グーラの里
その頃、アーク達はメク山脈のグーラの里へ向けて飛んでいた。グーラ達の速さは並ではなく、アレスももう一体の白緑色のグーラも、真っ直ぐに揺らさず飛んでいた。自然と他のグーラもそれに合わせて上下動の少ない飛び方をしているようだった。僅かな間に、人を乗せて飛ぶ方法をマスターしているのだ。
玲樹が、感心したように言った。
「凄いな。すぐにこんな飛び方をマスターするなんて。マーキス達なら小さい頃から飛んでたから分かるけど。」
すると、尻の下のグーラが答えた。
『見よう見真似よな。それに、この方が体力も使わぬようよ。全く疲れぬ。ただ、重さが気になるだけだ。』
玲樹は、ははーんという顔をした。
「翼の鍛え方が足りねぇんだな。マーキス達は、三人四人乗せて飛ぶんだぜ。」
そのグーラは、ちょっとムッとしたようだ。
『我らだって、ちょっと飛べばそれぐらいは乗せれるようになるわ。なんぞ、飛べもせぬ癖に。』
玲樹は、慌てて言った。
「違う違う!馬鹿にしたんじゃねぇ。お前さあ…」と、言いかけて、首をかしげた。「名前が無いのは不便だな。お前お前って言われるの、嫌じゃねぇか。」
グーラは答えた。
『別に。お前達はいちいち名が必要なのだな。グーラと言語形態が違うのだ。だから、いちいち相手を指す言葉が要るだろう。我らはそちらを向いて話せば、そやつに話しておるのだし、後は色で識別しておるし、別にどっちでもいいのだ。しかしオレも、確かに主らの言葉であると面倒よの。あの小さいのの術で、こうして話は出来ておるのだが。』
玲樹は、少し感心してそのグーラを見た。言語形態って。
「よし、とにかくお前にも名前を付けよう。オレに付けさせてくれ。」
そのグーラは、眉を少ししかめて玲樹を振り返った。
『主が?』
玲樹は気を悪くした。
「なんでぇ、オレじゃ嫌なのかよ。」
グーラは答えた。
『適当に付けるのではないのか。知らぬのをいいことに。』
玲樹は憤然として言った。
「何を言ってる!名付け親が誰だって聞かれてオレだって言われたら、品性に関わるだろうが。きちんと付ける。オレはそういうところは手を抜かねぇんだ。」
そのグーラは、ため息をついた。
『では、主を信じようぞ。何と付ける?』
玲樹はうーんと唸った。
「ヘリオスは?」
グーラは、今一反応が薄かった。
『ふーん。ヘリオス。わかった。』
玲樹は、少しがっかりした。
「なんだよ、何か感想はないのか。」
相手は、困ったように玲樹をちらと見た。
『意味も分からぬと言うたであろうが。』
玲樹は、ふっと息を付いた。
「ダンキスが、名づけに行き詰った時、この世界の神話の神の名を付けて回ったと言っていたんだ。不思議なことに、オレ達の世界の神話と共通している名もあった。だから、お前にもオレ達の世界の神話の神の名を付けたんだぞ?太陽の神だったと思うけど。」
グーラは、驚いた顔をした。
『太陽神だって?また大層な。オレはそんな大層な者ではないぞ?ま、いいがな。変な意味の名でなければ。ヘリオスと名乗る。』
玲樹は、満足げに頷いた。
「じゃ、ヘリオス。」と、前を見た。「お。あれは?」
前方の小高い幾つかの山の上の、さらに高い崖に、幾つかの穴が開いていて、そこに村が形成されてあるのが見て取れた。あんな場所に住める人など居ない。…そこが、メクのグーラ達の里だった。
『我らの棲家。昔はもっと下であったと聞いたことはあるが、人が侵略して来るからの。人の来れぬ場所にと移動してああなったのだ。今では、あんな場所まで来れる人も魔物も居らぬ。主らがミガルグラントと呼ぶ魔物ですら、重い体をあの位置まで飛ばせることが出来ぬ。まさに、我らだけの場所。』
ヘリオスは、誇らしげだった。だが、飛べない玲樹としては、あんなところに住みたくなかった…寝返りを打ち間違えたら、落っこちて死ぬじゃないか。あの高さじゃ、絶対助からないし。
