合
その日は、訪れた。
舞は、朝から空を見上げていた。今夜の月は、重なって一つになる。その時、ディンダシェリアと自分達の世界との繋がりが絶たれ、自分達は戻れなくなる。あちらの世界に帰った者達は、こちらへ来られなくなる。つまりは、もうお互いに二度と会えなくなる確率が非常に高かった。
舞は、迷わずこちらに残ることを選択した。マーキスと、こちらで幸せに暮らして行く。元々、それを望んで戦ったのだ。
玲樹は、ダッカの長の家の居間で、窓から空を見上げて言った。
「ああ、これであっちへ帰れなくなるな。」玲樹は、苦笑した。「なんだろうな、あっちを捨てるとなると、惜しくなったりするんだよなあ。何しろ、生まれて生きて来た場所だからよ。それを、一気に手放すわけだし。」
舞は、同じ気持ちで頷いた。
「でも、私はこちらで何を捨ててもいいって思える相手に出会ったから。」と、マーキスを見た。「こっちで、新しく家族を作って、幸せになるの。もうきっと、一生こんな相手には出会えないと思うから。」
マーキスは、フッと笑った。
「オレとてそうだ。主が帰ると言ったなら、オレも付いて参ろうと思うておったほどよ。いつまでも共にの。」
玲樹は、はいはい、と手をぱたぱたさせた。
「そうかい、お熱いな。お前ら見てると早く結婚しなきゃって気になっちまう。オレ、しばらくシュレーを頼ってバルクへ行くつもりだ。あっちに住んで、セリーンに旅の話でもしながらゆっくり過ごすさ。」
舞は、玲樹を見た。
「あら。セリーンと結婚するの?」
すると、マーキスが言った。
「ならばオレの母の姉であるから、主がオレの縁戚になるの。…少し複雑であるが。」
「どういう意味だ。」玲樹は、圭悟を見た。「なあ、圭悟。お前はこのままダッカに住むのか?」
圭悟は、首を振った。
「オレは、帰る。」
玲樹は、固まった。皆が、息を飲んで圭悟を見た。
「え…」玲樹が、やっと口を開いた。「帰る?ってシオメルか?」
圭悟はまた首を振った。
「違う。あっちの現実世界へさ。」
舞が口を押さえた。メグが、言う。
「私も。」と、思い切ったように皆を見た。「あっちへ帰るの。」
玲樹が、メグと圭悟を交互に見て、言った。
「帰るって…なんでだよ!やっとこっちで楽に暮らせるようになったってのに!」
メグは、下を向いた。圭悟が言った。
「あっちへ帰って、あの現実を生きたい。そう思ったんだ。あっちも、オレは中途半端に放って来たままだ。こっちをこうして精一杯やり遂げたなら、あっちもきちんと片を付けて来たいと思うんだ。」
舞が、必死に言った。
「でも!もう会えなくなるのよ!」
圭悟は、笑った。
「会えるかもしれないじゃないか。あの、王立研究所のことを聞いただろ?こっちの人達が、開発してあっちの世界へ来てくれるかもしれない。オレは、それまでにあっちをきちんと整理して、待つつもりだ。」
玲樹が反論した。
「そんなの、あと何十年掛かるかわからねぇって言ってたぞ!お前、そんな不確かなものを待つっていうのか!」
圭悟は、頷いた。
「ああ。待ってるよ。オレ、何事もいい加減に終わらせるのは好きじゃないんだ…あっちで、お前達が迎えに来てくれるのを、待つことにする。」
メグも、頷いた。
「ごめんね、玲樹、舞。私は、あっちの方が向いてると思うんだ。だって、体を使うことにあまり慣れないし。でも、こっちへ来てしまうから頑張っていたんだけど。あの世界で、頑張って生きることにするよ。またこっちへ来れるようになったら、きっと会いに来るから言ってね。」
圭悟がメグを見た。
「そうそう、二人で思い出話なんかしながら、皆が来るのを待ってるよ。記憶はあるんだからな。死んで帰る訳じゃなし。」
玲樹と、舞は、顔を見合わせた。それが、この二人の結論なのだ。
「わかった。」玲樹は、言った。「オレ、またラピンへも行くし、あの研究所にも良く立ち寄ることにする。それで、転送装置が出来たらすぐに迎えに行くから。待っててくれ。」
圭悟は、玲樹と握手を交わした。
「ああ。待ってるよ。」
玲樹は、涙ぐんだ。
「急かせるからな。お前も、あっちの整理とやらを急いでやっておけよ。」
