空間
ぼんやりと光るレイは、悲しげに瞳を上げた。
『…あれから、我はずっと夢を見ておった気がする…ただ、アーシアを待って。アーシアに、詫びねばならぬと、そればかり…。』と、ダイアナを見た。『ああアーシア。許して欲しい。ただ、我は主を愛していただけなのだ。ただ、主の姿が変えられてしまうことが耐えられなかった。自分の手の届かぬところへ行ってしまうことが、耐えられなかっただけなのだ。』
ダイアナは、ずっとアレスの影に隠れていたが、顔を上げたかと思うと、アレスの後ろから出た。アレスはびっくりしてダイアナを見た。ダイアナは、言った。
「もう、良いのです。あれから時は経ちました。皆があちらで待っておるのです。あなたも、参らねば。」
トゥクが、驚いた表情でダイアナを見ている。レイは、涙を流した。
『おお、そうよの。アーシア…愛している。願わくば、また会えることを。』
ダイアナは、頷いた。
「はい、レイ。きっと、会えまする。」
レイは、微笑んで涙を流しながら頷いた。そして、トゥクを見て頷き掛けると、上を見上げた。天井よりずっと上を見ているようだった。
そうして、光がレイを包み込んだかと思うと、レイは微笑んだままスーッと消えて行った。
それを見送ったダイアナは、涙をこぼした。
静かな空間の中、トゥクはただただ呆然と佇んでいた。
玲樹と、アークは、ナディアとメグ、ヘリオスを伴って王立空間研究所へと足を踏み入れていた。
最初、ナディア以外は、部外者の立ち入りは禁止だと言われた玲樹達だったが、バルクへリシマと共に戻っているリーディスに問い合わせ、即許可を与えられて、やっとのことで中へと入れてもらえた。規律に厳しそうな所だったので、玲樹は後ろに下がって、もっぱらアークが前に出て話すことにした。
「ここは、何の研究機関であろうか?一言に空間と言うても、様々あろうと思うが。」
長い廊下を歩きながら、アークは言った。この研究所の責任者だと言うハンツという40代ぐらいの男は答えた。
「ここは、異世界から来たという者達の、その異世界というものと、このディンダシェリアが、一体どういうつながりであるのかという疑問から始まった研究を、専門的に行なう機関として作られました。」ハンツは答えた。「皆突然に来て、突然に帰る。その仕組みを調べようとするうちに、皆空間を抜けるようにしてこちらへ来ておることが、消える瞬間の空気や気、波動、それに熱などの計測によって判明しました。これを詳しく解明して行く事で、今まで無かったこちらからあちらへ行くということも可能になるかもしれない。また、あちらから来ておる者達も、自分の意思で行き来が出来るようになるかもしれない。そんな期待も込め、我々は研究しておるのです。」
玲樹は、感心して言った。
「すごい…あっちでは、こんな世界に来ている者達が居ることすら、来ている者達以外は知らないってのに。こっちでは、そんな研究をしているのか。」
少し不躾かと思ったが、ハンツは機嫌よく頷いた。
「そうなのですよ。あなたは、あちらから来たかたですね?ぜひ、戻る時を計測させてもらえたらありがたいのに。」
玲樹は、慌てて手を振った。
「いつ戻るかも分からないのに。ずっと、コードに繋がってるわけには行かない。」
ハンツは、ため息を付いた。
「そう、皆そう言うのです。ま、確かにそうなのですがね。被験者で、長い人で半年実験室で生活しておりましたから。」
玲樹は、身震いした。半年も閉じ込められるなんて、ごめんだ。
アークは、言った。
「それで、見て頂きたいデータがあるのだが。」
ハンツは、頷いた。
「陛下から聞いております。さあ、ここへ。」と、目の前に現れた戸を開いた。「私の研究室なのです。どうぞ。」
中へ入ると、若い白衣の女性が一人、コンピュータの前に座っていた。ハンツを見ると、立ち上がる。ハンツは、言った。
「私の助手の、カリンです。」と、カリンの方を見た。「こちらが、陛下のお客様の、アーク様、玲樹様、メグ様、ヘリオス様、そして、ナディア殿下。」
カリンは、頭を下げた。
「カリンと申します。バルクの大学で空間学を専攻して、教授と一緒にこちらへ参りました。まだ勉強し始めて3年ほどにしかならないのですが。」
ハンツは、微笑んで首を振った。
「カリンは、とても優秀な生徒だったのですが、今では優秀な助手です。」と、アークを見た。「ところで、陛下がおっしゃるには、この世界を脅かす者と戦っていらっしゃる最中なのだとか。その敵が開発しているという兵器の設計図か見取り図か、何かお持ちなのだと聞きました。」
アークは頷いた。
