ミクシアへ、再び
朝の光と、人々が活動する音に、舞は目を覚ました。横では、いつものようにマーキスが眠っている…でも、もう他人ではなかった。舞は、眠るマーキスに、ソッと口づけた。マーキスは少し眉を寄せ、目を開いた。
「…マイ。」と、微笑んだ。「朝か。」
舞は頷いた。
「もう、みんな起きているみたい…。」
マーキスは、窓の外に目をやった。
「ここは皆、早いからの。」と、寝台に横になったままカーテンを開いた。「おお、あやつらも頑張っておるわ。」
見ると、人型になったあのグーラ達が、せっせと村人達を手伝っているのが見える。舞は、慌ててシーツを引き上げた。
「まあマーキス、まだ着替えてないのに、カーテンを開けちゃ駄目よ。」
マーキスは、ハッとしてカーテンを閉じた。
「ああ、そうであったの。」と、舞を抱き寄せた。「マイ…まだ夢のような心地よ。主がオレの妻になったなんて…。」
舞は、恥ずかしげに下を向いた。
「マーキス…私も同じよ。ねえ、母家に行きましょう。皆が待っているかもしれないわ。」
マーキスは頷いて、名残惜しげに起き上がった。
「そうよの。アークがミクシアへ発つだろう。見送らねばな。」
二人は着替えると、ダンキス達の居る大きな母家へと向かった。
母家へ入ると、ダンキスとシャーラを中心に、圭悟や玲樹、アークとナディア、それにメグがそこに座って朝食を取っていた。キールもリークも座っている。チュマを膝に乗せて食事をさせていたダンキスが、二人に気付いて言った。
「おお、早いではないか。もっとゆっくりすれば良いのに。チュマは良い子にしておったぞ。」ダンキスは、少し意味有りげに笑った。「ま、いくらマーキスでも経験のないことなのだから、最初はこんなものかの。さ、座るが良い。ちょうど朝飯を始めたばかりぞ。」
舞は少し赤くなった。マーキスは何か問いたげな顔をしたが、黙って空いている椅子に座った。
「リーク、キム達が畑仕事を手伝っておったぞ。」
マーキスが言うのに、リークが頷いた。
「今まではオレだけしか出来なかったのだが、あやつらも人型になったゆえ、やりたいと申す。なので、早々に食事を終えて飛び出して行きおったのだ。村人達も、人手が増えて助かると申すし。あやつらは、体力だけはあるゆえ。」
ダンキスが笑った。
「良いことよな。あれで少しは落ち着いてくれれば良いがの。あやつらはいつまで経っても子供で困ったものよ。しかし…」と、シャーラを見た。「年頃になって参って、マーキスは混血であったし、マイとこのように婚姻して安堵しておるが、後の全てがのう…。皆オスであったからの。このままという訳にも行くまい。グーラであるのだから、やはりグーラのメスがいいであろうし。なので、シャーラとどうしようかと言うておったのだ。」
シャーラは頷いて、キールとリークを見た。
「あなた達も、相手が要るでしょう?誰でもいいって訳でもないから、やっぱりグーラ達と交流しないことには、お嫁さんも見つかりづらいんじゃないかと思うの。どう思う?」
キールは、眉を寄せた。
「オレは別に。まだ相手は要らぬ。兄者だって今結婚したばかりだし、我らにはまだ時間があるだろう。それに、兄者を見ておると別にグーラに限ったことではないと思う。何しろ、グーラのメスと交流したことなどないからの。オレは人としか接してこなんだ。なので、相手がいいと言うのなら、別に人でも良いしな。」
リークも、同じように頷いた。
「オレもそうよ。グーラのメスというのが、想像もつかぬ。」
マーキスはそれを聞いて、片眉を上げた。そう言えば、この弟達は卵でここへ来て、生まれてこの方ここで過ごして、人以外と接したことがない。グーラはオスしかないないのだから、メスのグーラを見たことがないのだ。
「…そうか。言われてみればそうよの。オレは、三歳までグーラの中で育ったゆえ、グーラの社会も知っておるがな。」
「ま、焦ることはあるまい。」アークが、口を挟んだ。「こういうことは、焦るとろくなことはないぞ?マーキスは、全く何も考えて居らぬ時にマイと出逢った。つまりは、そういう自然な出会いの方が良いのだ。回りが気を揉んでも、本人がその気にならねば無理であるぞ、ダンキス。まだ十代であるし、もう少し考えさせてやるが良い。」
ダンキスはため息を付いた。
「まあ、確かにそうであるが…子が多過ぎて、気がもめる。」
特にマーキスがもう結婚したので、他のことが気になって仕方がないのだろう。アークは苦笑した。
「そのように親が気を揉まずとも、子は己で何とでもしやるものぞ。」
アークはそう言って、息をつき、隣りに座るナディアを見た。ナディアは、頷いた。
「そろそろ、参りまするか?」
ダンキスが顔を上げた。
