恋人と親友との狭間で
私は急いで三階の踊り場に通じる階段を昇る。もう逃げられているかもしれないが、もしかしたら誰かが犯人を見かけているかもしれない。そう思い足を走らせていると二階の踊り場で階段を下りてきたカヨちゃんとぶつかりそうになってしまった。
「ご、ごめんカヨちゃん私今急いでて……もう行かなきゃ!」
「待ってあやねちゃん! カナデは無事だった!?」
カヨちゃんに謝って再び階段を駆けあがろうした時、カヨちゃんはそう言って私を呼びとめた。
「っもしかしてカヨちゃんさっきの事知ってるの!? 犯人見た!?」
私はカヨちゃんの肩を両手でつかんで詰め寄る。しかしカヨちゃんは言いにくそうに私から視線を外した。そして
「り こ ち ゃ ん だ っ た よ …… 」
「――――――え?」
信じられない言葉を聞いた。
一体何を話しているのだろうこの子は……りこがカナデに危害を加えたなんて……
私がぼう然とカヨちゃんを見つめると、カヨちゃんは意を決したように話し始めた。
「私三階の廊下にいたんだけどね。階段を昇ろうとした時、踊り場の窓際にバケツを持ったりこちゃんがいたの。なんでこんなところでバケツなんて持ってるんだろうって思って、私は壁の影に隠れて様子を見ていたんだ。
そうしたらりこちゃんがいきなりバケツごと水を窓から投げ捨てて……そしてそのまま階段を駆け上がって行っちゃった……外から悲鳴が聞こえて私が窓から下を覗くとカナデが水びたしになってて……!」
カヨちゃんはその光景を思い出したのだろう。涙声になりながら、しかし目には怒りの色をにじませながら言った。
「う、うそだよ……りこはそんな事しないよ……カヨちゃん見間違えたんじゃ」
「私はちゃんと見たよ! 絶対りこちゃんだった! いい加減にしてよあやねちゃんっ!!」
初めて聞くカヨちゃんの怒声に、私は思わず身をすくませた。カヨちゃんは私を睨みながら言葉を続ける。
「どうしてそうなっちゃったの!? 前はあんなにカナデといつも一緒だったのに……! なのに最近はいつもりこちゃんとばっかりいるし、カナデへの嫌がらせだって皆りこちゃんがやったって信じてるのに!
カナデの事を助けたいんでしょう!? あやねちゃんはりこちゃんだったら何をしても許すのっ!? どっちを選ぶのあやねちゃん !!」
何も言えなかった。違うと言いたかった。けれど何に対して違うのか。私は誰を信じるのか。頭の中がまるでハエが飛び回っているみたいにうるさい。呼吸がうまくできなくなる。
私はその場から、カヨちゃんから逃げ出してしまった。
私は廊下を走りながらカヨちゃんが言った内容を考えていた。カナデは大事な親友で、りこは大事な恋人で、どちらが大事だとか考えた事がなかった。ましてやどちらを選ぶかなど、なおさらだ。
気付いたら教室の前にいた。そういえばカナデはもう戻っているだろうか……扉に手をかけた瞬間、机などが倒れる音、そして既に帰宅しているはずの、りこの怒鳴り声が聞こえた。
「あなたなんかにあやねちゃんは絶対渡さないっっ!!」
私は扉を勢いよく開けた。そこにはカナデを組み敷いている、りこの姿があった。
「っ……! あ、あやねちゃん……!?」
「あやね! あやね助けて!」
私を見てりこが怯んだ。そのスキをついて、カナデが私の胸に飛び込んできた。
「りこちゃんが……! さっきのも、今までの嫌がらせも全部りこちゃんが……!」
「ち、違うのあやねちゃん! 私そんな事していない! お願い私を信じて!」
聞きたくなかった。見たくなかった。教室なんて来なければよかった。そうしたら私はりこを信じていられたのに。
「ねぇ……りこ……」
言わなければ、よくもカナデに酷い事をしたね。私を騙して楽しかった?って。
もうりこなんて大嫌い、顔も見たくないって。けれど――――
「……りこ、カナデに謝ろう? もうしませんって……そうしたらきっとカナデは、許してくれるよ。ね? 私も一緒に謝ってあげるから……」
情けない顔をしながら、懇願するように、そんな事を口走ってしまった。ああ、結局私はバカなままだ。りこの本性を知らなかったくせに、まだりこを繋ぎとめようとしてしまう。
けれどりこは私の言葉を聞いた瞬間、目から大粒の涙をこぼし、能面のように表情を消した。それは全てに絶望してしまった顔だった。
「……結局あやねちゃんは、私より水嶋さんの事を信じるんだね……私を信じるって言ってたのにね……」
次の瞬間、りこは教室から飛び出して行った。どんどんりこの足音が遠ざかり、そのうち何も聞こえなくなってしまった。
追いかけなかった。追いかけられなかった。かける言葉が見つからなかった。
そんな私を、カナデはいつまでも抱きしめてくれていた――――。