り、ハサミで切ろうとした時


 トントンと、扉を叩く音がした。


「っ! はーい」


「りこ~片づけは済ませ……何をしているの?」


 私の部屋に入ってきた母の目には、アクセサリーを片手に、ハサミを持っている私を奇妙に思ったのだろう。怪訝そうに尋ねた。


「あ、……これは……私の恋人からもらった物と、その恋人にあげようとした物なんだけど……もういらないから処分しようと思って……」


 私は自分で何を言っているんだろうと思った。恋人がいた事は誰にも話した事がない。適当にごまかせばよかったのに、つい本当の事を話してしまった。


 母は私の様子をじっと見て、そして私の横に座った。そして私からハサミを取り上げ、私の両手をそっと包み込んだ。


「ねぇ……もしかしてその恋人って、あやねちゃんの事じゃない?」

「……っ!」


 私は息をのんだ。その様子に母は苦笑した。


「どうしてわかったのって顔をしてるわよ……だってあなた、あやねちゃんの話しかしないし、あやねちゃんの事を話すあなたの顔が、恋する乙女の顔だったもの」


「……軽蔑した? 私の事……」


 子供が同性と恋人同士になっていて、喜ぶ親はいないだろう。私が恐る恐る尋ねると、母は声を出して笑った。


「あはは、軽蔑なんてしないわよ。……私もあなたくらいの年に、同性の恋人がいたからね」

「えっ!」


 母の思わぬ告白に、私は目を丸くした。そんな私を見て、母は再び笑った。


「やだ、何よその顔! もちろん今はお父さん一筋よ。お父さんの事を心から愛してる」


 そして母は遠い思い出を懐かしむように、口を開いた。


「お母さんが高校生の時、同じ部活の女の先輩に恋をしたの。告白しようか迷ったけど、我慢できなくて言っちゃった。断られるかと思ったけど、なんと付き合ってくれる事になってね……嬉しくて嬉しくてしょうがなかった。デートもいっぱいした。プレゼントもしてもらった。本当に幸せな日々だった……」


 母はそこまで言うと、少し目を伏せた。


「けれどある日、その先輩が男の人と付き合っているって噂を聞いたの。私はすぐに先輩に問いただした。そして先輩は、その噂は事実だって答えたわ。今まで私と付き合ってきたけど、やっぱり女同士で付き合えない。まわりに気持ち悪いって思われたくないってね……。ふられちゃった。

 お母さん悲しくて、くやしくて、先輩からもらったプレゼント全部捨てちゃった。なんであんな人好きになったんだろうって後悔した。でもね……」


 母はそこで真剣な目をして、私に言った。


「でもね……楽しかった日々は、まぎれもない事実なのよね。先輩が好きだった。大好きだった。その思い出を、私から捨てる必要はなかったなって、今では思うのよ。

 りこはどう? あやねちゃんからもらったプレゼント、今捨てたい? もういらない?」


「いらなくなんてない! だってこれは……私の宝物だから……!」


 そう言って私はあやねちゃんからもらったブレスレットを握りしめる。母はそんな私を見て、微笑んだ。


「なら大事に持っておきなさい。……いつかそれを、本当に手放せる日がくるまでね。そしてあやねちゃんのために作ったプレゼント。それ郵送でいいから、ちゃんとあやねちゃんに渡しなさい」


「で、でもこんなの送っても、あやねちゃんの迷惑になるんじゃ……」


「どうしてりこが迷惑だって決めつけるの? それを決めるのはあやねちゃんよ? それにアメリカに行ったら、もう二度と会えなくなるかもしれない。最後になるなら、自分の気持ちをちゃんと相手に伝えなさい」


「お母さん……!」


 母の言葉に、思わず私は泣きながら母に抱きついた。そして力強く頷いた。

 胸の中のわだかまりが、溶けてなくなっていくのを感じた。



 



 その日のうちに、私の想いを書いた手紙と、あやねちゃんのために作ったネックレスを封筒に入れて、あやねちゃん宛てに郵送した。







 次の日、飛行機の中で私は、あやねちゃんへの想いを心の中に浮かべた。




 この恋が終わっても、あなたを愛した日々は変わらない。あなたが好きだ。大好きだった。

 


 どうか幸せになって欲しい。私はあなたに恋をしただけで充分だから。それだけで、生きていけるから。



 ありがとう――――







 そう想い終えると、私達家族を乗せた飛行機は、ゆっくりと動き出し、そのまま日本を飛び立った。




 

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