罠
その通路にも、罠はあった。
どうやら女神の間へ行く道というのは、他より厳重に守られているらしく、狭い通路のそこかしこにあのどす黒い光が見えた。
「ああ、そこも。」舞が壁を指した。「とにかく、壁には一切触れないで。あっちこっちにあるの。壁に触れないで、足元に集中して。私とナディアが踏んだ敷石以外は、絶対に踏まないで。」
メグが、長いスカートの裾を思い切りたくし上げて足元を見ている。
「めちゃくちゃ怖いんだけど…だって、自然に歩いたら踏みそうな所ばっかり駄目だって言うんだもの。」
ナディアが頷いた。
「そう、だから知らない者は罠に掛かってしまうのですわ。その、はずなんだけれど…。」
ナディアは、じっと先を見つめた。ここを確かに通ったのは、点々と落ちている血痕からわかる。だが、あの三人は全く罠に掛かっていない…。それは良いことなのだが、どうやって三人がそれを知っているのか、疑問だった。
シュレーが、気取って言った。
「今は、足元に集中しよう。とりあえずあの三人は無事にここを抜けて行ってるんだから。」
ナディアは頷き、また足元に集中した。段々と、通路が広くなって来る…もう、女神の間は近い。
突き当りに、一枚のドアがあった。その上に、「女神の間」と書かれてある。メグは、ホッとして言った。
「ああ、よかった。無事に辿り着いたのね。」
舞が、振り返った。
「気を抜かないで。あれは違うわ。」舞が言うのに、メグが驚いた顔をした。「私には、上に危険地帯ってサインが見えるの。あれはダミーよ。」
ナディアが頷いて、脇の像を指した。
「そこの像の向こう側が、本当の入り口ですわ。」と、慎重に足を運んで、像を押して横へスライドさせた。「この一見石の壁に見える所が、戸なのです。」
玲樹が、ふーっと長いため息を付いた。
「どこまで厳重にしてるんだよ。女神の間ってのは、そんなに特別な場所なのか。」
ナディアは頷いた。
「数少ない巫女が仕える特別な場所。巫女の知識と能力を狙って来る輩は古来から多かったのです。なので、絶対に侵入出来ないようにと考えられたのでしょう。」と、その石の壁を押して開いた。「さあ、女神の間ですわ。」
メグが、たくし上げていたスカートを降ろした。
「女神の間の中まで、罠は無いでしょうね。よかった、足元ばかり見て疲れていたの。」
圭悟達がそちらへ向かうのを見届けていた舞が、振り返って叫んだ。
「メグ!杖!」
「え?」
右手に持っていたメグの杖の端が、裾を降ろした時に傾いて壁に軽く当たった。途端に、その辺り数メートルの床がバタンと開いた。
「きゃ…!」
メグが、悲鳴を上げる余裕もなく落ちる。シュレーが慌てて手を掴んだ。
「メグ!」
「シュレー!」
玲樹が、慌てて戻って来てシュレーの腰を掴んだ。その玲樹の腰を、圭悟が必死に掴む。シュレーは、体のほとんどが穴の方へ落ちていて、玲樹が上半身が下へ引っ張られている状態だった。
「駄目だ、重い!引っ張り上げてくれ!どうにもならん!」
玲樹が叫ぶ。圭悟も歯を食いしばりながら言った。
「オレだって留まってるのがやっとだ!」
宙ぶらりんの状態のメグは、足元を見てゾッとした…下には、魔物は居なかったが、様々な人の屍が転がっていたのだ。骨になっているものあれば、新しいものもあった。壁には、落下では命を落とさなかった者達が付けたであろう爪痕が生々しく残っている。必死にここから逃れようとしたのだろう。メグは背筋を冷たいものが流れる気がして、必死に叫んだ。
「早く!ここ駄目よ!落ちたら出られないのよ!いっぱい居る…みんな死んでる!いや!」
シュレーが叫んだ。
「じっとしてろ!皆一緒に堕ちるぞ!」
そういうシュレーにも、下の様子ははっきり見えていた。キールとリークが圭悟を引っ張った。
「我らが上げる!手を離すな!」
グイと引っ張られる力を感じて、玲樹が唸り声を上げた。
「ゆっくりやってくれ!シュレーとメグの重みがオレの腕にかかってるんだ!」
圭悟も苦痛の声を上げた。
「それにお前の重さまで加わってるんだ、オレには!我慢しろ!」
キール達は慎重に引っ張った。まず、圭悟が解放され、玲樹がシュレーの半身と共に上がって来て、最後にメグが、ぶるぶる震えながら上がって来た。キールがサッとメグを抱き上げると、床の敷石を器用に飛んで石像の前の戸へと降ろした。
「…危ないところぞ。一瞬の気の緩みも許されぬ。」
玲樹と圭悟が肩で息をしながら、足元を見て言った。
