もう彼女は信じない
あやねちゃんに私がいじめられている事を話す。そう決意した次の日の放課後、教室に水嶋さんがいない事を確認して、あやねちゃんに話しかけた。
「あやねちゃん、今日帰りにちょっと相談したい事があるんだけど……」
「ごめん……午前の数学の時、授業に集中していなかった罰として、さっき裏庭の掃除任せられちゃったんだ」
あやねちゃんは申し訳なさそうに、私に両手を合わせた。
「え、大変だね……私手伝うよ?」
「いや~先生には罰だから一人でやれよって釘刺されちゃったからね……それに遅くなるといけないから、悪いけど今日は先に帰ってて?」
「……わかった」
早く相談したかったが、そのような事情があるなら仕方ない。私は一人で教室をあとにした。
周囲を警戒しながら駅までの道を歩く。人通りの多いところだから、襲われたりはしないだろうが、昨日の恐怖は色濃く残っている。用心するに越したことはなかった。
駅まであと少しの所で、ケータイのメール着信音が鳴った。私はビクッと体を震わせたが、両親とあやねちゃんしか着信出来ない事を思い出し、ケータイを開いた。
『あやねです。お願い今すぐ教室まで戻ってきて!』
「……っ!?」
その文面を見て、あやねちゃんの身に何かあったのかと心配した私は、急いで今来た道を引き返した。
「はぁ……はぁ……あやねちゃん大丈夫!?」
結構な距離を走ってきたから胸が苦しい。私は大きく呼吸をしながら、勢いよく教室の扉を開けた。
しかしそこにはあやねちゃんの姿どころか、誰一人としていなかった。私は不思議に思いながら教室に入った時、後ろの扉が大きく音を立てて閉じた。私が慌てて振り返ると、扉の横になぜかジャージ服を着た水嶋さんが立っていた。
「……!? な、何で水嶋さんがここにいるの!」
この世で一番会いたくない人物が目の前にいる。しかもこの場に二人きりだ。私はこみ上げる吐き気をなんとか堪え、思わず叫んだ。
しかしそんな様子をあざ笑うように水嶋さんは微笑んだ。そして右手に持っていたケータイを私にかざした。そのケータイには見覚えがあった。
「それって……あやねちゃんのケータイ!? もしかして私を呼び出したのって……!」
「そうだよ~私があやねのケータイを使って呼び出したの。あやねって危機意識低いよね~教室に鞄を置くのはいいけど、貴重品ぐらい持ち歩かないと」
そう言って、水嶋さんはクスクス笑いながら、持っていたケータイをあやねちゃんの鞄の中になおした。
「そ、そういう問題じゃないでしょう!? 勝手に人のケータイ使うなんて……!」
水嶋さんは私の言葉を聞いた途端、笑うのを止めた。そして怒りの表情で、次の瞬間私の両手首をつかみ上げ、私の上半身を机に叩きつけた。
「あんたが私を着信拒否にしてるから悪いんでしょう!! これで私があやねに嫌われたらあんたのせいだからね!」
「いっ!……うぅうう……」
机に叩きつけられた痛みと恐怖で、私は思わず泣き出してしまった。水嶋さんは力を緩めず、ある質問を私にした。
「ねぇ……あんたがあやねの家に泊まったって聞いた時から気になってたんだけどさぁ……あんたとあやねってセックスはしてないよね?」
「……え?」
一瞬何を言われたのかわからなかった。しかし水嶋さんは、私の手首を押さえる力をさらに強め、私を罵るように叫んだ。
「さっさと答えろこのブス!」
「っ! してない! そんな事してないっ!」
実際そうだった。あの日私達は同じベッドで寝たが、初めてのキスにお互い満足してしまって、そのまま眠ってしまったのだ。
水嶋さんは私の言葉を聞いた途端、あれほど強く押さえつけていた私の手首を離した。そしてあからさまにホッとした表情になり、私から距離を空けた。
「あ~よかった。あやねはまだ処女なんだね……。初体験が女なんて、あやねが可哀想すぎるよ。やっぱり私がそういうのも管理しないとだめだな~。あの男を使ってあやねを襲わせようかな……」
「…………何を言ってるの?」