「陛下からも聞いておるとは思うが、これは極秘裏に進めなくてはならない。民が不安になるといけないので。リーマサンデのリシマ王すら、その敵の魔の手からやっと救出されて来たほどであるのだ。」
カリンが、口を押さえた。
「リ…リーマサンデ?!」
アークは頷いた。
「そう、デシアももう敵の手に堕ちて…、」と、慌てて手を出した。「カリン殿?!」
「カリン!」
ハンツも、慌ててカリンを支えた。そして、二人で側の椅子へカリンを座らせると、メグが気持ちが落ち着く術でカリンを包んだ。
「カリン…だが、向こうでも全てが捕らえられているわけではないだろう。大丈夫だ。」
まるで父親のように、ハンツは言う。しかし、カリンは首を振った。
「でも!もう一年も音信不通だったのです。確かに、面白い研究を始めたとは連絡して来ていたけど…。」
玲樹が、控えめに問うた。
「知り合いが、デシアに?」
ハンツは、頷いた。
「ここで、カリンと共に私の助手をしていたのですが。リーマサンデには、たくさんの機械があると聞き、それを見てここへも幾つか導入してもらおうと、出掛けて行ったのです。とても優秀な男で…だが、楽しい便りがぷつんと途切れてから、もう一年になります。」
アークが、腕輪を上げた。
「確かに、それはご心配だろう。早く消息を知るためにも、このデータを見て頂いて、あれを解決させねばなりませぬ。」
ハンツは、ハッとしたように立ち上がると、慌ててアークを案内した。
「申し訳ありません。さあ、こちらへ腕輪を翳してください。」
アークは、そこに腕輪を翳した。すると、黒い画面に緑色の線で、何かの機械の図が出て来た。何やら一つ一つ矢印が書いてあって、注釈がついている。確かに圭悟が言っていた通り、専門用語らしく、何が書いていあるのか分からなかった。しかし、ハンツもカリンも、食い入るようにそれを見つめた。ハンツは、次のページへと移った。そして、ぷるぷると握った拳を震わせた。明らかに、顔色が悪い。
「ハンツ殿?」
アークが、声を掛けた。ハンツは、アークを見た。
「アーク様…これは、大変なものです。」
カリンも、震えながら言った。
「教授の研究が、使われているわ。」
玲樹は、カリンを見た。
「仲間が聞いて来たところによると、ミクスという男がこれの開発に関わっていたらしい。操られていて…しかし、我に返った時、これを止めようとして、どこかへ連れ去られて、行方不明だと聞いている。」
それを聞いたカリンは、今度こそ机に突っ伏して、泣き声を上げた。
「ああ!それがここに居たもう一人の助手ですわ!ミクス、私の婚約者なのです!」
メグが、慌ててカリンの背を撫でた。玲樹とアークが、顔を見合わせる。では、これは本当に空間を破壊する装置なのか。
「これは、確かに空間を破壊する装置なのか。」
アークが問うと、ハンツは、頷いた。
「正確には、穴を開けるというか。そういう装置です。この空間とあちらの空間は、膜のようなもので覆われていて、それぞれが風船のように自分の世界を包んでいると考えられています。そして、個々に別の、大きな何も無い空間に浮いておるものだと私は考えています。この装置は、こちらの空間に穴を空けて、その何もない空間へと抜ける道を作るもの。そして更に、あちらの空間にも、穴を開けることは可能だと思われます。しかし、全ては仮定上のことで、実際にはどうなるのか実験したことはありません。なぜなら、空間に穴を開けた時、そこからこの世界がそれこそゴム風船のように弾け飛んでしまわないとも限らないからです。」と、玲樹を見た。「あなたがたが、こちらへと行き来している方法を見つけたいと探しているうちに、このような結論に達して、出来た理論なのです。まだあなたがたの行き来の方法が分かっていない今、このように乱暴なことをして、もしもこちらの空間が消し飛んでしまったら…。」
アークは、ためらいがちにハンツを見た。
「確かに、我に返ったミクスは必死にこれの危険性を訴えていたと聞いている。」
ハンツは、ただ呆然とそれを見つめた。
「…それはそうでしょう。こんなものを、自分が作ったと知ったなら。あの時、リーマサンデに行くのを止められたら良かったのに。」
「出来たものを後から言っても仕方が無い。とにかく、これはどうすれば機動しなくなる?心臓部を、手っ取り早く不能にする方法を教えてくれ。」
玲樹が言うと、カリンは涙を拭いて、ハンツと、頷き合った。
「すぐに。ミクスが作ったものなら、私が必ず止めます!」
二人は、コンピュータに向かった。
玲樹とアークは、それを後ろで見守っていた。