「この辺りに罠が無くて良かった。オレ達まで別の罠にやられてるところだ。神殿だってのに…なんて恐ろしい所なんだよ。」
玲樹は、それでもふらふらと足元に気を付けながら石像の所へと来た。圭悟とシュレーが来るのを見て、舞がシュレーに寄った。
「ああシュレー…!よかった、ありがとう。」
シュレーは、頷いた。
「玲樹と圭悟が咄嗟に動いてくれてなければ、オレもメグと一緒に今頃あの下だったろうな。」ふと見ると、ギギギ…と不気味な音を立てて、その床の穴は閉じた。シュレーは、肩を竦めた。「…一定の時間になったら、閉じるのか。危ない所だった。」
メグは、まだガタガタと震えている。ナディアが、その背を擦った。
「メグ、もう大丈夫よ。ほら、もう一つの扉をくぐれば、女神の間だから。」
石像の後ろの戸を抜けた場所には、狭い部屋があり、正面に二つの戸があった。一つは女神の間、一つは、忘却の間と書いてあった。それは緑色のサインで、巫女以外には見えないものだった。
「…忘却の間?何かしら。」
舞が、ナディアを振り返って言う。ナディアは、首を傾げた。
「我も知りませぬ。知らない場には、入らない方が良いわ。また、サラ様にお会いする機会があったら、聞いてみましょう。」
舞は頷いて、迷いなく女神の間のサインの方を開いた。
そこは、とても大きなドーム状の部屋で、円形の階段が、正面の大きな女神ナディアの石像の立っている場所に向かって伸びていた。そこの空気は、これほどに入り込んでいるにも関わらずとても澄んでいて、舞は驚いた。そして、その石像の前に、見慣れた人影を見つけた。
「ああ!アーク!」
ナディアが、駆け出した。するとアークが、こちらを見てそれを制した。
「ならぬ!ナディア、その階段は…!」
ナディアが駆け出してすぐ、回りの壁が振動を始めた。ナディアは驚いて立ち止まる。見ると、足元の階段の隅には小さく数字が書かれてあり、ナディアが踏んで来た階段の数字が光っている。舞がそれを見て叫んだ。
「きっと、階段を下りる順番が決まっていたのよ!」
神殿全体が揺れているような振動がする。天井からは、ぱらぱらと小石や砂が落ちて来ていた。
「こちらへ!ここは崩壊するぞ!」
アークが叫ぶ。皆、一目散に女神の像の前に向かって駆け降りた。マーキスが立っていて、チュマが傍に浮かび、ダンキスが腕や頭を負傷して横になっていたのに、身を起こした。
「…ここまで無事に来たものを。」ダンキスが苦しげに言った。「抜け出すことは出来ぬか。」
舞は、後ろを振り返った。今来た道の戸は、真っ先に崩れて瓦礫になっている。きっと、ここまで来て気が緩んだ侵入者を、殲滅させるためにこんな仕掛けがあるんだわ!
天井が崩れ始めて大きな瓦礫が降って来る。背後の女神の像も揺らぎ始めた。
「こっちへ!」圭悟が、女神の像の台座の下を指した。「早く!」
皆は、その頑丈そうな造りの台へと駆け込んだ。そういえば、ラキに襲撃されたミクシアで、巫女の侍女が台座に入って難を逃れたと言っていたっけ…。
「きゃああ!」
目の前に、女神の像が崩れ落ちた。その破片がこちらへも飛んで来る。いよいよ揺れば激しくなって来て、天井からも大きな瓦礫が落ちて来て激しい音を立てた。頑丈そうな台座の横も、亀裂が入った。
「…まずい。このままじゃここももたないぞ。」
シュレーが、舞を引き寄せて抱き締めた。舞は、シュレーに抱きしめられながら、硬く目を閉じた。このまま、ここで下敷きになるんだろうか…。マーキスが、天井を見上げる。そこは、天井が崩れて二つの月が見えていた。
「…外への出口が開いておるぞ!」
圭悟も玲樹も、上を見た。確かに開いているが、そこは、50メートル以上も上だった。
「出口って、あれは違うだろうが!グーラだったら出口だろうが。」
マーキスはフッと笑った。
「オレは、そのグーラよ。」と、キールとリークを引っ張って、瓦礫が収まった場所を見て外へ飛び出し、チュマに手を差し出して上を見た。「チビ!やれ!」
チュマが、光り輝いた。三人の人型は、見る間に三体のグーラになって、翼を翻した。
『乗れ!急げ!』
皆は、手近なグーラに目掛けて突進した。アークとシュレーはダンキスを引きずるようにして抱え、マーキスに飛び乗った。
『行くぞ!頭を下げて掴まっておれ!』
三体のグーラは、落ちて来る瓦礫を避けながら垂直に飛んだ。皆はほとんどグーラの首にぶら下がっているような状態で、地上へと飛び出した。