狂気の瞳
なぜ目の前に水嶋さんがいるのかわからない。ただ理解したのは私に対して、彼女が途方もない怒りを感じている事だけだった。水嶋さんは怯える私を睨みつけたまま、ゆっくりと私に向かって歩き出した。
「――――っ!」
私は思わず手にしていたケータイで、あやねちゃんに助けを求めようとした。通話ボタンを押そうとして
「あやねに連絡なんて取らせないから」
「っ!? ひぃ……!」
次の瞬間水嶋さんは一気に私との距離を詰めた。そして私の手からケータイをもぎとり、それを思いっきり地面に叩きつけた。
「ぁああ! あ……」
ガシャンと地面に叩きつけられた衝撃で液晶が割れてしまった。それを水嶋さんは更に踏みつける。何度も何度も何度も踏みつけ、もはやその様子は異常者としか見れなかった。
「はぁー……はぁー……はぁ……本当にあんた舐めたマネしてくれたわね…あやねに近づくなってあれだけ言ったのに……!」
今まで踏みつけていたケータイに向けていた目線を、ギロリと今度は私のほうに向ける。怒りで目が血走り、今にも私に襲いかかりそうな雰囲気だ。私はあまりの恐怖に何もできずにいた。
「あやねの家に泊まったって何よ……あやねに何をしたのよ……調子に乗りやがってっ!!」
水嶋さんはそう吐き捨て、私の首元に手をやろうとした。
――――殺されるっ!
私の壊されたケータイのように、ぐちゃぐちゃにされる。悲鳴をあげようとするが、喉が張り付いてしまったかのように、声が出せない。
水嶋さんの手が私の首に触れようとしたその時
「りこーっ! どこにいるの、りこーっ!!」
すぐ近くからあやねちゃんの声がした。水嶋さんはビクッと体を震わせ、あやねちゃんの声がしたほうに視線を向ける。そして忌々しそうに舌打ちをした。
「チッ……あやねってばすぐ近くまで来てるな……壁の向こう側あたりかな? こっちは私が担当するって言ったのに……しょうがないな」
そう言って私から距離を空ける。そして足元に転がっていた私のケータイを拾い上げると、それを私に投げつけた。
「いっ……!?」
私の体にケータイがぶつかったが、なんとかそれを受け止めた。水嶋さんを見ると、汚物を見るような表情で私を見つめていた。
「それ、ちゃんと持って帰ってよね。あやねに見つかると面倒だから。今日は見逃してあげるけど、これで終わりなんて思わないでよね。ほら、早く行きなよ」
「……っ!」
私は次の瞬間、水嶋さんから逃げるように走り出した。後ろから水嶋さんの視線を感じる。早くこの視線が届かない所まで逃げたかった。ガクガク震える足で、転びそうになるのを必死で耐えながら、私はずっと走り続けた――――。
「はぁ……はぁ……っはぁ……」
気がつくと駅前にいた。どのような道順でここまで来たのかは覚えていない。私は荒い息を吐きながらその場に座り込もうとした時、後ろから声をかけられた。
「おい、りこじゃないか。どうしたんだこんな所で」
「っ! お、お父さん……」
そこには久しぶりに顔を見る父の姿があった。スーツに身を包み、手にはキャリーケースを持ちながら、心配そうに私を見つめた。
「おい、ずいぶん疲れているみたいだが何かあったのか? 大丈夫か?」
「だ、大丈夫大丈夫! 友達の家に泊まりに行った帰りで、電車に間に合わないと思って走ってきただけだから! おかえりなさいお父さん……」
「ただいま。なんだ、それなら母さんがそろそろ車で迎えに来てくれるぞ。あ、ほら来た」
なんとか父をごまかし、父が指差した方向を見ると、母が運転する車がちょうど駅の敷地内に入ってきた。そのまま私達の前まで車を走らせ、私達を車に乗せた。
「おかえりなさい、あなた。よかった~りこもいっしょだったのね。お母さん駅まで迎えに行くから電車に乗らないで待っていなさいってメールしたのよ? 返事が返ってこなかったから入れ違いになったかと心配したじゃない」
「ごめんね……実はケータイ落として壊れちゃって……返信できなかったんだ」
「あら、やだ! もうこの子は~……もっとちゃんと大事にしなきゃだめじゃない」
「まぁまぁ壊してしまったのはしょうがないだろう。食事に行く前にケータイショップに行こう。新しいケータイ買ってやるから」
「……ありがとう」
私が壊したんじゃない、壊されたんだ。その事を言ってしまおうか悩んだが、結局言えなかった。私自身さっき起きた事にまだ気持ちの整理がついていなかったからだ。私はそのままシートに体を預け、ゆっくりと目を閉じた。
夜、私は自分の部屋の机で、新しく買ってもらったケータイを眺めながら、今日の出来事を振り返っていた。
あの後ケータイショップに行き、中のメモリは無事との事で、新しいケータイを買って、すぐに使えるようにしてもらった。メモリの中にはあやねちゃんとデートした時のデータがたくさん入っていたので、壊れていなくて心底ホッとした。
その後食事をするためにレストランに行ったが、正直味はわからなかった。その時父が、以前から話があったアメリカへの移住の話をし始め、私に母といっしょにアメリカに行かないか。と再度提案してきた。
私は日本に、あやねちゃんの傍にいたかったので、改めて話を断ると、じゃあ日本にいる間なるべくいっしょにいたいから、通勤ついでに学校まで送ってやる。と言われた。
あやねちゃんといっしょに登校する約束をしているので、断ろうと思ったが、父は私の日本にいたいというワガママを聞いてくれた。ここで断ったら父に悪いと思い、その件は承諾した。
明日からしばらくいっしょに登校できなくなるけど、あやねちゃんOKしてくれるかな……?
今日の事を詫び、明日からしばらくいっしょに登校できない事をメールで送信した。
しばらくするとあやねちゃんからメールが送られてきた。
『私もりこを悲しませちゃってごめんなさい。カナデとは本当に何もないので気にしないで下さい。登校の事は残念だけど仕方ないよね。私もまたりこと仲良くしたいです。また明日笑って会おうね』
あやねちゃんが怒ってない事に安心した。……いや、むしろ怒って欲しかったのかもしれない。どうしてあんな事をしたのか。いっしょに登校するって約束したじゃない。と怒ってくれた方が、私はあやねちゃんに必要とされているんだ。と実感出来たかもしれない。
そんな複雑な感情を持て余して、私は少しでも体を休めるために、ベッドにもぐりこんだ。
極力明日の事を考えないようにしながら――――。




