襲来
マーキスが、ミクシアの貸し与えられた家で不安げに空を見上げていた。舞は、その表情に自分まで不安になって言った。
「マーキス?どうしたの?」
マーキスは、ハッとしたように舞を見た。
「マイ…主は、感じぬか。何やら、遠くたくさんの者達の、諍いの声が聞こえるような気がする。気がぶつかりあって、攻め込まれておるほうが大変に不利な状況ぞ。遠いので、個人の気の判別まで出来ぬ。なので、あれがダッカではないという保証はない。まさか、と思うと、気が気でない…。」
舞は、同じように空を見上げた。確かに、あちらはダッカの方角。最近は舞もいくらか気を読めるようになって来たが、やはり距離があってよく分からなかった。ただ、アディアが悩まされていたあの禍々しい気が、かすかに混じるように思う…。
「…なんだろう、デクスの黒い気が、混ざってるような気がするの。違う?」
マーキスは、また空を見上げてじっと黙った。気を読んでいるのだ。そして、頷いた。
「そうであるな。混ざっておる。あの辺りは、少数民族がいくつかあって、その中のいくつかはいつなり諍いを起こしては殺しあっておったわ。なので、そのうちの一つであろうが…デクスの気のせいかの。この時期に、こうして戦を起こすとは。」
舞は、冴え冴えと美しい二つの月を見上げて言った。
「本当に…きっと、あの繭が少なからず影響しているのではないかしら。黒い気が、あの辺りに飛んで来ているとしたら?やっぱりゆっくりなんかしていられないのよ。早く、デルタミクシアへ行ってデクスの封を強化して、そして繭を破壊しなきゃ。」
マーキスは、頷いた。
「そうだな。アークの気が安定したのを、オレは見た。サラマンテとの間のわだかまりがなくなったのであろう。ならば、すぐにでも出発するべきだ。」と、舞の肩を抱いた。「明日、我らがダッカへ帰る前に、アークに進言してみようぞ。」
舞は、頷いた。
「マーキス…そんなに心配しないで。確かに、あれはダッカの方角のように、私も感じるけれど…。」
マーキスは表情を曇らせた。
「オレの居ない時に、あやつらだけでは心もとない。それでなくともダンキスは、足を痛めて思うように動けぬというのに。」
舞は、同じように不安になりながら、そこに佇んでいた。まさかダッカが…でも、そんなことはあるはずがない…。
「くっそう!」圭悟が叫んだ。「不意を突きやがって!」
村人達を、必死に誘導しながら、圭悟は言った。村は火に包まれ、兵隊の男達は必死に応戦している。だが、数が圧倒的に少なかった。あちらは、三つの部族が固まって攻め入って来たのだ。それは、皆グーラを憎んでいるという、部族だった。
皆一様に何かにとり憑かれたような顔をして、容赦なく剣を振り下ろして来た。逃げ惑う女子供までも追いかけて切るという、残忍な様子だった。
『おのれ!皆殺しにはさせぬ!』
グーラ達は、今ここに居る10体で、激しく相手を攻撃した。しかし、相手は対グーラ用の魔法を備え、考えて来た者達。簡単には倒れなかった。全ての魔法攻撃が通らず、グーラ達は牙や爪に頼って戦うよりなかった。
『上空へ!上から物理的に攻撃するのだ!』
キールが叫ぶ。キムやメイカ、カール、ルカ達が側の木々をなぎ倒して足で掴み、敵の上へと何本も落下させ、下敷きにした。しかし敵からも、グーラが苦手とする氷の魔法で翼を狙って来る。飛べぬようにするのが狙いだった。
しかし敵も、上空にばかり気を取られている場合ではなかった。なぜなら、ダクルスは、体の大きな戦闘民族で、いくら少人数とはいえ地上からの攻撃もかなり強かったからだ。三つの部族が集まって人数で押して来るつもりでいたが、空と地上の両方を相手にしなければならず、敵も立ち往生していた。その間に、圭悟が必死に村人を裏から山のほうへと非難させていたのだ。
やっと見つけた洞窟に、圭悟は皆を隠して、そして、来た道をうかがった。
「ケイゴ、我が君を。」シャーラが、メグに支えられて歩きながら、炭で汚れた頬のまま言った。「ここは大丈夫です。我が君を助けて。どうか、村を…。」
圭悟は、その気持ちが痛いほど分かった。ダンキスは、足に傷を負ってからまともに歩くことも出来ないのだ。そんなダンキスを気遣って、自分だけ逃げているこの状況に居た堪れないのだろう。
「…分かった。ここで、じっとしていて。あちらのかたがついたら、すぐに来ますから。」
シャーラは、ほっとしたように頷いた。圭悟は、その洞窟を見て場所を覚え、そして元来た道を走って戻り始めた。村は、暗闇にも遠く真っ赤になって炎を上げているのがわかる…10体のグーラ達が、その炎に照らされて村の上空を飛び、攻撃を繰り返しているのがわかった。それでも、敵の勢いは収まらない。圭悟は、覚悟した。ダクルスでも対抗できないような力。どうしたら、皆を無事にここから脱出させることが出来るのか。
