結婚
次の日、舞とナディアはたくさんの古来の術を習っていた。それが、巫女の力というものを使うと、命の気を使うより簡単に術が発動する。主に守りの術や、相手の守りを破るような術ばかりで、攻撃技はなかった。これを使ったら、簡単にシールドを張れるので、戦いの最中でも使えると舞は思って必死になって覚えた。
途中、お茶を飲んでいて、舞は聞いておかなければならないことを思い出した。
「そういえば、サラ様。女神ナディアの石とは、どういった物ですか?」
サラマンテは、遠い目をして答えた。
「そうよの、色は光るような緑。透き通った美しいもので…我が見たことがあったのは、まだバークの神殿の女神の間の台座にはまっている時だったので、平たく丸かった。先輩の巫女に、あれでも一部しか見えておらぬのだと教わったの。なので、全体の形は分からぬのだ。傍に寄れば、命の気を引き付ける物なので、感じで分かると思うが、我も力が弱まってしもうて。なかなかに気配を辿れぬのじゃ。」
ナディアは、考え込むような顔をした。
「一つでもあれば、その気を覚えて我らにも気配を探ることは可能かもしれませぬが、今は探ろうにも自分が知らぬのであるから…難しいですわね。」
舞は、頷いた。装置にはまっているのを、抜いて見るしかないのね。
失われたという二個の石を思うと、気がはやった。早く、探しに行かなければ…誰かが、取ってしまう前に…。
「さて」サラマンテが、立ち上がった。「では、午後はおさらいをしよう。もう、新しいことを教える時間は残っておらぬ。役に立つだろうことは、皆主らに伝えたと思うゆえ。今のままでは、頭では分かっておっても咄嗟に出ぬであろう?なので、使う練習をしようぞ。」
舞とナディアは真剣な顔で立ち上がった。実際に使えなければ意味がない。
そして、午後からは必死に術を出すことに専念した。
一通りのことも終わり、サラマンテからやっとダメ出しが出なくなった頃、もう辺りは夕暮れだった。
サラマンテは、二人を見て微笑んだ。
「よく頑張ったの。此度の旅は、これで参るが良い。しかし、旅が無事に終わった時には、再びここへ来て我の命が続く限りこの知識、学びに参るのだぞ。もう、世には我らのほかに巫女は居らぬ。その重さをしかと胸に留めるが良いぞ。」
舞とナディアは頷いた。サラマンテは頷いて、舞に言った。
「では、マイ。主はもう良い。」
ナディアが、戸惑った顔をした。
「サラ様?我は、何か悪かったのでしょうか。」
サラマンテは微笑んで首を振った。
「そうではない。主は、他に知らねばならぬことがあるのよ。」と、舞を見て頷いて続けた。「なので、主はあと少し残るが良い。何、時は取らぬゆえ。」
舞は、サラマンテに例の結婚のことについての説明を、先に頼んでおいたのだ。サラマンテは驚いていたが、すぐに快諾してくれた。おそらく、そのことだろう。
舞は、まだ戸惑っているナディアを残して女神の間を後にした。
階段を上がって、裏口から外へ出ると、もうシュレーが待っていてくれた。
「マイ。」と、回りを見た。「殿下は…例のあれか?」
舞は頷いた。
「きっと、今サラ様が話してくださっていると思うの。思えば、一番適任よね。サラ様なら素直に聞けるし。」
シュレーは、歩いて来たアークに言った。
「ああ、アーク。殿下はもうしばらく掛かるそうだ。どうする?ここで待っているのか。」
アークは頷いた。
「お主がここまでマイを迎えに参るので、オレも来ないと拗ねるのだ。良いよ、待っておるし。」
シュレーは、話しを聞いたナディアの反応が分からなかった。なので、先に言っておこうと思った。
「アーク…話しておこう。実は、殿下が結婚のことについて何も知らないのは、お前も知っているのだろう。」
アークは、驚いた顔をしたが、ふーっと長く息をついた。
「ああ。何も知らぬ。おそらくそんな教育も受けず、城の奥で育ったからであろうがな。」
シュレーは、舞を見た。そして、アークに視線を戻した。
「舞が、それではこれからに支障が出るだろうと、サラマンテ様にそういったことの説明を頼んだのだ。今、さりげなくサラマンテ様が話してくれておるのだろうと思う。出て来た時、どのような反応をするのか、オレにも分からないが。」
