繭の中の魔物
管のような通路から、飛び出した六人はバラバラにその広い空間へ落ちて行った。しかし、回りは個別に膜に包まれていて、黒い霧のようなものにも干渉されることはない。その場に降り立った六人は、さっと二手に分かれた。後ろにチュマ、舞、メグ、前にマーキス、キール、圭悟が並んだ。目の前には、三体の見たこともないような、燃え上がるように黒い気をまとった、狼のような形の魔物が並んで待ち構えていた。圭悟は、それを見て言った。
「こいつら、デクスが作った魔物か。見たことがない。」
マーキスは頷いた。
「オレもぞ。気がデクスに感じたのとそっくりだ。あやつがこれを生み出すのに関与しているのは間違いない…」と、自分の剣を見た。「斬れるか?」
圭悟は、息を付いた。
「やってみなきゃわからない。」
キールが、剣を振り上げた。
「では、やってみようぞ!」
キールは、正面の魔物に斬り込んで行く。
メグが、後ろから回復魔法をいつでも使えるように構えている。舞とチュマは、膜が絶対に壊れないように、細心の注意を払って維持していた。
「己の気を込めたら、いける!」
キールが叫ぶ。どういう原理か分からなかったが、圭悟もマーキスもそれに倣った。気を込めて一気に太刀を振るうと、魔物は唸り声を上げてのけぞり、背の炎のような形の霧が小さくなった。
「よし、あと少しだ!」
圭悟が、手ごたえを感じて手を振り上げたその時、どこかからかすれた低いような高いような声が聞こえて来た。
《…そうか、お前は死にたかったのか。》
圭悟は、その声に一瞬止まった。
「…何か言ったか?」
横のマーキスは、首を振った。
「こんな時に、何を言っている?!ケイゴ、ボーっとするな!」
圭悟は、慌ててその幻聴を振り払うと、目の前の相手に向き合った。
《誤魔化しても駄目だ…怖いのだろう?また、失うのが。だから、何もかも忘れたいのだ。死にたいのだ。いいではないか、お前は死にはしない。帰るだけだ。あの女と、また出会えばいい。きっと、お互いに何も知らない方がまた一からやり直せるぞ。ケイゴよ。ケイゴ…こんなことをしなくても良いのだ。あの女の所へ、戻れ。》
圭悟は、剣を持つ手を震わせた。何を言っている…。
「どうして、知っている…?」
そう、隠していたのに。自分の心の奥底では、まだ詩織への想いが残っていた。思い切ったつもりでも、もしかしていつか思い出してくれる時が来るのではないかと、願っていた。だが、それが叶わないのも、知っていた。だから、またお互いに全てを忘れて、向こうの世界で再び出会ったなら、きっと今度こそ幸せになれるのではないかと…。でも、全て放り出して行けるほど、無責任にはなれなかった。だから、せめてこの旅の間、何かの役に立って死んでいけたらと…。
「ケイゴ?!」
マーキスとキールが、両側から叫ぶ。圭悟は、剣を持つ手を上げようとした。だが、うまく行かなかった。それでも、目の前の魔物に剣を突き入れた。
《さあ…オレが殺してやろう。そうしたら、勇敢に戦って散った男として語られよう…》
剣の先から、何かが伝って来るのが分かる。舞が後ろから叫んだ。
「ダメ!圭悟、入り込まれるわ!」
圭悟は、ハッとして剣を振った。だが、遅かった。
「ケイゴ!」
マーキスとキールが、自分の目の前の魔物を一気に片付けると圭悟に駆け寄った。舞が叫んで飛び出した。
「ダメよ!触ったら同じことよ!」とチュマに叫んだ。「チュマ!皆にまとめて膜を張って!」
チュマは頷いて皆を包む膜を急いで張る。舞は手を翳した。
「あんたなんか」と、一体残った魔物に向かって光を放った。「こうしてやる!!」
ドンッと大砲のような白い光が打ち出され、それは一瞬にしてその魔物を消し去った。ついでにそこの空間も、大きく穴が開いて先が見通せるようなる。マーキスとキールは目を見張った…巫女に攻撃魔法が足されたら、こうなるのか。
舞は、自分でもこんなに大きな浄化の光が出るとは思わなかったので驚いたが、急いで圭悟に駆け寄った。
「圭悟!しっかり!自分を見失ってはダメよ!すぐに浄化するから!」
舞の声が遠くに聞こえる…。
圭悟は、気が遠くなるのを感じながら、それを聞いていた。
気が付くと、そこは真っ暗な空間だった。なぜか、自分の回りだけが白く囲まれている。圭悟は回りを見回しながら、ためらいがちに立ち上がった。回りの囲む白い光は、自分の動きに合わせて形を変えながら尚も回りを囲み続ける。そこに、一人の男が歩み寄って来た。背は圭悟と同じぐらいで、髪は黒く目が金色に近い茶色で、顔立ちも東洋人に近い。知らないその男に、圭悟は問うた。
「ここはどこですか?」
相手は、答えた。
『ここは主の心の中。』その声は、低く落ち着いていた。『主は、普通の人のようなのに、心が誰より綺麗に澄んでおって、善良よな。なので、我はこうして表面に引き出された。あれが主に触れようとして、主が無意識に自分を守ろうと、我を呼んだのだ。』
圭悟は、眉を寄せた。意味が分からない。
「どういうことでしょう?あなたが誰かも知らないのに、どうやって呼ぶのですか?」
相手は、微笑した。
『主はの、どんなに悪い者であろうとも、命を取るということが出来ない性分なのだ。分かっているので剣を振るうが、心の芯、つまり主が今居るそこでは、助けたい、救いたい、何か希望があるはずだと探しておるのだ。それは、どんな最悪な相手であっても変わらない。主は、ここへ来る前誰と戦っておった?』