私は上半身を起こしながら水嶋さんを見つめる。とんでもない発言を聞いた気がした。
水嶋さんは私を見ながら、小さい子供に言い聞かせるように口を開いた。
「ショッピングモールで私につかみかかった男がいたでしょう? あれ、実は私の事が好きな男でさぁ~私の言う事ならなんでも聞いてくれるんだよね。あの時も私の演技に付き合ってくれたし、便利な男なんだ。
だからさぁ……あの男にあやねの処女を奪わせようかなって。あやねはきっとショックで落ち込むだろうけど、そこは私がきちんと慰めるよ。そうすればきっとあやねは私に感謝して、私の物になってくれるよね……あ、もちろんあやねを襲った男は、また別の男を使って半殺しにさせるよ? そんな男私も許せないからね!」
水嶋さんは目を輝かせながら名案を思いついたとはしゃいでる。そしてうっとりしながら、泣きじゃくるあやねもきっと可愛いよね~と呟いた。
「……そんな事」
「え、何? 何か言った?」
「そんな事絶対にさせない!!」
私は次の瞬間、水嶋さんにつかみかかった。水嶋さんは驚いて私を振り払おうともがくが、私は渾身の力を込めて、水嶋さんを床に押し倒した。その衝撃で、周りの机や椅子が倒れた音がしたが、そんな事気にしていられる程、私は冷静じゃなかった。
この人はなぜこんなふうになってしまったんだろう。あやねちゃんの事が好きなのに、なぜあやねちゃんを傷つけるような真似をしようとするのか。私には全然理解できなかった。ただひとつ理解したのは、あやねちゃんに危害を加えようとするならば、私が絶対に許さないという事だけだ。
「あなたなんかにあやねちゃんは絶対渡さないっっ!!」
そう叫んだ瞬間、いきおいよく教室の扉が開いた。驚いて扉のほうを見ると、そこにはぼう然と私を見ているあやねちゃんの姿があった。
「っ……! あ、あやねちゃん……!?」
「あやね! あやね助けて!」
水嶋さんは私の腕を振り払い、あやねちゃんの胸に飛び込んだ。
「りこちゃんが……! さっきのも、今までの嫌がらせも全部りこちゃんが……!」
水嶋さんはあやねちゃんに泣きそうな声で助けを求める。あやねちゃんは動揺した表情で、水嶋さんと私を交互に見る。
「ち、違うのあやねちゃん! 私そんな事していない! お願い私を信じて!」
私は自分は無実だと、あやねちゃんに伝えようとした。今までのいじめも、すべて水嶋さん達の自作自演だと、口を開こうとした時
「ねぇ……りこ……」
あやねちゃんは絶望したような目で、私を見つめた。そして水嶋さんをかばうように、抱きしめた。
「……りこ、カナデに謝ろう? もうしませんって……そうしたらきっとカナデは、許してくれるよ。ね? 私も一緒に謝ってあげるから……」
何を言われたのか一瞬わからなくなった。けれどその言葉はじわじわと、私の心を溶かすように、広がって行った。そして理解した。
あ や ね ち ゃ ん は も う 私 を 信 じ な い
私は自分の心がガラガラと音を立てて崩れて行くのを感じた。涙が頬を伝うのを感じたが、それすらもどうでもよかった。
「……結局あやねちゃんは、私より水嶋さんの事を信じるんだね……私を信じるって言ってたのにね……」
そう言い残し、私は教室を飛び出した。もうこの場に一秒たりともいたくなかった。
走って走って昇降口までたどりついた時に、私はそこで大きく息を整えながら、後ろを振り返った。しかしそこには誰もいない。
追いかけてくれもしないんだね……。
そこで私は改めて、あやねちゃんはもう、私の事が好きではない事を悟った。あやねちゃんと過ごしてきた日々が走馬灯のように思い出す。二人でいれば何をしても楽しかった。しかしそんな日々はもう二度と戻ってこない。
私は両膝を床につけ、顔を両手で覆いながら、泣き声を上げた。
「……いやぁ……いやぁ……ああぁぁぁ!」
しかしいくら泣いても、私の愛しい人は姿を現してはくれなかった。私の声だけが、その場でむなしく響いていた。




