リーマサンデの村
外は日暮れも近い夕闇だった。
シュレーとアディアも加えた九人は、穴から上がってそこがもう、山の麓の森の端であるのを知った。
舞は、久しぶりの外の空気に清々しい気持ちだった。遠くまで見渡せるその草に覆われた柔らかい大地は、舞を安心させた。しかし、ここが敵地であることに変わりはない。木々からや草などから、微かに命の気がわき上がっているのは感じられたが、山から離れるにつれて、あちらから供給される気が全く無くなって来るのを感じた。草木が生きるためだけの気の量しかないのに、魔法が使えないのは当然だなと舞は思った。
こちらの村に近付くにつれ、それがライアディータの街よりより近代的なのに、舞は気が付いた。木造建築が多かったライアディータに比べて、こちらはコンクリート作りが多い。それは、ホテルなどは鉄筋コンクリートだったライアディータでも、小さな家々までこうして鉄筋コンクリートではなかったからだ。
宿屋も、二階建てのあっさりとした造りの物だった。それを見て、舞は言った。
「なんだか、現実社会の普通の小さな町みたいね。」
圭悟が、頷いた。
「そうなんだよ。こっちに来ると、現実社会を思い出す。あまり変わらないからね…首都のデシアなんか、まんま東京みたいな感じだ。王城ですら、形は凝ってるけど背の高いビルなんだからな。」
舞は目を丸くした。お伽話のお姫様が住むようなお城じゃないの?!バルクの王城みたいなのを想像してたのに…。でも、腕輪が使えないんじゃなかったかしら。あの一個だけ持って来た腕輪、電源を入れたら途端に気取られるんじゃ…。
所々にある電信柱を見ながら、舞は複雑な思いを胸に抱えて、その疑問を口にしようとした時だった。アークが先に口を開いた。
「こっちではライアディータと通貨が違うゆえ、いずれにしろ腕輪が使えないので助かったの。」
舞はびっくりしてアークを見た。アークは続けた。
「やはり知らなんだか。こっちでは腕輪の金は使えぬのだ。なので、こうして」と、袋から、アークの手の中に納まるぐらいの大きさの巾着を出した。「金貨を使う。これの価値はあっちもこっちも同じだ。陛下から預かっておるし、オレもいくらか持って参ったゆえ案ずることはない。」
圭悟が、自分のカバンも叩いた。
「オレも持ってる。陛下に持たされた。」
玲樹が驚いたように圭悟を見た。
「オレもだ。なんだ、皆に渡してたのか。」
マーキスはキールを見た。
「我らも何やら巾着をもらったの。あれであるか。」
キールは頷いた。
「そうだ、兄者。オレは中を確認して、金貨が入っておるのを見た。」
アークは苦笑した。
「ほんに陛下は心配性であるから。」と、マーキスと舞を見た。「では、主らが子連れの夫婦を装って入ってくれぬか。我らはその親戚ということでいいだろう。よそ者はこのような小さな村では警戒されての。旅行者だと言うてくれたらよい。」
舞はためらいがちにマーキスを見た。マーキスは、チュマを降ろしてその手を握った。
「参ろうぞ、マイ。」
舞も、チュマのもう片方の手を握って、チュマを真ん中に、三人は中へと足を進めた。他の六人は、後からついて行った。
すっきりとしたビジネスホテルのフロントのような雰囲気で、機能性重視な感じの所だった。三人がまずカウンターへ寄って行くと、フロントの男性が顔を上げた。
「こんばんは。ご宿泊ですか?」
マーキスは頷いた。
「我ら親子と、それに兄弟達の9人ぞ。部屋はあるか?」
相手は、慣れたように横のパソコンらしき物のキーを叩いた。
「三部屋ご準備出来ますが、それでよろしいでしょうか?」
マーキスは頷いた。
「良い。頼む。」
「お支払いが先になります。」その男性は言った。「三部屋9名様で9000金でございます。」
マーキスは、舞に巾着を差し出した。舞は、私もこれ一個いくらか知らないんだけど、と思いながら、巾着を開けて中を見る。結構大き目な金貨、小さ目な金貨、色々入っている。エイッと一個出すと、それは大きくて、真ん中に10000と書いてあった。これが一万金かな。ということは、これ一個、十万円の価値ってことよね。すごーい!
