苦いキス
慣れたラクルスの街に降り立って、舞はホッとした。前回は最高級ホテルのステルビンに泊まったが、今回は客室の多い、普通の観光客が多く泊まるホテル、ルーデンに泊まることにした。いくらリーディスのお金とはいえ、貧乏性な圭悟や舞には、何度もステルビンに泊まる気になれなかったのだ。
しかし、街は、喜びに沸き立っていた。突然に命の気が戻り、皆が魔法技を出すことが出来るようになって、何もかも前の通りに滞りなく出来るようになったからだった。
舞達は、それがどんな犠牲の上に成り立っていた生活なのか、皆に説きたい衝動に駆られたが、黙って見守った。
昼間にも関わらずすぐにチェックインさせてくれるのは、この世界の便利なところだと舞は思っていた。いろんな仕事を請け負うパーティが多いこの世界は、そういうところにサービスが良かった。
しかし、部屋は大部屋一つしか空きが無く、皆は疲れていたのでそれでいいかと荷物を部屋に放り込むと、遅めの朝食を下のカフェで取った。
「今回はさすがにもうダメかと思った。」玲樹が、この世界のコーヒーらしきものを手に言った。「舞とマーキスが落ちた時もだが、あの地下牢に降りて行く時は、オレもここまでかなってな。」
圭悟が思い出して笑った。
「玲樹はほんと、ああいうのがダメだよな。あっちの世界のお化け屋敷だって入れなくてさあ。スプラッタ系の映画もダメだしなあ。」
玲樹は圭悟を睨んだ。
「あのな、マジもんの遺体とかだぞ?しかも山のように…」玲樹は身震いした。「でも、やっぱり人が一番怖いよ。あの二人の話を聞いて思った。自分の欲のために、人のためにと力を投げ打っていたシャルディークにあんな残酷な事をしたり、女神ナディアにあんな事をしたり…あの遺体は、何もしなかったもんな。オレが勝手に怖がってただけだ。」
アークが、頷いた。
「シャルディークは、あれほどの力を惜しげもなく民のために捧げた。それで自分が殺されようと、民を助けた事を後悔していなかった。あんな人だったゆえに、あれほどの力を持って生まれて、皆に神と崇められたんだろう…それでも、本人は人だと言ってきかなんだがな。」
マーキスが考え深げに言った。
「人は、良い人と悪い人が居る。そういうのは、こういう事を言うておったのだな。オレにも少し分かって来た気がするの。」
舞が、ふふふと笑った。
「やだマーキスったら、相変わらず堅いのね!」
マーキスが、驚いたように舞を見た。
「マイ?どうした、何やら顔が赤いの。」
玲樹が、テーブルの上の小瓶を見た。きれいに空になっている。
「ああ!舞!お前ホットミルクにこのブランデー全部入れたな!」
舞はケラケラ笑った。
「ああそれ、ブランデー?糖蜜かと思った~。甘いの好きだから私~。」
圭悟が呆れて立ち上がった。
「とにかくもう休もう。昨日も寝てないんだから。」と、舞の腕を取った。「ほら舞!全く、来月までアルコールはダメなんだぞ、向こうの世界じゃ。」
「大丈夫!圭悟って心配症~」と、フラフラした。「あら?足がおかしいわ。ほら、ぐにゃぐにゃして。ふふふ。」
マーキスが立ち上がった。
「酒とは怖いの。良い、オレが運ぶわ。ほらマイ。」
マーキスに抱き上げられて、舞ははしゃいだ。
「わーお姫様だっこだ~。」
皆はため息をついて、部屋へと向かったのだった。
舞は、頭の痛みで目が覚めた。なんだか喉も乾いた気がする…しかし、自分がちゃんとベッドで寝ているのはわかった。
気持ちいい…暖かいし、なんだか硬い抱き枕だけど、ほんのり温かくて、いい感じ…。
そう思って目を開けると、目の前に人の胸が見えた。男…?!