圭悟が考えながらも、剣を抜いて必死に走り出すと、上空から女の声がした。
『あれは、そなたの部族か?』
圭悟は、びっくりして上を見上げた。そこには、キールやマーキスよりもほっそりとした感じの、白いグーラが飛んでいた。あまりにきれいなので戸惑った…それに、今のは女の声だった。
「オレの、友がたくさん居る村だ。変な偏見を持つやつらのせいで、あんなことに。」
そのグーラは、頷いた。
『やはりの。では、あとは任せるが良い。』
圭悟は、思わず立ち止まった。
「任せるって…あいつらは、グーラを変に恨んで弱みも知ってるんだ!手を出さない方がいい!逃げるんだ!」
そのグーラは、驚いたように圭悟を見た。
『…面白い男ぞ。人であるのに。』と、その白いグーラは笑ったような気がした。『心配は要らぬ。我らとてあやつらとの付き合いは長いわ。』
そう言った、白いグーラの背後には、数十体のグーラが現れた。皆ガッツリとしていて、どう見ても成人しているグーラ達、しかもオスだ。圭悟が呆然としていると、その白いグーラは言った。
《…始末せよ。》
それは、グーラの唸るような声だった。それがグーラの言葉なのだと圭悟が思っていると、背後に居た数十体のグーラ達は、一斉に燃え盛る村へ向かって飛んで行った。
圭悟は、それを呆然と見送ったのだった。
ダンキスを背に、本隊から離れた位置で、村人達を逃すために戦っていた玲樹は、限界を感じて来ていた。
圭悟達を無事にここから出したのは良かったが、自分達はこの兵達の囲みを抜け出す術が見当たらない。しかも、前のダンキスならば軽々吹き飛ばしていたような輩でも、今のダンキスには無理だった。両足を踏ん張って立つことが出来ない…片足は、ほとんど使えていないような状態だったのだ。
それを庇いながら剣を振っていた玲樹も、段々に息が上がって来ていた。これほど長い間戦ったのは、いつ以来だろう。しかし、ここで死ぬわけにはいかない。何しろ、世界がかかっているのだ。自分は、ここで死んで全て忘れて現実社会へ帰るわけには行かないのだ。
「くそ!ゲームならいくらでもコンティニュー出来るってのに!変に現実なんだよ、ディンダシェリアは!」
何か、想像もつかないような場所から、変な笑いが聞こえたような気がした玲樹は、ぞっとして回りを見た。相変わらず兵が囲んでいて、何もない。背後のダンキスは息を切らしていた。
「ダンキス…大丈夫か?」
ダンキスは頷いた。
「もう、オレは大丈夫だ。玲樹、主は自分のことだけ考えよ。ここを抜けて、圭悟達を追うのだ。シャーラが心配でならぬ。あやつを見て欲しいのだ。」
玲樹は、ダンキスを見た。違う。ダンキスは、オレを逃がそうとしている。そして、自分を見捨てさせようと…。
「…知らねぇなあ。オレは人妻には興味ないんだ。自分の嫁ぐらい、自分で見てやりな。とにかく」と、剣を振り上げた。「ここの囲いから二人で抜け出すことを考えてくれ!」
僅かな隙間が開いた。玲樹一人なら出れるが、ダンキスを残してしまうことになる。ダンキスには、その素早さがなかった。ダンキスはそれを見て取ると、その一瞬にさっと玲樹をそちらへ突き飛ばした。
「ダンキス!」
玲樹は、外から叫んで、急いで魔法を詠唱した。こちらへ追って来る敵と、そのままダンキスを囲んでいる敵に分かれた。いつもならさっさとあんな囲みを壊すダンキスも、足を引きずりながらは無理だった。それでも、ダンキスは敵からの刃をその剣で受け続けている。玲樹は、必死に術を放った。
「ダンキス!あきらめるな!」
玲樹の炎の技は敵を捉える。しかし、それでも倒すまでには至らなかった。次の詠唱をしている時、ダンキスの背後から敵が剣を振り翳した。玲樹は叫んだ。
「ダンキス!後ろ!」
その声に、咄嗟に避けたその剣がダンキスの肩を掠めた。玲樹は、再び術を放った。
ダンキスの肩から血が噴き出しているのが見える。玲樹は必死に叫んだ。
「ダンキス!」
止めを刺そうとしている敵に向けて、間に合わないと思いながら玲樹が術を詠唱していると、急に敵が上を見上げた。そして、何かを見つけると、一目散に駆け出した。
玲樹は、何事だろうと思ったが、敵が去ったのを見て必死にダンキスに駆け寄り、得意ではない治癒術を放った。血は、どくどくと流れ続けていたが、必死に念じているうちにそれは止まり、傷が塞がった。
「ギャアアアア!」
複数の、大きな声が聞こえる。玲樹は何事かとびっくりして声の方を見た。そういえば、さっき敵は何を見て逃げて行ったんだ…?
「!!」
玲樹は、言葉を失った。こちらへ向かって、ものすごい数のグーラが、叫び声を上げながら飛んで来て、玲樹たちには見向きもせずに上空を通り過ぎ、風を巻き上げて本隊が戦う方へと向かって行ったのだ。
何が起こっているのか理解できず、玲樹はしばしそのまま呆然とそれを見つめていた。