別の戦い
ダイアナとアレス、トゥクは、墓所から出て来て玲樹達を待っていた。ダイアナは、涙を拭いて、すっきりとした顔をして微笑んでいた。アレスが、言った。
「女王、あなたはアーシアではないのに。」
ダイアナは、頷いた。
「そうよな。だが、あの瞬間、アーシアならこう言ったであろうと、確かにわかったのだ。レイは、長く苦しんだのだろう…アーシアにしたことを。だが、アーシアはきっと、もう気にしておらぬ。レイは、命で償っておったではないか。そして、我らを恨んでもいなかった。我にしてやれることは、あんなことしかなかったゆえ。」
アレスは、その晴れ晴れとした笑顔を見て、ためらいがちに頷いた。
「女王がそのようにおっしゃるのなら、良いのだが。」
トゥクが、背後から、ポツリと言った。
「その…ダイアナ。」ダイアナとアレスは、驚いて振り返った。トゥクが、話し掛けて来た。「レイのこと、送ってやってくれて、感謝する。」
ダイアナは、しばらく驚いたようにトゥクを見ていたが、その目を見て、微笑んだ。
「そのような。我も、感謝しておる。この身のことを、知ることができた。主らの祖先が心安くなったのなら、良かった。」
トゥクは少し恥ずかしげに下を向くと、離れて行った。ダイアナは、アレスを見上げた。
「アレス…何やら、良き事よな。我ら、もしかして今たくさんの事を成しておるのではないか?」
アレスは、ダイアナを見た。
「たくさんの事と申しますると?」
ダイアナは、空を見た。
「王のルーツ、この地の歴史、諍いの真実を知る。そして、誤解を解くことを。素晴らしいであろう?」
アレスは、心底嬉しそうなダイアナを見て、苦笑しながら頷いた。
「はい。そうでございますな。」
ダイアナは、続けた。
「しかし…想いというものは、とても複雑で、しかし単純で、矛盾したものであることよ。相手の幸せを願うはずが、しかし己のことも御しきれず、レイは…悩んだのであろう。相手を幸せにしたい。だが、相手が思うのは違う男。自分の気持ちと、相手の幸せ。レイも、アーシアにもっと早くに想いを伝えていたならば、別の結末もあったやもしれぬ。アーシアは、困難な恋愛よりも身近な優しい男を選んだやも…そもそも、アーシアが我らの王に嫁いで、幸せであったのかは記録にない。もしかして、馴染めず苦労したやもしれぬしな。我は…結局はレイという男にも、幸せであって欲しかったゆえ、このようなことを考えるのかもしれぬが。」
アレスは、それを聞いて黙った。レイ…もしかして種族は違うが、主の気持ち、少しは分かるのかもしれぬ。
ダイアナは、アレスを見上げた。
「我は恋など知らぬから。ただ金色の瞳の相手を探さねばとそればかりで。キールは我を想うてはおらぬだろう。我とて分からぬのだし。婚姻に幸せなど、求める立場でないゆえに。このまま誰も愛さぬ方が良いのかもの。」
まだあどけなさが残る顔で、ダイアナは言った。しかし、その顔は寂しそうだった。まだ17年しか生きてはいないダイアナ…。王のためにと自分は女王にと推し、その立場の安定を目指してキールを探し当てた。だが、それがこの幼い女王にとって、良かったのだろうか。もしかして、自分は不幸にしようとしているのではないのか。誰よりも幸福にと、女王にした、ダイアナであるのに。
アレスは、ただ戸惑いながら、前王のことを思い出していた。
アレスは、父親も兵隊として王のすぐ下で戦っていたので、自然と幼い頃から王の側近くで過ごした。父が歳を経て二人目の妻との間に自分をもうけたので、アレスがまだ10年生きたぐらいの時に戦いで亡くなった。その頃に生まれたのが、王女ダイアナだった。
王は、アレスを護衛にと選んだ。幼い王女や王子には、いつもアレスぐらいの歳の兵隊が、最初は遊び相手として、後に護衛として生涯守れるようにと付く習わしになっていたからだ。かくいう父も、王が誕生してからずっとついて来た兵隊だった。