舞は、合っているかどうかわからなかったが、間違ってれば何か言うだろうとそれを皿へ入れた。男性はすぐにそれを受け取ると、小さ目の金貨、1000と書いたものを舞に手渡した。お釣りだわと思った舞は、それを巾着に戻して急いでマーキスのカバンへ戻した。ということは、あの巾着の中には結構な大金が入っていることになる。落としたりしたら、大変だからだ。
男性は紙を出した。
「これにご記入ください。お名前とご住所だけで結構です。」
舞は、ためらった。良く見ると、アルファベットなのだ。住所って、知っているのはシオメルの近くのシオンの宿屋のものぐらい。現実社会からトリップしたら、必ずそこへ行くから覚えておけと、圭悟に言われた時にメモったものだけだった。
余り長い間戸惑っていたらおかしいので、舞は現実社会での自分のフルネームを横文字で書き、そしてシオンの宿屋の住所を書いた。それを待つ間、男性はじっとマーキスを見ていたが、言った。
「ご旅行ですか?この辺りを観光でいらっしゃるのは珍しいですね。」
マーキスは、鋭い目でちらと男性を見た。
「…本当はベイクに宿を取ろうと思っておったが、こちらへと歩いて風景を見ておるうちに、このような時間になったのでな。我らだけなら良いが、子供を連れて無理はしとうないからの。」
男性は頷いた。そして、カウンターの下のチュマを見た。チュマは、利口そうな目でその男性を見上げている。愛らしいので、思わず微笑んだ男性も、ハッとしたように表情を戻すと、言った。
「ボク、この辺りは初めて?」
チュマは、じっと男性を見上げていたが、舞の方を見て言った。
「ママ、知らないおじさんが話し掛けて来たけど、答えていい?」
舞は、びっくりしてチュマを見た。チュマ…とっても賢い子だと、プーの形の時も思ってたけど。
「いいわよ。」
チュマは、もう一度男性を見上げた。
「お山のこっち側に来たのは、初めて。おじさん、ボクのパパより小さいね。」
男性はぎくりとした顔をした。確かに、この家族は体格がいい。マーキスがチュマを抱き上げて笑いながら言った。
「こらチビ、それは失礼であるぞ。」と、男性を見た。「すまぬの。ほれ、我の兄や弟も似たような体型であるし、妻の兄達もそこそこ良い体型であろう?我らあちらでは戦闘民族でな。こやつは一般の人というものを、見たことがあまりないのだ。」
チュマは、マーキスに頬を摺り寄せた。
「ボクはパパがいいー。」
舞が、紙から目を上げた。
「はい。書きましたわ。」
男性は、急いでそれを受け取った。
「ありがとうございます。では、これがカードキーです。使い方は、ご存知でしょうか?」
舞はもちろんこれまでの旅でも散々使って来たので分かっていた。なので頷いた。
「では、ごゆっくりなさってくださいませ。夕食は今から夜10時まで、朝食は6時から、そちらのレストランで承ります。」
舞は頷くと、皆と一緒に階段で上階へと向かって行ったのだった。
結局部屋は、舞とアディアとチュマ、マーキスとキールとアーク、圭悟と玲樹とシュレーに別れることになった。圭悟達の部屋に集まった皆は、これからの事を話し合うことにした。
「どうしようか。真っ直ぐにデシアへ向かうべきか。」
圭悟が言う。シュレーが言った。
「ならば街道や川は避けるしかないな。あまり皆が使わないルートでなくば、兵達がまだ居る可能性がある。オレは気取れないだろうが、アディアは向こうに知られているから。」
舞が、アディアを見た。
「そうね、髪を染めるとか…見た目を少しでも違うようにしてはどう?茶色の髪を、黒髪か金髪にするの。私の姉ということにするなら、黒髪はどうかしら。」
アディアは頷いた。
「そうね。黒髪にして、髪を結えば少しは変わるかも。」
玲樹は、首を振った。
「服装も変えるべきだ。とにかく印象を変えないと、疑われたらおしまいだからな。ラキが居るだろう…あいつが出て来たらおしまいだ。」
マーキスが言った。
