ほころび
《そうか、その箱が壁に取り付けられるような形であるから。全体を見ようぞ。マーキス、この球に触れてみよ。読めるはず。》
マーキスは、見えているその半球の上に手を置いた。皆にはその結界が見えないので、それは手を翳しているようにしか見えなかった。マーキスが見ると、その結界は球ではなかった…どういうわけか、壁の方へ向かって、そして上へと細長く伸びていた。マーキスが上を見上げると、皆も無意識に上を見た。他の皆には何も見えていない…高い天井に突き当たった壁があるだけだ。マーキスは言った。
「…終わりは分からぬが、上に向かって壁の中を細長く伸びておる。」
玲樹が、あ、という顔をした。
「通風孔だ!」皆がびっくりして玲樹を見るのを、構わず続けた。「覚えていないか。あのグール街道の崩れた神殿のこと。一番奥は天井が高い。あの上が、地上なんだ。それで、外気を取り込むために、壁に何本かの通風孔が伸びていた。崩れた時に、オレは見たんだ!」
それを聞いた圭悟が、びっくりして玲樹を見た。確かにあの時、そんなことがあった。玲樹は、そういうことにとても目ざとい。建物の構造、機械の構造。ちょっと見ただけでも、理解してしまう。なので、この世界の機械も、知らないながらも直せるし、使えるのだ。
シャルディークの声が答えた。
《確かにそのような形であるな。上まで、細長く一直線になっている。きっと、この箱の中に穴が開いておるのだろう。なので、ナディアが封じた時、逃げようとそこを上に向かったデクスをそのままに封じて、そんな変な形に封じてしまっておるのだ。では、ほころびが出ておるのは、外か。》
皆は、上を見上げた。ここの上…外から見たら、どの辺りになるのだろうか。
『では、こちらの非常口を使って上がれば良いわ。』女神ナディアが、自分の体が浮いている後ろ、石の戸を指した。『入ってずっと階段が続いておって、上までありまする。ここから回り込めば近いはず。』
皆は、それを聞いて、慎重にナディアの体を回り込むと、そこの戸を開けた。言った通り、そこにはまっすぐで急な階段が続いていた。どうかすると転がり落ちてしまいそうな階段は、まさに非常の際しか使われないであろう物だった。それを見上げたアークが、皇女ナディアを振り返った。
「主には、無理ぞ。数人は女神と共に来た道を戻るのだ。ここは、恐らく気を抜けば落ちる。」
圭悟も、そのあまりに急な物に驚いて言った。
「メグ、お前も来た道を戻れ。これじゃあ、足を踏み外しても危ないぞ。皆が皆、危険な思いをすることはない。入り口前で待っててくれ。」と、黙っているダイアナの方を見た。「ダイアナも、来た道を戻った方がいい。まだ人の体に慣れないのに、転がり落ちたら命はないからな。アレス、皆を頼んでもいいか。」
アレスは、自分は行くと思っていたようなので、驚いた顔をしたが、ダイアナを見て頷いた。
「誰かが守らねばならぬの。わかった、オレが共に戻る。」
圭悟は頷いて、先に上がり始めたマーキスと舞に続いて上がり始めた。アークもそれに続き、シュレー、玲樹とのぼり始める。最後にラキが上ろうとした時、ナディアは言った。
「ラキ…。」
ここで、自分達を殺そうとしたことを聞くのは間違っている。そうは思っていたが、呼び止めずにはいられなかったのだ。ラキは、ナディアを振り返ったが、一瞬立ち止まっただけで、すぐに皆について階段を上がって行った。ナディアは、アレスに促されて、女神ナディアの先導されながら、来た道を戻り始めた。
急な階段は、まるで壁に向かうかのようだった。舞は当然のように戻らず進むことを選択されていたが、運動神経は他の女の子と全く変わらないので、根性だけで頑張っていた。とにかく下や後ろを見ずに、ただ前を見て足を進め、ともすると後ろへ重心が振れてしまいそうになるのを集中して頑張っていた。それをマーキスが気遣わしげに時にチラチラと振り返りながら、舞の後ろに居る圭悟に言った。
「ケイゴ、マイを頼むぞ。オレが後ろを上ればよかった。」
圭悟が後ろから答えた。
「大丈夫だ。オレの後ろにはアークが居るし、下まで転げ落ちる前に止まるよ。」
マーキスは頷いて、上を見た。70度ぐらいの傾斜なので、ちょっと振れただけでも後ろへ転げ落ちてしまうだろう。横に、古い朽ち掛けた手すりはついていたが、それだけが命綱のような感じだった。
上へと上がるにつれて、高さも半端なくなり、どんどんと緊張感が増して来る中、マーキスの目には、上の四角い戸が見えて来た。天井に取っ手の着いた二枚の扉が見えた。皆には見えないのだが、マーキスにはシャルディークが憑依している。その能力が全て使えるのだ。
「出口が見えて来たぞ。」マーキスは、皆に聞こえるように言った。「あと少しだ。」
