夜
アディアが、チュマを寝かし付ける舞の背に言った。
「マイ…マーキスとは、いつ結婚するの?」
舞は、アディアを振り返った。
「この旅が終わって、何もかもが落ち着いたら。マーキスの故郷の、ダッカで暮らそうって言われているの。」
アディアは、羨ましげに微笑んで、ベッドに横になった。
「本当に愛されてるって感じで、羨ましいわ。私は、機会を逃してしまったから。シュレーと…ヒョウだったでしょう?だから、ためらってしまって。シュレーを傷付けたわ。でも…なぜかしら、忘れたいことだったのかもしれないけれど、細かいことが思い出せないの。きっと、精神的に傷付いたからかもしれないわ。」
舞は、アークから聞いて知っていたが、黙って聞いていた。アディアは続けた。
「また、傷付けるところだった。私ね、スパイとして戻った時は、本当に自分のことしか考えてなかったの。またシュレーを利用しようとしていたわ。あの人が助けに来てくれたから、まだ愛情が自分にあると過信して、愛してるなんて言って。でも…やっぱりまだ、抵抗があったの。なのに、言い寄ったりして…見事にふられたけどね。自分を救ってくれたのは、私じゃない、って。」
舞は、アディアを見た。アディアは、苦笑した。
「マイ、シュレーはあなたを愛してるんじゃない?」
舞は、下を向いた。確かに、シュレーはそう言った。でも…私はマーキスを…。
「アディア、私はマーキスを愛してるの。シュレーはね、私達が危険な任務に付くのを知っていて、あなたを助けるために私を振り切って去って行ったわ。悲しむ私に、自分を利用すればいいと言って、側に居て救ってくれたのがマーキスだったの。体を張って守ってくれたわ。マーキスを愛してる…だから、もうシュレーとは、一緒に居られないの。」
アディアは、ため息をついた。
「そう…。私達の恋の亡霊が、あなた達の仲を狂わせてしまったのね。シュレーも言っていたけれど、私達はとっくに終わっていたの。シュレーは間違ってた。私を助けに来てはいけなかったのよ。」
舞は、アディアを見つめた。
「アディア…。」
アディアは、ふふと笑った。
「さ、もうこの話はおしまいね。湿っぽくなっちゃう。あなたとマーキスはお似合いよ。幸せにならなきゃ…早く陰謀を暴いて、世界を救っちゃいましょう。」
舞は笑った。
「ほんとね。軽く術でやっちゃいましょう。ふふ。」
アディアは、横で目を閉じた。舞は、チュマが寝たのを見て、同じように横になった。シュレー…確かに大好きだった人。ヒョウであろうと何であろうと、シュレー自身が好きだった。でも、あの時、確かに何かが壊れてしまった。アディアは、それをシュレーとアディアの恋の亡霊だと言った。シュレーは、やはりあの瞬間自分よりアディアを選んだのだ。それは、間違いない事実。シュレーの気持ちは嬉しい…でも、自分はシュレーを待てなかった。待てるほど、強くなかった。マーキスが居なかったとしても、きっと自分はシュレーにアディアの影を見続けていただろう。そして、苦しんだだろう。
そう思うと、舞はもう、シュレーとは戻れないのだと悟った。やっぱり、マーキスを愛しているのだ…。
考え込んでいると眠れなくて、舞は小さな金貨を一つ持って、フロントへと降りて行った。ロビーに、自動販売機があったはず。リーマサンデは、そんなものまで自分達の居た現実社会に似ていた。
やはりあった自動販売機で水を買った舞は、山のように出て来たお釣りにへ辟易しながらも、そのボトルを手に戻ろうとした。
「マイ。」
舞は、目の前に立つ人型に驚いた。慣れて来たが、シュレーだった。
「シュレー…」舞は、アディアとの話を思い出し、ためらったが、言った。「眠れないの?明日は朝一番の船で出ると圭悟が言っていたけど。」
シュレーは、頷いた。
「ああ。話しがしたいと思ってな。」
舞は戸惑いながらも、頷いた。
「何?」
シュレーは、踵を返した。
「行こう。ここじゃ人目もある。」
舞は頷いて、シュレーについて横のドアから庭へと出て行った。
シュレーは、庭の池の傍まで歩いて、舞を傍のベンチに促した。舞は、水のボトルを抱き締めるようにしながら、そこへ座った。
「マイ…マーキスとは、本当に結婚するのか?」
舞は、頷いた。
「ええ…。何もかも終わったら、ダッカへ行って一緒に住むの。そう約束したわ。」
シュレーは、舞をじっと見た。
「オレは…いくら待っても、チャンスはないってことか?」
舞は、シュレーから視線を逸らした。
「シュレー…私達の間は、あの時壊れてしまったでしょう?私に会うずっと前から愛していた人のことだもの、私も諦めるよりなかったの。圭悟は、待てばいいって直後に慰めてくれけど、私は待てなかったわ。とてもつらくて…マーキスが、自分を犠牲にしてまで私を救おうとしてくれなかったら、きっととっても暗い気だったと思う…。シュレー…ごめんなさい。だから、駄目だと思う。私達は、もう…。」
シュレーは、舞を抱き締めた。舞はびっくりして身を固くした。
「どんなに謝っても、あの時のことはもう、取り返しが付かないのか…!オレは、このままお前がマーキスと一緒に居るのを見ながら旅をする自信がない…。」
唇を寄せて来るシュレーに、舞は、必死に横を向いた。
「駄目!私はマーキスを愛しているの!シュレー…わかって。もう元には戻れないのよ。」
「マイ…。」
シュレーは、それでも舞を離さなかった。こんなに愛しているのに。どうして、オレはあの時あんな事をしたんだ。結局は、敵の罠でしかなかったのに…!