アークは、表情を硬くした。そして、また緩めた。
「…そうか。知らないではいられないからな。良い。まあ、それでどうなるのかは気になるが、それで駄目なようなら、最初から結婚など無理な話であったのだ。ここで待っている。」
シュレーは頷き、舞と共にそこを離れたのだった。舞は、アークは勇気があるなあと思っていた…あれほどに仲がいいのに、それが壊れるかもしれなくても、ああして落ち着いて待っていられるなんて。
この世界の住人の戦士達が、皆一様に強い精神力を持っていることを、舞は実感し始めていた。
日も暮れた頃、ナディアはやっと神殿から出て来た。座っていたアークは、黙って立ち上がった。
「アーク…。」
ナディアが、まだ呆然とした感じでアークを見る。アークは苦笑した。
「時を取ったようだな。帰るか?」
ナディアは頷いた。そしてアークが歩き出すと、その後ろについて歩いた。いつもなら、無邪気にはしゃいで手を繋いで来る。アークは、ナディアが知った事実に戸惑っているのだと思った。
「…もう、皆は食事を終えているだろう。ナディアは、空腹ではないか?」
ナディアは首を振った。アークは、努めて何もないように振る舞った。
「そうか。しかし、明日はダンキスも戻って来て、昼には発つし、力をつけるためにも食べなければ…」
すると、見えて来た家を前に、ナディアは立ち止まった。
「アーク…話があるのです。」
アークは、驚く風でもなく頷いた。
「では、どこへ?ここでは駄目か?」
ナディアは、歩いて来た後ろを指した。
「神殿の横に、修行の間が。侍女達が使っていたらしいのですが、今は誰も居らぬので…。」
アークは、そちらを見た。確かに、小さな石造りの建物がある。アークは、そちらへ足を向けた。
「参ろう。」
そこへ歩いて行く間、ナディアは一言も話さなかった。アークは覚悟していた…子供の約束のようなもの。ナディアが破棄したいと言うなら、それも笑って受けよう。
重い石の戸を開けて入ると、中はほんのり月明かりで明るかった。天窓から漏れている明かりのせいだった。回りは簡素で、侍女達が修行しながら生活していたのが伺えた。テーブルやベット、椅子などがあったからだ。そこへ足を踏み入れると、アークはナディアが話始めるのを待った。ナディアは、話そうと思っているようだが、うまく言葉が出ないようだった。
それでもアークが待っていると、ナディアはやっと小さな声で話し出した。
「アーク…我は何も知らなかった。サラ様に、結婚というものの、本当の意味を聞かされました。我は子供だった。何も知らずに、アークにあのように申して、アークはさぞ呆れたでしょう。」
アークは、首を振った。
「良いのだ。別にオレは、気にしていない。ナディアがいいようにすればいい。」
ナディアは、迷っていたようだが、顔を上げた。
「アーク…我で良いですか?我は何も知らぬ。」
アークは驚いた。どういうことだろう。
「ナディア…?」
「我は、アークに嫁ぎたい。」ナディアは、顔を上げて一生懸命言った。「今から、我を妻にしてください。」
アークは、絶句した。ショックで嫌になったのではないのか。
「ナディア…それは…」
ナディアは言った。
「明日から旅に出るのです。お互いに命の保証もありませぬ。アーク、我はもしも死する時、確かにあなたの妻でいたいのです。なので、今夜しかないのですわ。」
アークは、ただ驚いてナディアを見つめた。そんな決心をしたのか。僅かの時間で、ここまでついて歩きながら、そんなことを考えていたのか…。
「ナディア…。」
アークは、ナディアに歩み寄った。ナディアは手を前に組んで、ぶるぶる震えていた。アークは、そっとナディアを抱き寄せた。
「オレも、もしも死ぬなら主の夫でありたい。」と、ナディアの目を見つめた。「だが、守り切ってみせる。この旅の終わり、必ず二人でライナンへ帰って、共に暮らそう。」
ナディアは、頷いた。
そして、二人はその夜、そこで共に過ごしたのだった。