誕生日
自分の誕生日のことなどすっかり忘れていた舞は、あまりに暗く落ち込んでいるので、アディアに無理に部屋から連れ出されて、カフェに入っていた。悩んでも仕方のないことだが、マーキスことを考えると胸が苦しくなる。モーニングセットのサンドイッチに挟まったレタスらしきものをフォークの先で突つきながら、舞はひたすらぼーっとしていた。
アディアが、呆れたように言った。
「マイ、ローストルクルクは嫌い?」
舞は、ハッとして目の前で頬杖をついているアディアを見た。
「ううん、大好き。」と、そのローストルクルクのサンドイッチを手に取った。「ちょっとぼうっとしてて。ごめんね。」
アディアは、ため息を付いた。
「わかるけど、今は深く考えないこと。」アディアは、言った。「悩むとろくなことがないのよ?気も暗くなるし。そうすると、力も落ちてしまったりする。だから、強くならないと。」
舞は、無理矢理サンドイッチを口に突っ込みながら、うんうんと頷いた。すると横から、大きな影が割り込んだかと思うと、テーブルの横に立った。舞が固まっていると、アディアが言った。
「シュレー…」そして、ハッとして言った。「ちょっと、女同士の話があるのよ。ここは遠慮してほしいわ。」
シュレーは、苦笑しながら言った。
「すぐに行く。ただ、これを渡そうを思ってな。」と、分厚い金属の、B5ぐらいの大きさの板を舞に差し出した。「誕生日だろう。ここの、記念刻印してくれる店で作ってもらったんだ。」
舞は、すっかり忘れていたので驚いたが、その板を見た。『HAPPY BIRTHDAY MAI AT HUNDENTS WATER LINE』と書いてある。後ろには、カンデ高原の景色らしいエッチングのような彫り物があった。そこに流れる川の上に、この船が浮かんでいる絵だった。舞は、パアッと笑顔になった。
「まあ、ありがとうシュレー!私、すっかり忘れてたわ。こんな所で二十歳になるなんて…でも、いい記念になるわ。」
シュレーは微笑んだ。
「それと、これ。」と、チョコレートの小さな箱を出した。「食い物無しだと物足りないだろう?」
舞は、ぷうっと膨れた。
「まあ、シュレーったら!」
シュレーは笑って、足を出口へ向けた。
「あっちで圭悟達も何か探してたぞ。知らないのは、本人だけだったんじゃないか?」と、アディアを見た。「じゃあ、邪魔したな。」
シュレーは、立ち去って行った。アディアは、その背を見てほっと息を付いた。
「ほんと、シュレーってとってもイケメンな人型になったと思わない?元の姿も、きっとあんな感じなんでしょうね。驚きだわ。」
何気なく言うアディアに、舞は複雑な気持ちだった。姿はああなっても、シュレーは変わらない…。相変わらず、自分を気に掛けてくれていて…。
舞は、またため息を付いた。
マーキスが、それをこちらから見つめて、ただ黙って立っていた。キールは、何とかしなければと、心底思っていた。
ランチは、レストランで舞のお祝いだった。玲樹が全てセッティングして、舞の好きなルクルクが並ぶ豪華なものだった。ケーキの上の20本のろうそくを吹き消すと、皆が手を叩いた。
「おめでとう、舞!」
圭悟は、きれいに飾られたパッケージのキャンディやクッキーの包みをくれた。アディアが、言った。
「そのケーキは私とアークからよ。しっかり食べてね。」
舞は、微笑んだ。
「ありがとう。すごく嬉しい…いつも、りっちゃんが祝ってくれてたの。後は家族で。こんなにたくさんでケーキを囲むのは初めて。」
圭悟は笑った。
「もう酒も合法だけど、ほどほどにしろよ?お前、酒グセ悪いから。」
玲樹も頷いた。
「そうそう、あんなちょっとで酔いつぶれやがって。気をつけろよ。」
舞は、頷いた。マーキスに看護してもらって…。
舞は、マーキスをちらと見た。マーキスは、黙って伏し目がちに飲み物を飲んでいる。こんなときに皆に心配を掛けちゃいけない…。
舞は、努めて明るく、その席を楽しんだ。皆も何も言わなかった。
楽しいランチの後、また下のラウンジで座って楽しく話し、少しシャンパンで上気した顔を冷ますと言い置いて、舞は甲板に出て、風に吹かれていた。日が暮れてくる…もうすぐ、南デシア。ついにデシアの近くまで来たんだわ。
舞は、表情を引き締めた。こんな所まで来たのは、何もかもを収めるため。自分の出来ることを、頑張ってしよう。
どんどん日が沈んで行き、上の方には星が見え始めた。舞がそれを見つめていると、横に誰かが立った。
