その夜
アークは、緊張気味にサラマンテの顔を見た。サラマンテは、相変わらず黙っている。しかし、ナディアの顔を見ると、微笑んで話しかけた。
「ナディア、舞。いい顔をしておるの。気の流れも元に戻って、これよりのことはない。しかし、南より不穏な気を感じるの。」
ナディアは、頷いた。
「我は共には行けませんでしたが、それが大変に手ごわいものだということは、聞いておりまする。我の夫、アークは全てを見て、知っておりまする。そして、舞の夫も。」
舞は、頷いた。
「サラ様、私の夫、マーキスでございます。」舞は行って、マーキスを見上げた。「マーキスは、このたびの旅でアークと血縁関係があることを知りました。サラ様にはお分かりになりますか…マーキスは、グーラと人の間の子でありまする。」
サラマンテは、目に見えて驚いた顔をした。明らかに、マーキスのことは知らなかったのだ。そして、しばらく黙っていたかと思うと、長いため息をついて、リューを見た。そして、手を振った。リューは、黙って頭を下げると、出て行った。それを見送った後、サラマンテはアークを見た。
「我が何も言わなかったこと、なぜかとうらんでおるであろうな。」
舞とナディアはびっくりした。サラマンテが、自分達以外に話しかけるところを、初めて見たのだ。アークは、サラマンテに言った。
「やはり、ジョシュが言った通り、あなたが父ローガとの間に、オレを生んだのですか。」
その声は、震えていた。サラマンテは、頷いた。
「そう。我はセリーン、ローラ、そしてアーク、主の三人を、ローガとの間に生んだ。ローガを愛していたし…ずっと、死ぬまで会いに行くのだと思っていたのに。」サラマンテの瞳には、涙が光った。「ローラが、強い偏見を持つ輩に殺された。その子は、セリーンがこんな人の世に置けないと言って、グーラ達に頼むと言っていた。我はここより動けなかった…巫女であったからの。アーク、主はまだ幼なかったゆえ知らぬだろうが、ローラは主を心配しておったの。自分達の弟が、母を知らずに育つことを。しかし我は、主とローガを守るために、ここへ巫女としてこもり続けるよりなかった。巫女とはの、それほどにままならぬ身であったのだ。」
アークは、サラマンテに詰め寄った。
「ですが…なぜに死ぬまで、オレに知らせるなとおっしゃられたのか。オレは、自分が誰の子か分からぬ者と、ずっと悩んでおった。せめて、母だとオレにだけでも知らせてくれればよかったのではないのか。」
舞は、アークがこれほどに感情をあらわにするのを初めて見た。涙ぐんだその緑の瞳は、サラマンテのそれとまったく同じだった。サラマンテは、アークを見て言った。
「それでも、主はその能力でやはり部族の長に納まったではないか。それに、大変に皆に敬われておると我は聞いておった。なので、案じることなどなかった…主は、母などおらぬとも立派に育っておるのだと思っておったからの。そこに、過去の暗い母のことなど知らせたくはなかった。我は、ずっとアークのことは見ていたのだ。だから、主がここへ来て、本人を見れた時はうれしかった。しかし、今更に母などと名乗れぬと思うておった…だから、黙っておったのだ。」
アークは、涙を流した。
「サラマンテ殿…オレは、知らぬ時は死んだのかとあきらめておった。ラーイ殿に生きておると聞いたときは、なぜに生きながらオレを捨てたと恨んだ。しかし、今は…いろいろなことを知った今は、生きて会えてよかったと、心底思っておる。」
サラマンテは、同じように涙を流しながら言った。
「我とてそうよ。主に、母と知ってもらえてよかったことよ。」と、マーキスを見た。「マーキスと名づけられたか。我もグーラの集落まで知る術がなかったゆえ、ジョシュから聞くのみであったが…ローラの子よ。」
マーキスは、サラマンテを見た。
「サラマンテ、オレは特に感慨もないのだ。なぜなら、一人が当然だと思うて生きて来たゆえな。しかし、命を与えてくれたことには感謝しておる…マイにあって、こうして妻に迎えることが出来た。」マーキスは、舞を見た。「このように生きること、誰が想像できたであろうの。オレは、今幸福であるのだ。」
サラマンテは頷いた。
「マーキス、主はの、グーラでもあり、人でもある。どちらでもあって、どちらでもない。つまり、主が望むままであるのだ。なので、何かの力を借りずとも、簡単に人にもグーラにもなれる。なぜなら、生まれ出るときに既に、外で卵を温めて待つもの達が望むグーラの型で生まれ出たのだからの。本来、主は人型で生まれたはずなのだ。ローラの腹の中では、間違いなく人であったのだから。主は、間違いなく最強のグーラと、人の混血。稀有な種ぞ。これほどに優秀な血があろうか。それを、世のためにマイと共に役立てて行って欲しい。これ以上、不幸なものが出ないようにの。」
マーキスは、しばらく黙ったが、頷いた。
「努力しようぞ、サラマンテ。」
サラマンテは、満足げに頷いた。
「我の孫と、息子。この生の終わりに、主らに会えて、そして話せてよかったことよな。」
アークが、驚いた顔をした。
「生の終わり?」