突然、何かの力が舞を引っ張ってシュレーから引き離した。舞は、がっつりと太い腕に抱かれるのを感じた。
「何をしておる。オレの妻になる女ぞ!」
マーキスが、今にも襲い掛からんばかりの表情でシュレーを見て舞を抱き締めて立っていた。シュレーは、マーキスを睨み付けた。
「マーキス…まだお前の妻などではない。」
マーキスはふんと鼻を鳴らした。
「負け犬の何とやらよの。主は他の女のためにマイを捨てたのであろう。今更に取り返そうなど、調子の良いことよ。マイはもう、オレのものだ。誰にも渡さぬわ。」と、舞を抱き締めた。「何なら、今からでも結婚しても良いのだぞ?いくらでも機会はあったが、そうせなんだだけよ。オレには良識というものがあるからの。お前のように、夜中に嫌がる女を手籠めにしようなどと考えたりせぬわ。」
シュレーは、唸るように言った。
「オレも同じだ。お前より前に、いくらでもそうする機会はあった。それでも、しなかったんだ。」
マーキスは、じっと黙ってシュレーを見ていたが、舞を抱いたまま踵を返した。
「…話にならぬわ。部屋へ戻るのだ、マイ。送ろうぞ。」
舞は頷いて、少し気遣わしげにシュレーを振り返りながら、部屋へと戻って行ったのだった。
マーキスが、舞を連れて自分の部屋へ帰って来てから、心配そうにこちらを見るキールに言った。
「キール、すまぬが少し、場を外してくれ。」
キールは、黙って頷いてドアを抜けてスッと出て行った。それを見送ってから、マーキスは言った。
「マイ、無防備過ぎるぞ。なぜに一人でこのような時間に下へ降りて参った。」
舞は、手にずっと持っていたペットボトルに視線を落とした。
「眠れなくて。水を買いに、下へ降りたの。そうしたら、シュレーが立っていて。話しがあると言うから、庭へ出たの。」
マーキスは睨むように舞を見た。
「オレが主の気を探っておったゆえ、下へ降りたことが分かったが、そうでなければ、どうやって部屋へ戻って参るつもりでおったのだ。グーラの間でもあることぞ…人同士でも、何度か見た。どちらも雄は、時には他人の妻であろうと同意なしに婚姻したりするであろうが。オレとて主を守りたいと思っておるが、主自身が警戒せねばどうにもならぬこともある。それとも、主はシュレーと共に居たいと望むのか。」
舞は、首を振った。
「いいえ!ちゃんと断ったのよ。マーキス、本当よ。」
マーキスは口を引き結んで横を向いた。何かの感情と戦っているようだった。そして、唸るように言った。
「…人は、嘘をつく。魔物のように単純ではない。主の気は嘘をついておる時に発するそれではないが、それでも今、乱れておる。心は、正直ぞ。」マーキスは不意に悲しげな眼をしたと思うと、舞に背を向けた。「それは…迷うておる時の気。主は己の気持ちもよく分かっておらぬ。迷うならば、確かにそう思うまで、誰とも共に居るべきではない。結婚のことも、主が望まぬのなら強制はせぬ。何事も好きにするが良い。」
舞は、ショックを受けて言葉を失った。迷っている…?私が、マーキスとシュレーの間で、迷っていると言うの?
「マーキス…私はそんなつもりでは…。」
しかし、マーキスはこちらを向かなかった。
「もう、戻るが良い。明日は早い。休まねばならぬ…キールも休みたいであろうしの。」
舞は、涙を浮かべてその背を見ていたが、くるりと踵を返すと、ドアを出た。ドアの外で、キールが壁にもたれて立っていたが、舞はその顔を見ることもなく、足早に隣りの部屋へと飛び込んで、自分のベッドへ飛び込んで目を閉じた。マーキスを愛しているのに…違うと言うの。シュレー…。私が、シュレーとマーキスを選べないでいると言うの。
舞は、それからも眠れなかった。
その夜は、マーキスもシュレーも眠れずに居た。