約束
そのとき、キールが足を踏み出した。
「ダイアナ、マイを助けてくれ。」ダイアナが驚いてキールを見ると、キールは続けた。「さすればオレは、主とメクへ行こう。オレの仲間を助けてくれた、恩に報いるためにの。」
アレスが、息を飲んだ。マーキスが、驚いてキールを見る。キールは、真っ直ぐにダイアナを見ていた…その目に、嘘はなかった。
「女王…。」
アレスが、気遣わしげにダイアナを見る。ダイアナは、頷いた。
「我に、憑くが良い。マイを助けようぞ。」
女神ナディアは、シャルディークと視線を合わせた。シャルディークが頷いたので、ナディアはスーッとダイアナに寄って行った。
『特に問題はありませぬわ。』ナディアは、じっとダイアナを見てから言った。『無理であるなら、すぐに出ますゆえに。』
ナディアは白い光になると、スーッと吸い込まれるようにダイアナに入って行った。アレスが、それをじっと見ている。ダイアナは、自分の中にもう一つの意思が入り込んで来るのを感じた。だが、視界も良好であるし、何より体に力がみなぎるような気がした。それが、ナディアの力なのだと思った。
《快適ですこと。やはりダイアナは、我の憑依に適しておりました。》
ナディアの声がする。そして、そのまま舞に歩み寄ると、手を翳した。
《すぐに済みまするわ。》
流れるというのではなく、落ちるような感じに、ドンと光は舞に向けて放たれた。明らかに違うパワーの大きさに、じっと黙って見ていた圭悟は思っていた…女神ナディアは、自分が封じられつつある時に、デクスを反対に封じ返した力の持ち主なのだ。シャルディークに比べて力は劣るのかもしれないが、それは強い力であることに変わりはなかった。
しばらく光り輝いていた後、その光は消えた。そして、ナディアの声が言った。
《終わりました。デクス…昔対峙した時とは、比べようも無いほどの邪悪な気を感じること。》
シャルディークの声が答えた。
『長きに渡って封じられているうちに、そのようになってしもうたのであろう。重ね重ね、あれを残したのは我らの責ぞ、ナディア。』
ナディアは、ダイアナから出て来て、シャルディークの横へ浮いた。
『はい、シャルディーク。きっと、我らと共にあちらの世へ連れて参らねば…。』
ダイアナは、微かに何かが砕けるような音が聞こえた気がしたが、何も見当たらなかったので特に気にせず舞を見た。舞が、憔悴した顔で目を開く。マーキスが、舞を見て言った。
「おお…!マイ、あれは消えたか。」
舞は、起き上がりながら、ふらふらと頷いた。
「ナディア様が、一瞬にして消し去ってくれたわ。デクスは一瞬のことで、抵抗する間もなかったみたい…。」
そういう舞は、疲れ切っていた。マーキスは、舞を抱き寄せた。
「デクスは封じたのであるから、とにかくはミクシアへ戻って休もうぞ。日も暮れてしもうた。」と、ダイアナとキールを代わる代わる見た。「世話を掛けた。主らのおかげぞ。」
キールは首を振った。
「オレは何もしておらぬ、兄者。ダイアナぞ。」
ダイアナも、首を振った。
「我も…。浄化して消し去ったのは、女神ナディアぞ。」
二人は、何やら気まずそうだ。アレスが、そんなことは気にも留めずに言った。
「ともあれ、これで女王の夫が決まった。これ以上女王を、危険な場に置いておくことは出来ぬ。早急にメクへ帰りましょうぞ。」
しかし、ダイアナはしっかりした顔でアレスを見ると、首を振った。
「それは出来ませぬ。アレス、我はキールと共に、この旅について参る。そして、きっと世を救うことを手助けする。」
アレスは、顔色を変えた。
「そのような!女王、我らはそのようなことをするために、こちらへ参ったのではありませぬ。我らが一族のことを考えていただかなければ。」
ダイアナは、また首を振った。アレスを睨むように強く見た。
「この事態を見たであろう。このままでは、我が一族がどうのなんて言っていられぬではないか。この悪魔が、もしも世に蔓延って行ったら、我が一族もただでは済まぬ。なので我は、皆と戦いたいのだ。」