「きゃあああああ!」
舞は叫び声を上げた。相手の男もだが、回りのベッドで寝ていた者達も一斉に目を覚ましてガバッと起き上がった。
「なんだ?!何があった?!」
玲樹の声が聞こえる。舞は、上に掛かっていたシーツを胸に引き上げて座っていた。自分が抱き枕と思っていたのは、マーキスだった。マーキスは言った。
「なんだマイ?!酒の影響というのは、時が経てば消えると聞いたのに、主はまだ酔うておるのか?!」
舞は、たどたどしく言った。
「だ、だ、だってマーキス、よ、横に、し、し、しかも裸で寝てるんだもの!」
玲樹が、呆れたように言った。
「裸ぁ?よく見ろ、上着脱いでるだけじゃねぇか。お前だって上着脱がしただけだよ。ちゃんと中の服は着てらあ。」
確かに、上着を脱いで、中のキャミソールになっているだけだった。マーキスも、ズボンは履いていた。マーキスが言った。
「あのな、人は男女共に寝ないものだと聞いたゆえ、主はあっちだと何度言ってもオレに抱きついてきかなんだのはマイだぞ?仕方がないゆえ、キールとリークがあっちへ移ってオレは主と寝たのだからの。」
圭悟が、横のベッドで横になったまま言った。
「マーキスが言うのは本当だよ。舞、お前はホットミルクにブランデーを入れ過ぎて酔っぱらったんだ。で、ここまでマーキスが運んだんだが、どうやってもマーキスから離れないから、仕方なかったんだ。マーキスだって、お前が足まで使って抱きついてるから、抑え込まれてる状態でなかなか寝付けなかったんだからな。オレ、皆が寝てからもしばらくこのまま話し相手してたんだぞ。」
舞は、申し訳なくて、恥ずかしくなって下を向き、蚊の鳴くような声で言った。
「ご、ごめんなさい…。」
アークが、ナディアの横で言った。
「ま、もう良いではないか。もう暗くなっておる。夕食に降りねば朝食まで何も食べられないぞ。準備しよう。」
皆が、気だるげに上着を着る中、舞はマーキスにもう一度言った。
「あの、ごめんなさい、マーキス。私、あの、お酒って飲んだことなくって。あのホットミルク、ちょっと変な味かなって思ったんだけど。ルクルクのミルクだから、こんなのかなって思ってしまって。」
マーキスはため息を付いて上着を羽織った。
「もう良い。舞は柔らかいし、気もオレの好きな色だから心地良かったしの。ただ、あのように纏わりつかれて寝るのは初めてであったゆえ、寝付けなんだだけで。」
舞は落ち込んで、下を向いて言った。
「これから気を付けるわ…。」
舞は、自分も上着を着た。そして、外してあったウェストポーチを腰に巻き、そこへチュマを突っ込んで、皆の後ろをそろそろとついてレストランへと降りて行ったのだった。
まだ頭が痛かった舞は、そんなに食べることも出来なかった。でも、皆にこれ以上迷惑を掛けたくなかったので、何も言わずに食事を終えた。
その後、中庭を見たいと言って、一人出て来ていた。そんな醜態を晒したなんて、恥ずかしくてとても部屋で談笑する気にもならなくて、皆が寝静まってから戻ろうと、ぽつんと一人、座って庭の噴水を眺めていた。
すると、後ろから声が飛んだ。
「マイ。」振り返ると、マーキスがこちらへ歩いて来ていた。「そら、これを飲め。」
舞は、手渡された小さなボトルを見た。それは、二日酔いの薬だった。
「これ…」
マーキスは苦笑した。
「レイキが、主は恐らく頭が痛いのではないかと申しての。これが一番効くと言って飲ませろと。」
舞は、黙ってその蓋を開けると一気に飲んだ。
「…ニガイ!」
マーキスは笑った。
「おおそうよ。レイキにはそれが尋常でなく苦いと言って渡せと言われておったの。」
舞は、マーキスを小さくたたいた。
「もう!意地悪ね!」
マーキスが、フッと息を付いた。
「その方が良い。マイ、主には暗くして居るのは似合わぬぞ?いつも、眩しいほどの気の光であるのに。今は何やら暗いの。」
舞は、マーキスに笑い掛けた。
「ありがとう…本当にいろいろごめんね、マーキス。バーク遺跡でも、落ちた私を助けようと一緒に落ちて来てくれたから、私は助かったのだわ。なのに、酔って絡むなんて。最低ね。」
マーキスは首を振った。
「もう良いと申すに。主に関わるのはの、なぜか嫌ではないのだ。身にくっつけておる時は、何やらホッとするの。20年生きて来て、初めてぞ。」
舞は驚いた顔をした。
「まあ!マーキスと私、同い年?」
マーキスは舞を見た。
「そうなるか。グーラは人と同じだけ生きると言われておるからの。ちなみにキール達は我が三年ほどしか生きて居らぬ時に生まれたゆえ、17年しか生きておらぬがの。」
舞は、人型がこうして20代後半ぐらいに見えるので、そんなものかと思っていた。まさか、同い年だなんて。キール達なんて、高校生じゃないの!
「へええ、知らなかった!」
舞は、二日酔いの薬のボトルを閉めた。それにして本当に苦い。まだ味が口の中に残っている感じ…というか、絶対残っている。舞は、すがるようにマーキスを見た。
「マーキス、お水のボトル持ってない?」
マーキスは両方の眉を上げた。
「水?いいや。そこにあるではないか。」
目の前の噴水のことを言っているのだ。舞は首を振った。
「これは人の飲料用じゃないから。もうほんと、苦くって。まだ口の中に残ってる感じ。」
マーキスは興味深げに舞を見た。
「ほう。そんなに苦いのか。」と、舞に唇を寄せた。「どれ。」
突然に唇を塞がれて、舞はびっくりして固まった。マーキスが口内を通り過ぎて行き、離れた後、眉を寄せて言った。
「おお、本当だな!これは苦いわ!」と立ち上がったかと思うと、舞を引っ張った。「カフェとやらへ行こう!早よう何か飲まねばやってられぬ!」
舞は引っ張って行かれながら、思った。これ、ファーストキスだった…そう、ファーストキスだったの!この苦いのが!めちゃくちゃいい男だけど、それがキスだと分かっても居ないグーラと!