マーキスは、一番先にそこへ到達して、手を上げてその戸を押し上げた。長い時を閉じたままに居たであろうそこは、抵抗するようなギギという音を立てたが、最初だけだった。軽くなった戸を持ち上げると、上からパラパラと粉のような土が落ちて来て、マーキスは大きく地表へ向けてそれをバタンと開いた。
そして、そこから頭を出して左右を見る。森の中のようだったが、回りには何もない。這い上がると、背後に神殿の建物があるのが分かった。
「さあマイ、こちらへ。」
マーキスは、舞の手を掴んで、引っ張り上げた。後ろから圭悟、アークと順に上がって来る。皆、一様に疲れた顔をしていた。回りを見た玲樹は、言った。
「長いこと使ってない道だったんだな。上からなら埋まって、この入り口に気づかないだろう。」
アークが言った。
「気づいても、使えなかったろう。長いロープを準備する必要があるだろうし、それに気が半端なく強かったはずだ。それよりも、通風孔とやらがどの辺りか見当がつくか。」
玲樹は、ずっと建物を、そこに立ったまま見回した。
「…おそらくこっちだ。」
玲樹が歩き出す。皆がそれに従って歩いて行った。
回りは、ずっと森だった。森の中に、神殿が立っているように見える。上空から見ても、確かに神殿の前以外は木々に覆われて回りの地表の状態は全く分からなかった。地表は、長く手入れされていないためにたくさんの小さな木々がひしめき合っていた。足元は腐葉土が深く、足が膝近くまで沈み込む。歩くのも疲れるその状態の中、玲樹はずんずんと進んで行く。すると、マーキスが不意に言った。
「待て!」全員が、まるで術にでも掛かったようにピタリとそのままの形でその場に止まった。「…そこに、気を感じる。」
皆、そのままの形でそちらを見た。舞にも、気を集中するとぼんやりと嫌な気が感じ取れる…恐らく、もっと側へ行けば確実だろうが、そこまで近づいていいのかどうか分からなかった。
シャルディークの声が言った。
《やはり封が少し、解けておるわ。》苦々しげな声だ。《ここで、迷い込んだ者や、近くまで来て誘導した者に、取り憑いておったのだろうの。そして、普通の者なら耐えられるはずのない気であるから、幾人も犠牲になったであろう。そして最後に、デューが来たのだ。デクスはデューに入って、その一部とは言え外へと抜け出した。》
マーキスの目が、さらに赤く光った。シャルディークの感情と連動しているのだ。シャルディークは、一般の民達を本当に大事に思っていた…犠牲になった者達のことを思うと、いたたまれないのだろう。
「では、封じるか?」
シャルディークの声が答えた。
《…マーキスだけ前へ。他は下がった方が良い。》
皆は、黙ってまたズボズボと足を取られながら下がった。マーキスが目を閉じると、白緑色の光がその体から湧き出て、スーッと体が宙へと浮いた。そして、そのまま赤い瞳を開いて、ゆっくりとその気が漏れている場所へと進み出た。
するとその暗い気が、激しく乱れたのを誰もが感じた。
《お前…!どうしてここが分かった!》
その声は、そこに居る全員が聞いた。デューのものとは違う、しゃがれたような、耳障りな甲高いような、それで居て低いような声だった。
「久しいの、デクス。我にしたことに恨みはないが、我が妻にしたことは許されることではないの。その上、更に民達を犠牲にしてまでそこから抜け出し、世を乱そうとは。」
マーキスがしゃべっているにも関わらず、その声はシャルディークだった。
《あの女にはこちらが恨んでおるわ。我をこんな場に留めおって…!シャルディーク、貴様がなぜに今頃あれから出てここに居る。しかもその力…!》
浮かび上がったまま、マーキス=シャルディークは手を前に上げた。
「おとなしくして居るが良い。我らが主の欠片を始末する間の。」
マーキス=シャルディークから白い光が立ち上る。デクスの声が絶叫に近い色を帯びて叫んだ。
《お前などに…!そんな力などに負けぬ!》
その叫びと共に、封じている結界のほころびの、その僅かな隙間から無理に湧き出た力がブワッとあふれ出た。突然のことに、こちらで見ていた舞は驚いて尻餅をついた。下が腐葉土なので、痛くは無いが深く尻が沈んでじたばたしていると、アークがそんな舞の手を掴んで、引いた。
「ありがとう、アーク…、」
舞が、少し恥ずかしげにその手を握ると、アークの顔は想像以上に必死だった。舞が驚いていると、アークは叫んだ。
「早よう!早よう立てマイ!」
舞は立とうとしながらマーキスの方を振り返った。すると、そちらから黒い気がドッとこちらへ向けて流れて来ているのが見えた。
「マイ!」
マーキスの声と、アークの声が重なる。舞は、自分に絡み付いて来る気を感じて、咄嗟にアークの手を振り払った。
目の前に、漆黒の闇が広がり始めた。
本日から7日間、遅ればせながら年末年始のお休みを頂きまして、朝7時だけの更新にさせて頂きます。しばらく一日一度の更新になりますが、よろしくお願い致します。二度更新再開の前日に、またご連絡致します。