不思議な世界という現実
案内された、村でも恐らく最上の客屋敷にいざなわれたダイアナは、眠れず外へ出て、二つの月を見上げていた。そこへ、アレスが来た。
「女王。眠れませぬか?やはり我らの集落へ一度戻れば良かったのでは。人型のままでは慣れぬでしょう。」
ダイアナは、アレスを振り返った。
「青緑の…」と言い掛けて、ダイアナは言い直した。「アレス。」
アレスは微笑した。
「我らだけなのですから。お好きなように。」
しかし、ダイアナは首を振った。
「なぜか名が良い気がする。主を呼んでいる、という気がして。」
アレスは、少し驚いた顔をした。
「では…そのように。」と、話題を変えた。「もうお休みにならねば。明日も早いのです。」
ダイアナは、また月を見上げた。
「…我は、あの女神ナディアが申した通り、人の血が混ざっておった。恐らく我らと話せたのだから、巫女というものであったのだろう。人の変げしたものが、我が血に繋がっておったのだ。」
アレスは、頷いた。
「そうでありますな。そして王も、そのまた前の王もそうでありましょう。しかし我らが王として、誰よりも知恵を持ち、力を持ち、君臨されて来たのです。その様なことをお悩みになることはありませぬ。」
ダイアナは、アレスを見た。
「我は、女王として相応しかったのか?父上は雄であられたし、良いとしても我は雌。人の血の方が濃いのでは…。」
アレスは首を振った。
「王のお子であるのに。」
「でも、我の瞳は緑だった。」ダイアナは、すがるようにアレスを見た。「父上も、その父も金色の瞳であられたのに…!」
「女王。」アレスは、強い声で言った。「ゆえにわざわざ、あの金色の瞳のキールを迎える事にして、あのように遠出したのでありましょう。誰も何も言わなくなり申す。子は恐らく金色の瞳でお生まれになるでしょう。ご案じなさいますな。我が必ず良いようにいたしまする。」
「アレス…。」
ダイアナは、潤んだ瞳でアレスを見上げた。アレスは少し身を震わせると、ためらうように横を向いた。
「さあ…お休みにならねば。参りましょう。」
ダイアナは頷いて、涙を拭ってアレスの前を歩いた。こうして守って来てくれたアレスのためにも、女王としての務めを果たさなければ。
アレスは、その後ろに付き従いながら、その背を見つめていた。
「シュレーとラキは、夜を待って今まであの洞窟に潜んでいたようだ。」圭悟が、シオメルの旅籠の、一階の食堂で言った。「アークと玲樹にも、無事繭を破壊したことは伝えた。あちらも身代わりの石を手に入れて、今ラピンで加工してもらっているらしい。加工に三日掛かるのだと伝えて来た。」
マーキスが、カップを手に言った。
「三日と。それは、シュレーとラキには伝えたのか?」
圭悟は頷いた。
「ああ。あちらもまだこれから行動するらしいから、皆と合流するまでにある程度の情報が欲しいからそのほうがいいと返して来た。このライン信号ってヤツは、ほんとに面倒なんだよ…でも、慣れて来たけどな。」
マーキスは、自分の腕輪を見た。
「いろいろな機能が備わっておることよ。人の知恵には感心しきりだ。のう、キールよ。」
キールは、何かを考えていたようだが、ハッとこちらを見た。
「ああ、はい、兄者。」
マーキスが、気遣わしげに言った。
「主、何か心配事でもあるのか。ダッカを出てから物思いに沈んでおることが多いの。」
舞が、口を挟んだ。
「ダイアナのことではない?圭悟から聞いているわ。私を助けるために、ダイアナと取引をしたのでしょう。女神ナディアを憑依させる代わりに、ダイアナと共にあちらへ行くと。」
マーキスが、同じくハッとしたようにキールを見た。
「そうか…すまぬ。オレがあの時、無理を申して…。」
キールは、首を振った。
「あれはオレが自分から申し出たこと。兄者のせいでもマイのせいでもない。ただ、オレの目が金色だというだけで、あのように安易に決めてしもうておるダイアナにもアレスにも、今一賛同できぬのだ。オレ自身を求めておるのではないであろう。ただ、この目の色が欲しいのだ。元よりオレとてダイアナと共になど考えることも出来ぬ。このような状態で、果たしてあちらでうまくやって行けるのかと思うての。何か、他に訳があるのではないのかと思う。」
圭悟が、ため息を付いた。