アレスは、何かを言いたそうに口を開きかけた。だが、思い直して黙り、ため息を付いた。
「…仰せの通りでございます。では、我もお供を。」
ダイアナは、ホッとしたように微笑んだ。その美しさには、皆が驚いた。アレスも戸惑っているように見えた。キールが踵を返した。
「さあ、急ごうぞ。日が暮れたのだし、人は休まねば動けなくなる。」
それに促されて、アレスとキール、それにマーキスはグーラの姿になり、皆を乗せてデルタミクシアを飛び立った。
ダンキスは、建てられて行く家々を見つめていた。グーラの兵士達はとても優秀で、疲れ知らずだった。時にグーラになり、山から材木を大量に運んで来た。そして人型で待ち構える者達がそれを加工し、村人達と手分けしながらさっさと家を建てて行っていた。そんな優秀なグーラ達に関心して見ていると、残った兵の中の責任者らしきものがダンキスに寄って来て、軽く頭を下げた。こんなところも人の習慣を知っているのに、ダンキスは驚いた。
「ダンキス殿。焼かれる前の家々の再建の、大体のめどは付き始め申した。それぞれ我らの仲間を配置し、そこを仕上げるようにと指示をしてある。」
ダンキスは、そのグーラの人型を見つめた。青黒いような色の髪に、抜けるような空色の目。きっと、青黒いもの、とか呼ばれているのだろうな、とダンキスは思った。
「世話を掛けるの。我らだけでは、これほど早くめどはつかなんだ。礼を申す。あー、なんと呼べば良いか?」
相手は、答えた。
「我らの種族の間では、我は青黒い子、と。」ダンキスが驚いた顔をするのに、相手は笑った。「我が父が既に青黒いものと呼ばれておったゆえの。」
相変わらずややこしい。ダンキスは、もしかしてこの何十体のグーラ達全員に名を付けねばならなくなるではないかと危惧しながらも、言った。
「では、女王にも青緑のにも名を付けたゆえ、主も名をつけて良いかの。」
そのグーラは、少し驚いたように眉を上げたが、頷いた。
「なんなりと。主らの間では、不便であるのだな。」
ダンキスは頷いた。
「名が無いと、呼ぶのに苦労するゆえの。そうであるな…マーズでどうか?」
相手はよく分からないようで、首をかしげた。
「意味は良く分からぬが、何でも良い。」
ダンキスは、笑った。
「古く言い伝えられている、おとぎ話の中の神の名ぞ。アレスもダイアナもそうなのだ。我もそうそう思いつかぬから。」
マーズは、少し神妙な顔をした。
「名づけとは、それほどにたいそうなものであるとは。ありがたく、主が考えてくれた名を名乗ろうぞ。マーズであるな。」
ダンキスは、真面目で人の良いグーラ達に好感を持っていた。このマーズも、例外ではない。ダンキスは微笑んで頷いた。
「ではマーズ。夜を徹してまで働く必要はないゆえ、主らも夕刻になったら休むが良い。皆が食事を準備するゆえな。」
マーズは頷くと、他のグーラ達に指示をするために歩いて行った。魔物も、人も関係ない…。ダンキスは、その思いを強くしていた。
夕刻になると、村の女達が一斉に炊き出しをする。たくさんのグーラ達の食事も賄わねばならないので、皆で力を合わせなければ終わらないのだ。いい匂いが漂って来た頃、マーズが急いでダンキスに歩み寄って来た。
「ダンキス殿、少しよろしいか。」
ダンキスは頷いた。
「良い。しかしもう、食事が出来るゆえ。主らもそろそろ本日の作業は終わりにするが良い。」
マーズは、頷きながらも、険しい顔のまま言った。
「見回りに出ていて、残党を見つけ申した。殺すなとのことであったので、そのまま捕らえて来たが、どうする?」
ダンキスは、眉を寄せた。生き残って、まだ逃げられずに居たのか。ここに、グーラ達が思いもかけず居座ったので、逃げる時を逸したのだろう。ダンキスは頷いて、マーズと並んだ。
「案内してくれるか?会って話そうぞ。」
マーズは、何も言わずに頷いた。そして、ダンキスと共に捕らえた襲撃犯に会うために、そこを歩いて行った。