振り返ると、それは、マーキスだった。舞は思わず息を飲むと、じっとマーキスを見つめた。マーキスは黙っていたが、口を開いた。
「…誕生日とは、生まれた日であるそうな。オレはそれは定かでないが、どうやら秋のことだったらしい。主は冬…20年前の今頃に生まれたのであるな。」
舞は、頷いた。
「あちらの社会では、とても正確なの。だから、20年前の今日なのよ。」
マーキスは頷いた。
「マイ…八つ当たりして悪かった。オレは常に不安であったのだ。主が本来愛しておったシュレーが、戻って来た。しかも主を望んでおる。」マーキスは、目を伏せた。「オレは…利用しろと主に言った。なので主には責はないのだ。オレが…ただ主を離せなくなってしまっておっただけよ。己だけのものとして、側に置きたいと望んだ。身の程もわきまえずに…オレは、グーラなのに。」
舞は首を振った。
「そんなこと、関係ないわ!」舞は、マーキスを見上げた。「愛してるの。私はマーキスを愛してる。マーキス…だから、どうか少しでもシュレーに同情したりした、私を許して。シュレーは好きよ。でも、今は兄弟のような気持ちなの。本当よ。信じて。」
マーキスは、舞を見つめた。
「マイ…許してもらわねばならぬのは、オレの方よ。あのように心にも無いことを申して…すまなかった。オレはマイから離れたくない。」
舞は、涙を浮かべてマーキスに抱き付いた。
「マーキス…!」
マーキスは、舞を抱き締めながら言った。
「マイ…愛している。オレと…結婚してくれるか?」
舞は、何度も頷いた。
「ええ。ええ、マーキス…。」
マーキスは、ホッとしたようにマイを少し放して見た。そして、自分の胸元を探ると、小さな箱を出した。
「レイキから聞いた。結婚したら、揃いの指輪を嵌めるのだと。主の、誕生日にと、キールと探して参ったのだ。皆が居る場では、もし断られたらと、なかなかに思い切りが付かず…。」
舞は、びっくりしてそのビロードの小さな箱を開けた。中には、銀色に光るシンプルな指輪が入っていた。
「ああ…本当。」
舞は、涙がこぼれるのを抑えられなかった。マーキスはそれをじっと見ている。舞は、笑って言った。
「嵌めてくれる?」
マーキスは、嵌めなければいけないのかと、慌ててそれを慎重に抜き取ると、舞が差し出した左手を取った。そして、言った。
「どの指ぞ?」
舞は、空いたほうの手で指した。
「この指よ。」
マーキスは、慣れないことなので、慎重に慎重に、舞の左手の薬指にその指輪を収めた。そして、満足げに言った。
「よし、ぴったりよ。キールと何度もサイズを確かめての。主の指の太さは、キールの小指の太さだとキールが言い張るので、本当かと思うたが、本当だったの。」と、眉を寄せた。「しかし、キールはなぜにそれを知ったのか。」
舞は大笑いした。
「ほら、いつも命の気の玉に、ストローを挿して渡すでしょう。その時に、私の小指が立ってると、キールに言われたことがあるの。その時に指の太さの話になったから、知っていたのよ。」
マーキスは、じっと舞の指を見た。
「オレの小指よりは細いの。」
舞は頷いた。
「マーキスはキールより手が大きいものね。」と、もう一つの小箱を開けた。「マーキスにも、嵌めていい?」
マーキスは、黙って左手を差し出した。舞はその指に、そっとそのお揃いの指輪を挿した。マーキスは、指輪のはまった手をじっと見た。
「不思議よの。これで、結婚することになるのか?」
舞は首を傾げた。
「そう約束して嵌めたなら、そうなるわね。でも、ただ恋人同士ってだけでもこうして嵌めることがあるわよ?」
マーキスは、首を振った。
「我らは約したのだ。きっと、この旅が終わったら結婚する。」
舞は微笑んで頷いた。
「ええ。愛してるわ、マーキス。」
マーキスも微笑んで、すっかり暗くなった星空を背に、舞に唇を寄せた。
「オレもだ。」
二人は口づけて、いつまでもそこで抱き合っていた。
それをこちらから見た、圭悟と玲樹、それにアディアとシュレー、アーク、キールは声を掛けられずに居た。
「…シュレー。あの二人は、もうきっと離れることはないよ。」圭悟は、言った。「ほんとにマーキスは舞を大切にして来たんだ。」
シュレーは、下を向いて、頷いた。
「わかっている。マーキスは、マイしか見ていない。脇見をするような、オレとは大違いだ。」と、踵を返した。「だが、分かっていても、諦めきれないものもあるんだ。オレは、下船準備を始めとくよ。」
シュレーは、そこを出て行った。圭悟はため息を付いた…皆に、いいようになればいいと思うのに。
船は、南デシアの港へ近付いていた。