圭悟は、笑って頷いた。
「ああ。」
舞は、メグと抱き合って言った。
「メグ…本当にいろいろありがとう。きっと、また会おう。年賀状は出せないけど。」
メグは泣きながら笑っていた。
「うん。きっと忘れないから。あっちで、私も結婚してみせるわ。舞に遅れを取っちゃったからね。次に会う時には、お互いのダンナと子供を見せ合いっこね。」
舞は、空を見上げた。泣いても笑っても、圭悟とメグとは、夜まで。夜になって月の合が始まれば、二人は帰って行ってしまう。次は、いつになるか分からない…。
舞は、とても悲しくなった。圭悟には、本当にいつも気遣ってもらって、助けられた。メグには、不慣れなこの地で女がどうやって生活して行くか教わった…。
舞は、夜が来るのが、怖かった。
アレスとダイアナは、メクの集落へと帰っていた。
アレスの発表を、誰一人として反対することはなく、かえって長老達には歓迎されて、もしもの時は集落を出ようと決めていたアレスは肩透かしをくらった。何のことはない、長老達は血筋よりも何よりも、誰もが従い、この集落を引っ張って行けるほどの技量を持った者を王にと定めたかっただけで、目の色がどうのという話は、ただダイアナという女王では心もとないとただこじつけて言っていただけなのだということが分かった。
仕方なく、アレスは女王の座を降りたダイアナの代わりに王となり、ダイアナを妃に賢く統治していたのだった。キールのことは、本人の希望で皆には伏せた。キールは、生まれながらにグーラの里で育ったのではないし、今更グーラのような生活をしろと言われても無理だったのだ。それに、最近では人で居るほうが多くなり、人の方が興味を持っている。自分の血の中にもある、人の血が、きっとそうさせるのだと思い、キールは思いのままに生きようと、ダッカでダンキスの元、他のグーラ達と村のために働いていた。もちろん、マーキスも一緒だった。キールには、それが一番向いているように思えた。
そんなダイアナとアレスが、メクから揃ってダッカへとやって来た。月の合が始まる…二人は、あの戦いの仲間の中で、あちらの世へ帰る者が居てはならぬと、わざわざ飛んで来たのだった。
夕暮れの中で、メグと圭悟が立っていた。もうすぐ、月の合が始まる。村中の者達が、二人を見送りに出て来ていた。
「圭悟…必ず、行くから。」玲樹は、涙ぐみながら言った。「何十年掛かっても、絶対開発させるからな。それまで、じいさんになっても死ぬんじゃないぞ。」
圭悟は、頷いて玲樹の肩を叩いた。
「そんなに思いつめるなよ。オレはそうそう死なないぞ?」
舞が、同じように涙ぐみながら言った。
「圭悟…本当にありがとう。いつもいつも、助けられていたわ。私も、絶対に迎えに行くから。メグと一緒に、待ってて。住所、分かるようにしててよ。」
圭悟は頷いた。
「ああ。なるべく引っ越さないようにするよ。ま、今のは親の持ち家だし引越しはしないと思うけど。」
メグが頷いた。
「じゃあ私の居場所は、圭悟に知らせておくようにするわね。結婚したりしたら、きっと住所がかわっちゃう。」
舞はメグを見た。
「ええ。結婚式に行けないのが残念だわ。」
「写真撮っとくわ。」
メグは、ウィンクした。マーキスが、空を見上げた。
「そろそろだぞ。」
暗くなった空の中、二つの月がゆっくりと重なり合って行く。皆が口々に叫んだ。
「圭悟!世話になったな!」
アレスと、アークが叫んでいる。
「また、絶対に会おうぞ!」
ダンキスの声も聞こえた。
「あっちでも、元気で居ろよな!あ、店の車検の件数、多分お前の机の中に入れたままだから!忘れんな!」
玲樹が、涙でくちゃくちゃの顔になりながら言っている。圭悟は、自分の体が光に変わって行くのを、感嘆のまなざしで見ながら、言った。
「またな!」声が、段々に遠くなる。『ありがとう!みんな!』
メグと、圭悟はついに光に変わり、そうして、天へと昇って消えて行った。舞は、それを見上げて思った…これで、終わった。新しい生活が、今本当に始まるんだ。これから、私達はここで根を張って行くんだもの。
涙で霞むその先には、再び二重になり始めた月が見えていた。