「そのラキとやら、オレとキールのことは知らぬよの。それに、姿の変わったシュレーも。」と、シュレーを見た。「何かを探る時、我らが参れば良い。チビのことも知らぬゆえ、何かの時のために連れていた方が良いの。」
シュレーは頷いた。
「船だと逃げ場がないから、思いきって横に走る鉄道でデシアに向かうか。歩くとかなりの距離になるし、あまり時は取りたくないだろう。」
アークは、頷いた。
「よし。準備を始めよう。マイ、アディアの髪を染める準備をしてくれぬか。」
舞は頷いて、アディアと共に出て行った。それを見送ってから、アークは険しい顔で言った。
「シュレー。なぜにあの女だけ無事であった。他は錯乱しておったのだろう。」
シュレーは、突然に表情の変わったアークに驚いた顔をした。
「…アディアは、内向きの術に長けている。つまりは心を癒したり、逆に苦しめたり、そういう技だな。なので、精神攻撃はそれでしのいだようだ。何があったかは、怯えてそれ以上は聞けていないがな。」
アークは、考え込む顔をした。
「…ならばあの気は、その折に残ったその精神攻撃の術の残照か。お前は気付かぬのか…かなりの不気味な気ぞ。」
マーキスとキールも、こちらで頷いた。
「我ら気が見えるゆえの。おぞけが走ってまともに顔も見れぬほどぞ。アーク、主が口をきかぬのは、そのせいか。」
アークは、マーキスを見た。
「シュレーには悪いが、オレはあの女を信用していない。いくら術のためとはいえ、あの気を持つ者はかなり性質が悪い者であることは確か。それが術で相手の気を取り込んでしまってなっておるとしても、行動に少なからず影響が出るはずよ。本来のあやつの性質がかき消されておる可能性もあるのだ。疑っておっても損はない。」
マーキスが、それを聞いて素早く立ち上がった。
「なぜにそれを早く言わぬ。マイを共に行かせてしもうたではないか。何かあったらなんとする。」
アークは、マーキスを止めた。
「もしもあの女が何か企んでおったとしても、今は何もせぬ。我らの行動が読めておらぬからだ。せいぜい舞から、何か情報を聞こうとするぐらいよ。心配はない。」
マーキスはアークを睨んだ。
「これがナディアであればどうしたのだ、アークよ。」
アークは、ためらった。
「ナディアは舞のように攻撃魔法が使えぬ。なので…、」
マーキスは、フンと鼻を鳴らした。
「信用ならぬの。己の妻でなくば良いてか。」
マーキスはそこを出て行った。シュレーが、戸惑いがちにアークを見た。
「では、アディアには、何も言わぬ方が良いと?」
アークは頷いた。
「そうだ。お前の想う相手であったとしてもの。」
シュレーは、息を飲んだ…そうか、アークは軍にも出入りしていたから…。
「…今は、オレは何も想ってなどない。オレは、マイが…。」
アークが、言葉に詰まった。圭悟と玲樹が顔を見合わせる。
「シュレー」圭悟が、口を開いた。「オレからは何も言わないが、しかし一つ言わせてくれ。舞は、バーク遺跡で罠に落ちて、死にかけた。」
シュレーは驚いて顔を上げた。圭悟はため息をついた。
「マーキスが落ちていく舞を追って共に落ち、舞は助かったんだ。あの時、お前が皆が守ってくれると言い置いて去ってしまった時に、もう舞に対する権利は失ったんだと思うぞ。結局は、お前はアディアを助けたかったのだろうから…舞よりも。舞は、それを悟ってしばらくはとても沈んでいたよ。」
シュレーは、下を向いた。確かにオレは馬鹿だった…アディアを助けて、そのあとに舞への想いの方が重く、アディアは過去の思い出なのだと悟った。そんな勝手な事を言っても、舞ならば許してくれるのかもと、思ってしまっていた…。
「アディアは、過去の思い出だ。マイを想っている…だが、マイは許してはくれないのか。」
圭悟は、悲しげな顔をした。
「わからない。それは舞に聞くべきだ。しかし舞が、シュレーを恨んでなどないことは知ってるよ。」
シュレーは、頷いた。舞と話さなければ。だがマーキスが気にかかる…マイのことを、まさかマーキスも想っているのでは…。