サラマンテは頷いた。
「我は、先見が出来るゆえな。もはや長くない…病は、既に数年前からこの身に巣食っておる。舞とナディア殿下がここへ現れ、我もそろそろであるなと思うておったのだが、最近の夢での、もう長くないことを知った。」
舞は、突然のことに混乱しながらも言った。
「そんな…何かの間違いではないのですか?ただ、夢見が悪かっただけなのでは。」
サラマンテは微笑んで首を振った。
「いいや。先見で見たものの一つ、あの闇の繭は現れた。」サラマンテは山の方角を指した。「後は断片的でしかない…たくさんのグーラ、北のメク山脈…混乱する人の世、デルタミクシアの悪魔。そして、我らの想像もつかぬような大きな意思の存在。全てが終わった時、我はここでたった一人逝く。誰に看取られることもなく。ただ、ローガが迎えに来てくれるようだがの。」
サラマンテは、最後に嬉しそうに笑った。その表情が少女のようで、舞は本当にサラマンテはローガを愛していたのだと知った。若い頃、大変に美しかったと聞くサラマンテ。セリーンが似ているとしたら、きっとかなりの美人だったはずだ。
「…母上と、お呼びしてもよろしいか?」
アークは、言った。サラマンテは驚いたような顔をした。
「我は、主に母と呼んでもらえるような事は何もしておらぬがの。」
アークは首を振った。
「この世に、生み出してくれたではないか。」アークは、言った。「オレは、誰も母と呼んだことはないゆえな。」
サラマンテは、少し涙ぐんだ。しかし、決して涙はこぼさずに、背を向けた。
「好きにするが良い。」
アークは頷いて、サラマンテの背に言った。
「母上。では…オレはここに、次の旅に出るまで滞在致します。」
サラマンテは、アークの言葉に背を向けたまま頷いた。その背は、泣いているようだった。マーキスと舞は、そんなアークとサラマンテ、ナディアを残して、先にそっとそこから出たのだった。
日が暮れて、圭悟は玲樹と共にダンキスの家から出て、空の星を見ていた。二週間後と言っていたが、アークの心の準備が早く出来たなら、早めに旅立ちたいと思っていた。あの繭が成長している様子はないようだったが、あんなものがあっていいはずはない。先にデルタミクシアへ、あの緩んだデクスの封を完全に戻すために行かねばならないのだから、急いだほうがいいに決まっていた。
しかし、あの封印がシャルディークの力でしか出来ないというのなら、シャルディークをその身に降ろすことが出来るアークとマーキスの力は絶対に必要だった。圭悟は、玲樹に言った。
「…少し乱暴かもしれないけど、アークが無理だと言うなら、マーキスに憑依してもらって、それで封じていいと思うんだ。マーキスは今、未だかつてないほど落ち着いているだろう…舞と結婚して。だったら、マーキスでいいじゃないか。慌てていいことがないことは分かっているが、あの繭からは変な気が散っているとキールも言っていた。長く置いていたら、置いておくほど回りに影響を及ぼすんじゃないかと、気が気でないんだ。」
玲樹も頷いた。
「分かるよ。オレだって同じ気持ちだ。だがな、圭悟。用心に越したことはない。何しろ、数千年前に力を無くしていた時とはいえ、あのシャルディークのことを封じることが出来た男なんだぞ。そんな悪知恵が働くやつ相手に、たった一人の男で対抗こうするのはどうだろうな。もう一人が不安定で、それを利用されて変なことになったら、オレ達では太刀打ち出来ねぇぞ。」
圭悟は、頷いた。分かっている。分かっているが、あの繭を横目にしながら、おとなしくじっとしているのが、つらくて仕方がない…。
そこへ、ダンキスがラーズの家からチュマを抱いて戻って来た。
「おお、圭悟、玲樹。どうしたのだ、外へ出て。」
圭悟が、答えた。
「ダンキス。ラーズとの話は終わったのか?」
ダンキスは頷いてチュマを下へ降ろした。チュマは、歩いて圭悟の方へ寄って来た。
「あのね、ようすみる、って言ってたのー。」
チュマが言う。圭悟は、笑ってチュマの頭を撫でた。
「そうか、様子を見るのか。」と、ダンキスを見た。「…大丈夫かな?」
ダンキスは険しい顔をした。
「わからぬ。今までのトゥクとは違う、性急な感じを受けたゆえな。何かに追われておるような…なんぞ?」
その時、玲樹が叫んだ。
「…伏せろ!」
圭悟がチュマを抱えて地面に転がった。玲樹は、咄嗟に飛んで、ダンキスを押し倒していた。その近くに、火に包まれた矢が落ちる…よく見ると、回りにどんどんと火矢が降り注いで来ていた。
「くそ!これほど迅速に行動するとはの!」
ダンキスは険しい顔をして不自由な足で必死に家へと飛び込んだ。玲樹が叫んだ。
「何をしてる!すぐに火が回る!」
ダンキスは叫び返した。
「シャーラぞ!」
玲樹は舌打ちをした。そうか、シャーラがまだ中に残っていた。
「圭悟!オレは中へ行く!お前はキール達に言って、村人を!」
「わかった!」
圭悟はチュマを背負って駆け出した。すると遠く村の入り口に、かなりの人数を感じた。
「…来やがった。一気に攻めるつもりか!」
ダッカの里は、火に包まれていた。