「レイキ!」アークの声が呼んだ。玲樹は、そちらを見た。「ここで、軍隊は戻るらしい。このまま、行くか?!」
まだ昼ぐらいだ。玲樹は、頷いた。
「ああ!」と答えてしまってから、尻の下のヘリオスに慌てて聞いた。「ヘリオス、疲れてないか?」
ヘリオスは、ふんと鼻を鳴らした。
『なんでもないわ。主らが行くという奥地は、ここからそう掛からぬしな。』
アレスが、飛ぶ方向を変えた。ダイアナも、それについて行く。ヘリオスも、それに倣って方向を変えた。しかし、軍の一団は真っ直ぐに、あのグーラの里へ向けて飛んで行ったのだった。
通り過ぎながら、玲樹は上からその里の下に当たる辺りに、動く影を見つけて見下ろした。そこには、数対のミガルグラントがこちらを見上げていた。玲樹は、仰天した。
「うわ!ミガルグラントじゃねぇか!しかも、あんなに!」
ヘリオスがちらとそちらを見て、言った。
『あやつらは我らが使役しておるのだ。あそこに住まわせて、下からの進入を阻止しておるのよ。その代わり、我らはあやつらに餌を与える。なので命の気が枯渇して来た時も、あやつらは困っては居なかった。我らがあっちこっちから魔物を捕って来ては与えておったからの。』
玲樹は呆然とそれを見つめながら言った。
「だが、ルクシエムに何体か来てた。オレ達、必死に倒したってのに。」
ヘリオスは答えた。
『ルクシエム?ああ、あの人のだだっ広い町か。知らぬ。我らが飼っておるミガルグラントとは、別の集落のものだろうの。ここらの魔物は、粗方我らが命の気を搾り取るために狩ってしもうたからの。今は、元に戻ってホッとしておるところだ。』
遠くになって行くその光景に、玲樹は自分の知らない世界を見た気がした。グーラには、グーラの世界がある…本当に、そうだ。あのミガルグラントさえも、飼っているというのだ。そんなグーラに、太刀打ち出来るはずなどない。やはり話し合うのが、一番なのだ。
そう思って、玲樹は、そっと後ろのトゥクを振り返った。トゥクは、ただそんな光景を見ていた。まだ、グーラに対する嫌悪感は拭い去れていないのだろう。だが、グーラがただの魔物ではないことは、ここを見ただけでも少しは分かったのではないかと、玲樹は思っていた。
しばらく飛んでいると、寒さも酷くなって来た。相変わらずグーラ達は全く平気なようだったが、乗っている人はひとたまりも無い。玲樹は慌ててポーチからもう一枚上着を出して、大きくすると上着を着ているその上からまた羽織った。後ろのトゥクは、これ以上コートも持っていないようだ。急に遠出することになったのだから、それはそうだろう。玲樹は、慌ててまた腰から小さな毛皮を出すと、それを大きくした。
「これを着るといい。まだ冷えるぞ。」
トゥクは、がちがち震えながらそれを受け取った。
「すまぬな。助かる。」
ヘリオスが言った。
『我らも、これ以上の寒さになるとひとたまりもない。もう着くゆえな。』
玲樹は、頷いた。
「ああ。とにかく急いでくれ。」
先を行くアークが、ナディアの出した大きな毛皮に包まれて行くのが分かる。二人でそれに入っているようだ。
「…こういう時、二人っていいよなあ…。」
それを聞いた後ろのトゥクが、前のアーク達を見て言った。
「妻は湯たんぽではないぞ。」
玲樹は、トゥクを見た。
「似たようなもんだよ。」
トゥクは、フッと息を付いた。
「…実際に結婚しておったら、言えぬぞ?どれほどに恐ろしいか…ま、主はまだ子供なのだな。」
玲樹は、横を向いた。
「悪かったな。確かに、オレは独身だよ。」
アレスの背が、降下し始めたのが見える。
ヘリオスもそれに従って降り始めた。いつの間にか吹雪始めたその白い光景の間に、岩肌にぽっかりと開いた洞窟が垣間見えていた。