「確かにキールの言う通りだ。とにかく、約束したとは言っても一生のことなんだから、この旅が終わったらしっかりと話し合うべきだと思う。疑問に思っていることは聞いた方がいい。それで、納得がいかないなら断ってもいいんじゃないか。」
しかし、キールは頷かなかった。
「…約束は違えぬ。それに、もしもあちらが怒った場合、ダッカに報復がないとは限らぬだろう。なので、こちらの都合で断ることなど出来ぬよ。」
マーキスが、深刻な顔をして黙った。舞も、キールの言う通りだと言葉が出なかった。自分のことを助けようと、そんな犠牲を払ってくれたなんて…。舞は、いたたまれなかった。
しかし、圭悟は言った。
「キール、結婚はそんなに簡単なことじゃないんだ。目が金色だろうと緑だろうと、一緒に居たいと思うものと添い遂げるのがお互いの幸せなんだよ。それは、キールだけでなくダイアナもそうのはずだ。だから、女王としてではなく、グーラとしてのダイアナは、何を望んでいるかなんだよ。オレは、そう思う。会ったばかりのキールを愛しているとは思えないし、話し合う時はオレも同席させてもらうよ。こういうことは、皆で話し合ったほうがいい。お互いが不幸になるような結婚は、絶対にしない方がいいんだから。」
キールは、圭悟を見た。そして、少しホッとしたように肩の力を抜いた。
「そうだな。ケイゴ、主の言う通りよ。その時は、主にも同席してもらおうぞ。」
圭悟は、満足げにうなずいた。
「任せてくれ。自分のことはあんまりなんだけど、他人のことは得意だっていつも友達にも言われて来たんだ。」
そんな二人を見て、マーキスもホッとしたように圭悟を見た。
「頼むぞ。主はほんにこういうことに優れておるの。出逢った頃から思うておったが。」
圭悟は、驚いたようにマーキスを見た。
「え、最初から?そうだったかな。オレ、マーキスに何か言ったっけ?」
マーキスは笑った。
「なんだ、己で気付かぬのか。オレにいろいろと説明して共に行くために説得したのは主ではないか。他は魔物扱いであったのに、主だけは最初からオレを仲間扱いした。あの頃、たかがグーラという空気が流れておったのにの。」
圭悟は、困ったように首をかしげた。
「そうだったか?」
舞が、ふふと笑った。
「圭悟は、いつもそうなのよね。」
黙って聞いていたメグが、舞に微笑み掛けた。
「そうね。あちらの世界でも、こんな感じ。いつも人の世話ばっかりで、損してるんじゃないかと思う時があったわ。玲樹が、やりすぎる圭悟を止めるんだけど。お客様にまでそうだったのよ?ほんと、相手のことばかり考え過ぎるんだから。」
舞は、あのカーディーラーを思い浮かべた。あのショーウィンドウの中で、忙しく働く圭悟を、こっそり見ていたのは、つい二ヶ月弱ぐらい前のことなのに…。
「…なんだか、現実社会が遠いわ。もう、ずっと前のことのように思う。」
メグは、頷いた。
「そうでしょう?舞は結婚までしちゃったんだもの、余計にそうよね。でも」と、メグは、ため息を付いた。「突然に戻されるわ。いつも、本当に突然に。おやすみなさいと寝て、目が覚めたら現実の、自分の部屋のベッドだったってこと、今まで何度もある。酷い時には、部屋のドアを開けて通ったら、そこは現実社会だったとか。遣り残したことがあったから、戻りたいと思っても、こっちへ思うように来れないの。半年ぐらい来れなかったこともあったわ。」
圭悟が、頷いて続けた。
「そう、あっちの仕事が混んでるから忘れちゃいけないし、こっちへ来たくないと思っても、目が覚めたらこっちに来てる時もあるしね。だから、分からないんだよ。」
舞は、ためらいがちにマーキスを見た。マーキスも、こちらを見ている。舞は、不安になった。マーキスを置いて、そんなに頻繁に行ったり来たりするの?私は…確かにお父さんやお母さんの顔も見たいけれど、マーキスと一緒に暮らしたい…。こっちで、本当に穏やかに。
不安そうな舞の頭を、マーキスは撫でた。
「そんな顔をするでない、マイ。大丈夫ぞ。オレは分かっていて主と結婚したのだからの。こちらで待っておるゆえ、案ずるな。」
舞は、それでも少し不安なまま頷いた。忘れてしまっていたけれど、ここは、どんな世界なのか知らない世界。自分は、あの現実社会で生まれて育って、そこで生活していた普通の女…。この不思議が、ずっと続くのかは、分からないのだ。