圭悟は、脳裏に浮かんだあの黒い魔物のことを思い出した。そうだ、自分はあれと戦っていた。
「…デクスの作った魔物と。」
相手は頷いた。
『その通りよ。あれはデクスの作った魔物ではない。デクス自身の命を分けて作った、いわばアディアと同じ命であるな。なので、あれはデクスであった。』
圭悟は、納得して頷いた。だから、自分はあの声を聞いたのだ。デクスは、その魔物に触れる剣先を伝って自分の心の隙へ入り込んで来た。では、自分は飲まれてしまったのか。アディアと、同じ状態に…。
「…では、オレは今アディアのようになっておるのですね。仲間に迷惑を掛けているのでは。」
圭悟は、上を見上げた。自分の体がどうなっているのか分からない。もしかして、もう一つの繭が出現して皆困っているのでは…。
しかし、その相手は首を振った。
『いいや。主は飲まれておらぬ。主の善良な心の芯に、どうしてもデクスは入り込めなかった。主は、あの瞬間でも心の芯で、デクスに希望を持っておったのよ。意識はしておらぬかも知れぬ。だが、デクスは自分に対するそんな心を感じたことなどなかった。なので、奥まで入り込むことが出来なくて、我が引っ張り出されて来た…主が望んだもの。我は、デクスの奥底に沈んでおった僅かなデクスの良心よ。』
圭悟は、びっくりして後ずさった。では、これはデクス。
相手は、首を振った。
『確かに我はデクスだが、その良心だと言うたであろう。今あの命を支配しておるほとんどの意識に飲まれて、今まで表に現れることはなかったが、主が呼ぶので出て来れた。あの意識は、主からの自分に対する同情のような気持ちに戸惑って、触れることを拒んだ。』と、圭悟を見た。『のうケイゴとやら。我は本来、女神ナディアに心酔する一人の修道士のようなものだった。己の幸せより、女神ナディアが人々に深く信仰されることを望んだ、一人の男だった。それが道を踏み外し始めたのは、その気持ちの強さゆえであったのだ。人々にそれを知らしめるために神殿を建て、その力をあまねく思い知らせるために女神に仇なす者を排除しようとあのような巨大な地下の罠を作り、そしてついに、女神すら自分の思い通りに動かそうとし始めた。馬鹿な男よ。己の暴走に気付かず、気付けば女神を封じ、己すら封じられてしもうておったのだからの。しかしわかっておるのだ…結局は、我は女神を愛しておったのだ。自分にその瞳が向かうことを祈り、そのために本末転倒なことをしでかした。それだけよ。』
圭悟は驚いて、そのデクスの良心という男を見た。デクスは、女神ナディアを愛していたって?
「そんな…では、ただ、それだけのために?」
その男は頷いた。
『そう、それだけのためよ。どんなに信仰しても自分を見ることもない女神に、どんどんと方向違いの愛情表現を続けた結果があれということだ。今は、もうここ千数百年の恨みで違うモノになってしまっておるが、始まりはそれ。なのでケイゴよ、我は頼みに来た。どうか、我を消してしまって欲しいのだ。』
圭悟は、その落ち着いた金色の瞳を見つめた。相手は続けた。
『誰の心にも、主が願うようにこうしてどこかに良心が残っておるものよ。だがしかし、我はもう駄目だ。我は、その命を持って償うべきことをして参った。この命を救おうと思うたら、黄泉へ行って全て浄化されねばならぬ。我は苦しんでおる…このままでは、大変なことをしでかしてしまう。もしかすると、全ての命が消えてなくなる…いや、この世界自体が消えてなくなる可能性がある。』
圭悟は息を飲んだ。何をしようとしているのだ。
「デクスは、何をしようとしているのですか。あなたは、知っているのでしょう。」
男は、首を振った。
『それは言えぬ。それに、我自身もそれについて詳しくは知らぬ。なのに、そこへ行き着こうとしておるのだ。一歩間違えれば己も消え去るかも知れぬことを、しようとしておる。分かるか?破滅に向かっておるのだ。その道連れになることはない。』
圭悟は、じっとその男を見つめた。おそらく、これがデクスの本来の姿。遥か昔、修道士として女神ナディアを、深く信仰して仕えていた頃の、善良な男の姿…。このまま、何もせずに一生を終えていれば、それで終わっていたことが、道を踏み違えたばかりにここまで来てしまった。この僅かな良心は、それを望んでいたのに。
「分かりました。オレも、きっとデクスともこうして話せるはずなのだと思っていた気持ちを、これで遂げることが出来ました。その心も、この暴走を止めることを望んでいるのが分かった。これからは迷うことなく、剣を振るいます。」
相手は、満足げに頷いた。
『良かったことよ。主なら分かると思うておった。我は、もうこうして出て来ることは叶わぬだろう。なぜなら、デクスは主に入り込もうとは、もうせぬだろうからだ。慈悲の心を向けられるなど、デクスは慣れておらぬ。遠い昔、女神ナディアの慈悲の情を感じたのが、その最初で最後だったのだ。親を知らずに育ったデクスにとり、それは眩しい光だった。ゆえにあれほど女神に心酔した。同じことを主に感じて、デクスが昔を思い出してためらうのも無理はない。』その男は、上を見上げた。『さあ、戻るが良い。そして必ず我を止めよ。必ずの。』
圭悟は、頷いた。だが、どうやって戻ろうかとためらっていると、上から眩しい光が、一直線に圭悟に降りて来た…その光に触れた時、圭悟は感じた。
舞…。
そして、目の前の光景は消えた。
デクスの良心は、最後まで穏やかに微笑していた。