繭の中へ
舞は、北へ向かって飛び去って行くグーラ達を見送った。身代わりの石…それが見つかったら、マーキスも体に負担なくシャルディークを降ろすことが出来る。そうしたら、心配することも無くなるわね。
早くそれが見つかりますようにと、舞が願って振り返ると、マーキスがこちらを見ていた。
「我らも行こう、マイ。」と、見る間にグーラへと変げした。『チュマは?』
チュマが、ダンキスの後ろから顔を出した。
「ここ。」
そして、駆け出して舞に飛びついて来る。舞は、そんなチュマを抱き上げた。
「さあ、行こうか、チュマ。」と、ダンキスを見た。「すっかりお世話になりました。」
ダンキスは、笑った。
「もう、本当に我らの子であるような気がして来ておった。こやつは誰にでもなつくからの。ここの村へ来れば、どの家でも泊まれるだろう。早く終わらせて、ここへ落ち着かねばな。」
舞は頷いた。
「ええ。」
舞が、微笑んでマーキスに跨ると、あちらで圭悟とメグがキールに跨った。
『では、行って参る、ダンキス。』
マーキスが言う。ダンキスは頷いた。
「気を付けよ。無理をするでないぞ。あれが最後の敵ではない…あれに全力を懸けて倒れたりしたら、親玉を倒す者が居らぬようになると心得よ。」
マーキスは、頷いた。
『わかっておる。』
そして、キールの方を振り返ると、頷き掛け、マーキスは飛び上がった。キールも、それについて飛び上がって行く。
そうして、シオメルの郊外、山肌に張り付く繭へ向けて飛んだ。
それは、遠くからやって来るのに、なぜかアディアには感じられた。懐かしい、覚えのある気…。
しかし、そのうちの一つは、間違いなくアディアの身にビリビリと痛かった。だが、心には優しく沁み入った。これは、浄化の気。全てをきれいに洗い流す、清浄な気…。
アディアはそれを待ちわびた。だが、体はざわざわと警戒してざわめいた。
空を行くマーキスが、眉根を寄せた。
『マイ、そろそろ膜を張った方が良いな。』
遠く、山肌に張り付く半球の繭が見える。それは、黒い霧の様なものにぼんやりと包まれ、その霧は辺りにも漂っているのがわかったのだ。
マーキスの背の舞は、頷いて膜を大きく張るために杖を出し、呪文を唱えた。舞の杖から出た力は丸く白い光の膜を張って、側を飛ぶキールも共にその膜の中へと捉えた。マーキスは、スピードを上げた。
『…突っ込むぞ。』
キールも、構えた。その背に居る圭悟も、メグも表情を固くする。
二体のグーラは、繭の回りの黒い霧の中へ突っ込んで行った。
「…大丈夫なようね。」舞は、ホッとして言った。「膜の中へは入って来ないわ。」
キールが、険しい顔をしている。アディアの気に飲まれかけたのは、ついこの間の事なのだ。膜が阻んでいるとはいえ、それの中へ突っ込むのは、かなりの覚悟が要っただろう。マーキスが、言った。
『あちらへ降りよう。少し、霧が薄い。』
舞が頷くより先に、マーキスはすーっとそこへ降りた。キールも続く。舞がチュマを抱いて降りると、マーキスはすぐに人型になった。キールもそれに倣い、六人は繭のすぐ側でそれを見上げた。
「…どこから入ったらいいんだ?」圭悟が、慎重に歩いた。「中に、アディアの体があるんだろう。」
すると、ざわざわと繭を形成している蔦の様なものが動いた。マーキスが咄嗟に舞を引いて下がり、圭悟もメグを押して後ろへ退いた。すると、目の前に入り口のようなアーチが出来た。
「…どういうことだ?待ってたってことか?」
圭悟が呟くように言うと、空気から聴こえるような声がした。
《そうよ。》その声に、聞き覚えがあった。《待ってたわ。早く…あいつが気付かない間に、私を殺して。》
舞が、足を踏み出した。
「アディア!意識が…意識があるの?」
アディアの声は答えた。
《ええ。でも、すぐに遠くなる。そこから入って、道なりに。危ない場所は避けてるわ。私は中心よ。早く殺して。こんな姿で、生きていたくない。》
圭悟が、言った。
「アディア…だが、意識があるのに…。」
アディアは答えた。
《だからこそよ。お願い、耐えられないの。こんな姿で、人を黒く染めながら生きているなんて…私を、助けて。早く殺して。あいつから解放して。》
マーキスが、圭悟を見た。
「…アディアの言う通りぞ。己の身に置き換えてみよ。生きたいと望むか?」
圭悟は、舞を見た。舞は、ためらいながらも頷いた。圭悟は、言った。
「アディア、待ってろ。すぐに行く。」
アディアのホッとしたような声が答えた。