父は、王のことを守ろうとして亡くなったのだと聞いていた。若い頃なら歯牙にも掛けなかっただろう、人の魔法術に射たれたのだと聞いた。王と父が、二体だけで出掛けることは珍しくはなかったが、二体で遠出した先での事だった。王は、傷こそ負ってはいなかったが、それですっかり老け込んでしまい、それからしばらく、病を常に患っているような状態になった。そうして長く病づいた後の二年前、ついに王は亡くなったのだ。王は、亡くなる前の病床へダイアナとアレスを呼んでこう言った。
「もはや、我の血筋はこやつのみ。王の血筋を守り、よくよくこやつを頼んだぞ。」
それは、ダイアナを弑て王座に就こうとするものが出ないように、自分に守れということだと、アレスは思った。そして王が亡くなった後、まだ15年しか生きていなかったダイアナを、一族でもっとも力のあるものとして発言力のあったアレスは、女王に推した。誰もが、アレスを王にと言ったにも関わらず、全てを押さえつけて自分からダイアナにひれ伏したのだ。
アレスは、王座など望んでいなかった。ただ生まれたその日から、共に過ごして守って来たダイアナを、どうしても幸せにしたかったのだ。それには、王座に就くのが最善だと思っていた。
しかし、ダイアナへの風当たりは強かった。まだあどけないダイアナを、女王らしくあれと教え導いたのはアレスだった。それでも、長老達の声を抑えられなくなって来た…ダイアナは、前王のように先頭に立って戦う事が出来なかったからだ。
「何より、王女の瞳は金色ではない。」長老の一人が言った。「王は代々、あの滅多に現れることのない、金色の瞳であるはずなのだ。確かに王女が王のお子であることすら、疑わしいものよ。」
アレスは、そんなことを耳にした。確かに、王女は緑の瞳。その上、これまでの王族の男子が生まれた時は、卵がほんのり金色だったのに関わらず、女であったので皆と同じ白色だったことも、影響しているようだった。しかし、歴代の王の中には、女王も居た。そして、女王は、金色の瞳の雄を夫として、その王子はやはり、金色の卵で金色の瞳だったと言われていたのだ。
アレスは、ダイアナに言った。
「女王、金色の瞳の同族を、確かに見つけることが出来れば、女王に異論を唱えるものは居なくなりまする。我が探して参りまする。その男を夫として、ここへ迎えるのです。」
ダイアナは、少しためらったような顔をしたが、いつでも守って来てくれたアレスの言うことなのだからと、その通りに進めることを許した。
そして、あの日あの金色の瞳の同族が、禍々しい気が立ち上る人を掴んで飛んで行くのを発見して、兵隊達を方々へ派遣して居場所を突き止めた。
それが、あのダッカのダンキスのところだったのだ。
アレスは、傾いて来た日を見つめながら、思っていた。金色の瞳のキール。あの男と女王の間に金色の瞳の王子さえ生まれれば、女王はまた、心安く過ごせるのだとばかり思っていた。だが、女王は今、こうして寂しげに物思いに沈んで座っている。女王の幸せとは、何なのだ。信じて来た女王の地位の安泰こそがそうだという考えは、間違っていたのか…。
「アレス?」
透き通った声が呼んだ。アレスは、ハッとしてそちらを見た。ダイアナが、気遣わしげにこちらを見上げていた。
「何やら難しい顔を。主は昔からそうよ。まだ子供であった頃からそのように眉間に皺を寄せて、我の話など半分ほどしか聞いておらなんだであろう?」と、くすくすと笑った。「のう、退屈になって参った。かと言って昔のように飛び回って遊ぶのは、主は許してくれぬであろう?我らもあの建物に参らぬか?」
無邪気に目を輝かせて言うダイアナに、アレスは思わず微笑んだ。
「では、お供致しましょう。」
ダイアナは頷いて、先に立って歩き出した。アレスはもう、17年もして来たように、ダイアナの背を見て付いて行った。