「おお、そうであったな。ミクシアまで…誰か、送ってやってくれぬか。」
マーキスが立ち上がった。
「オレが行こう。マイが、サラマンテに会いたいと申しておった。」
舞は急いでサンドイッチの残りを口に押し込んで頷いた。
「サラ様に、結婚のご報告を。」
マーキスは、舞に茶のカップを渡しながら言った。
「サラマンテは、オレの祖母にあたる。なので、行かねばならぬの。」
マーキス自身はあまり気が進まないようだ。舞が、お茶でパンを流し込みながら言った。
「マーキス、お会いしないとね。私も会いたいし。」
マーキスは、舞の言葉に頷いた。マーキスは、あまり自分の血がどうのといったことには興味はないようだ。しかし、舞はそれは大切なことだと思っていた。せめて、顔を知っておいたほうがいいに決まってる…。
ダンキスが頷いた。
「では、行って参るが良い。」
マーキスは舞の手を取って歩き出しながら言った。
「それほどに時はとらぬゆえ。数日で帰る。」
マーキスは、サラマンテに会いたくないのではなく、ここに居たいのだと舞はふと、思った。確かに、久しぶりに故郷に帰って来て、一日しか滞在しないのはいけない。舞は咄嗟に言った。
「マーキス、アーク達は後で迎えに行ったらいいし、私達はご挨拶だけして戻って来ようか。私もここの生活に慣れて置いた方が、旅が終わってからここで生活しやすいかな。」
マーキスは、嬉しそうに頷いた。
「そうよの。そうしようぞ。」と、ダンキスとシャーラを振り返った。「ではの。すぐ戻る。」
マーキスが嬉しそうなので、舞も少し嬉しくなった。マーキスは素直だ。こうして見ると、わかりやすくて、可愛らしく思った。
「チュマをお願いします。」
舞は言い置いて、アークとナディアと共に母家の外へと出た。そして、すぐにグーラへと姿を変えたマーキスに乗って、ミクシアへと飛び立って行ったのだった。
マーキスに乗ると、ミクシアはすぐだった。マーキスはどうすれば乗っている者に負担を掛けずにより速く飛べるのか、最近では極めて来ている。舞は感心した。
「マーキスはすごいわ。本当に向上心に溢れているのね。これ以上はないと思うのに、次はもっと優秀で。」
アークが笑いながら頷いた。
「全く同感よ。そこの所に惚れたのか?マイよ。」
舞は、真っ赤になった。そう言えば、自分の夫を人前で堂々と褒めるってどうなんだろう。良いのか悪いのか分からないが、でも思った通りを言った自分が、なんだか恥ずかしかった。
マーキスがちらりと振り返った。
『マイ?何を赤くなっておる。』
舞は、マーキスを小突いた。
「もう、聞かないで。前を向いて。」
マーキスは本当に分からないようで、怪訝な顔をしながらも前を向いた。アークとナディアは、微笑み合っている。ああ、私達も、早く落ち着いた夫婦になりたい。
舞がそんなことを思っている間に、ミクシアがもう見えて来た。マーキスはスーッと滑空してその入り口に降り、三人が降りるのを待って人型になった。リューが出迎えに出て来て、舞とナディアを見て微笑んだ。
「まあ、巫女様達ではありませぬか。サラ様がお喜びになるわ。それから、アーク様と、そちらは…?」
舞は、答えた。
「私の夫の、マーキスです。サラ様にご挨拶をと思って、参りましたの。」
リューはパアッと明るい顔をした。
「まあ!すぐにお知らせして参りますわ。お待ちくださいませ。」
神殿の中へと案内され、応接室で座って待っている間、アークは堅い表情だった。ナディアが、気遣わしげにそっとアークの腕を取って、微笑み掛ける。アークは、ナディアを見てホッとしたような顔をして、その手を握った。そんな二人を見ていると、なんだか心が温かくなった…ナディアからはアークに対する真っ直ぐな迷いの無い愛情しか感じないし、アークはそれに応えようとナディアを大切にしているのが分かる。舞は、自分もソッとマーキスの手を握った。マーキスは驚いたような顔をしたが、フッと笑ってその手を握り返してくれた。マーキスの手は、大きくて暖かい…それに、その気は大きくて、守られている安心感から、いつも気持ちが楽になった。こんなにも素晴らしい人が、私の夫になったなんて。
舞は嬉しくなって、マーキスに微笑み掛けた。マーキスは、少しためらったような顔をすると、舞に頬を寄せて小声で言った。
「こら、マイ。そのように誘うでない…このような場で。オレは我慢せねばならぬから、針のムシロぞ。」
舞は、また赤くならねばならなかった。マーキスは小さく微笑んで、リューが戻って来たのを見て表情を引き締めた。
「サラ様が、お会いになると。お待ちでございまする。どうぞ、こちらへ。」
四人は、また緊張気味に、リューについてそこを出て、女神の間へと向かったのだった。