《待ってるわ。でも気をつけて。あいつが気付いたら、何をするか分からない…この体も、思うようにならなくて…今はまだ、あいつは他の何かに気を取られているみたいだわ。》
圭悟は、皆に頷き掛けた。舞は、チュマに言った。
「チュマ、この膜を維持してくれる?私は、戦わないといけないかもしれない。」
チュマは頷いて手を上げた。
「わかった。任せて。」
舞は、杖を握りしめた。圭悟もマーキスも、キールも剣を抜く。メグも杖を握り、最後尾に構えた。そして、六人はそのアーチから中へと足を踏み入れた。
中は、思ったより狭かった。アディアは危ないところを避けていると言っていた…なので、こんなに狭い通路になってしまったのだろう。
入って数メートルでいきなり横へと曲がったその太いチューブのような形の通路を通って行く。見た目は、まるで何かの動物の体内へ入ったのかのようだった。というのも、その通路は波状にうねった壁が丸く囲んでいて、まるで腸管のようだったからだ。本能的に気分が悪くなったメグは、こみ上げて来るものを必死で押さえつけていた。こんな所で、吐いてる場合じゃない。それでなくても、自分は回復しか役に立てないのに。
メグは、ひたすらにその衝動と戦っていた。
一方舞は、膜の回りの気の、禍々しい濃さに驚いていた。今は狭い場所で皆一箇所に固まっているので、膜も小さく張っているが、その膜の端が当たるだけで、通路の壁はうねうねと動いた。素材は、決して肉ではない。間違いなく木か蔦であるはずなのに、その動きは生理的に受け付けない気持ち悪さだった。舞が身震いしたのを見て、マーキスがその肩を抱いた。
「マイ、大丈夫か?膜の中は、安全のようだがな。」
舞は、無理に微笑んだ。
「平気よ、マーキス。膜は脅かされる感じもないし、このままアディアの作ってくれた道を、中心部まで行けたらきっとうまく行くわね。」
マーキスは、頷きながらも周囲を見回した。この通路の壁の向こうまで広く見ているような目だ。
「…しかし、急がねばな。先ほどから、アディアの気が弱い…何かに飲まれたり、戻ったりしておるように感じる。」
後ろを歩いている、チュマが言った。
「あのおねえちゃんの気に、何かが割り込もうとしてるんだよ。」皆がチュマを見た。チュマが続けた。「膜の外側に触る、壁から感じるんだ。この膜の力に、あの怖いヤツが気付いたんじゃないかな…。」
「それは…、」
圭悟が訊ねようとした時、歩いていた通路がぐにゃりと揺れた。皆足を取られてその場に転倒する。マーキスが舞を庇って抱き寄せ、舞はチュマの手を握った。圭悟は、キールと共にメグを庇った。
通路は、まるで巨大な蛇のように上下に、波形を描くように揺れていた。吐き気を我慢していたメグは、両手で口を押さえて必死に吐かないように留まっている。舞が、杖を翳して必死に叫んだ。
「リング!」
途端に、膜がぐっと縮んで硬くなり、六人はまるで大きなカプセルに入っているような状態になった。そのまま、その管のような通路の揺れに促されるように、先へ先へと運ばれて行く。
「どこへ向かってる?アディアの作った通路のままだろうな。」
舞は、圭悟の方を見た。
「分からないけど、多分そうじゃないと思うわ。無理にどこかへ連れて行かれるような。」
キールが頷いた。
「マイの言う通りぞ。この先に嫌になるほどどす黒い気が待ち受けているのを感じるわ。」
メグが、口を手で押さえたまま身を震わせた。マーキスが、行く先を見つめた。
「…個別に膜が張れるか、マイ。」
舞は、頷いた。
「張れるけど、それをすると私が戦えないわ。チュマ、張れる?」
チュマは、悲しげな顔で首を振った。
「みんな一緒に包んでたら大丈夫だけど。一人ずつ張るんだったら、いっぱいは無理。マイは、何人ぐらい出来そう?」
舞は答えた。
「きっと…自分を入れて4人。それ以上だと、集中力が続かないわ。」
チュマは頷いた。
「じゃあ、ボクは自分とケイゴと、メグに張るよ。マイは、マイとマーキスとキールに張って。」
舞は頷いた。
「わかったわ。」と、マーキスを見た。「マーキス、いつやる?」
マーキスは前方を凝視しながら言った。
「…後、少しぞ。構えよ。」
舞とチュマは、構えた。すると、目前にこの通路の終わりであるだろう、穴が見えて来た。きっと、あそこを出たら、敵が居る!
「ケイゴ!キール!我らしか戦えぬ!三人で前に出る!」
圭悟は、剣を握り締めた。もう、抜ける!
「マイ!今ぞ!」
守りの膜は、その通路を飛び出した瞬間弾けて、中から個別に膜に守られた六人がばらばらにその開けた空間に向けて飛び出して行った。