謝罪
マイユとレムの牧場は、乳を採るためのルクルクが大半の牧場だった。小屋で干し草を大きなフォークのようなものでザクザクやっているマイユと替わって、舞は何も考えずに無心で動いた。体を動かしていると何もかも忘れる…。舞は、ひたすらに動いて、驚くほどあっさりと仕事を終えてホッとした。牧草地の上に腰掛けて、マイユにもらったルクルクのミルクを飲んで横に座っているチュマの、頭を撫でた。一見平和な風景…なのに、視界には、遠く山肌に張り付いている繭が入った。ここからだと距離があるのでとても小さく見えるが、それでもそれが禍々しい気を発しているのは事実で、すぐにどうにかなるものじゃないのはシャルディークの話から分かってはいたが、それでも舞は暗く沈んだ…の中心が、あれほどに暗い気を怖がったアディアだと知っているからだった。
実際はアディアの器を使ったデクスで、記憶だけがアディアだったのだが、舞にすればあれがアディアだった。舞が、ため息を付くと、そこへ圭悟がやって来た。
「舞、ちょっといいか?」
舞は頷いて微笑んだ。
「ええ。何か決まった?」
圭悟は首を振った。
「リーディス陛下がハン・バングからこちらへ向かわれていると連絡が入ったんだ。あっちで待っていらっしゃるつもりだったみたいだけど、あれが」と山を指した。「出現しただろう?実際に目で見て、それから話しを聞くとおっしゃってな。だから、どっちにしろ話はそれからになりそうだ。」
舞はまたあの繭に目を向けた。
「そう…。」
圭悟は、舞の横に座った。
「なあ、舞…オレ、勘違いしてて。」
舞は、眉を上げて圭悟を見た。
「何を勘違いしたの?」
圭悟は頷いた。
「ほら、マーキスのことだ。あれから話しを聞いたが、マーキスは悪くない。というか、あれじゃあかわいそうだ。何しろ、人の間の常識とか知らないだろう。それを教わろうとした相手が、常識を教えず舞を落とし入れたいヤツだったとしたら、どうなる?」
舞は、びっくりしてしばらく絶句した。そして、圭悟に恐る恐る問うた。
「え…私を、おとし入れるって…?」
圭悟は、大袈裟に肩で息を付いた。
「実はな、舞。アディアはデクスだったろう?あの記憶で必死に抑えていたようだが、舞を妬む気持ちってのがあったんだ。オレ達は、マーキスが何のために何をしていたのか、それがヒトの目から見て浮気に見えるように画策したのが誰なのか、知った。問い詰めたらアディア本人が白状した。その後、アディアがああなって…キールが、掴んで運んだって訳だ。」と、舞をじっと見た。「マーキスは、言っていた通り本当に舞と早く結婚したいから、人の男が知っているように、女を知ろうと思った。だが、他の女とどうこうではなく、話そうとしていただけだったんだ。オレ達もまんまと嵌められて、踊らされてたってことさ。あいつは、舞を妬んでいたよ…守られて、愛されて、しかもその幸せを知りもしないお嬢様だと。思い知らせてやりたかったのだとさ。怖いね、妬みって。」
舞は、それを聞いて下を向いた。そんな風に思われていたんだ…確かに、皆に守られて、とても大事に愛されて、それなのに、それが幸せなんだって自覚したことはあったろうか?傍にあり過ぎて、当然になっていたんじゃないだろうか…。
「圭悟…私、アディアの言う通りだと思うわ。そう思われても仕方がなかったのかも。だって、みんなに守られて当然のように思っていたわ。それが幸せだって自覚したこともなかった。だから、幸せを知りもしないお嬢様って言われても、仕方がないのよ。一人じゃ生きて行けないのに、一人でも平気なフリをしてみたり…。子供よね。」
圭悟は、苦笑した。
「あっちの現実社会じゃ考えられない状況だし。やっと慣れて来たところなんだから、いろいろ混乱しても仕方ないんじゃないか。それより、舞、マーキスだ。マーキスは、表面には出さないが、それはつらい悲しい想いをしてるんだと思うぞ。あれほどに強い精神状態だったマーキスに、シャルディークが負の感情を読み取ってデクスと戦うのは無理だと言っただろう。本来、キールよりマーキスのほうが強いはずなんだ。誰のために、あんなことになってしまってるのか、わかってるだろう、舞。」
舞は、頷いた。ちゃんと話をしようと思っていた時に、あんな風な姿を見て頭に血が上ってしまった。だから、マーキスが何を言っていても頭に入って来なかった。私は、まんまとデクスの罠に掛かって、マーキスを疑って話し合う余裕も無くしてしまっていたんだ…。
「ええ。ごめんなさい、圭悟。なんかいつも圭悟が助けてくれるって感じ。」
圭悟は微笑んだ。
「いいんだ。オレってどこに居てもこんな感じなんだよ。玲樹は放って置けとか言うんだが、気付いてるから放って置けなくてね。」
舞はフフと笑いながら、勢いを付けて立ち上がった。
「圭悟ってほんとに、いい人。初めて会った時も、自転車で転んだ私に優しくしてくれたけど…きっと、あれも自然にやってたことなのね。」
圭悟は驚いた顔をした。
「自転車で?ああ、あの時か。かなり前のような気がするな。特に優しくしたつもりもなかったけど、そう見えたのかな?」
舞は笑った。
「やっぱり!なんだか、すっきり~。」舞は、歩き出しながら言った。「私も少し、成長したかな?圭悟、チュマをお願いね。」
圭悟は今一腑に落ちないような顔をしたが、チュマの横に座ったまま頷いた。舞は、あの時圭悟に淡い恋心を持っていた自分が少し可笑しかった。少し優しくされたからって、盛り上がって。あれって、学生のノリよね?実際は、こんなものなのに。
舞は、自分がこちらへ来て確実に変わって来ていることが分かって、少し明るい気持ちになりながら、マーキスの気を探って、駆けて行ったのだった。
マーキスは、牧場でも山側の方の木の下に、まるで隠れるように座っていた。マーキスとキールはグーラなので、その気を感じたルクルクがご飯を食べなかったりするので、なるべく離れて居ようと、キールと二人で外に居たのは知っていたが、広い牧場の、こんな隅にじっと座っているのを見ると、舞は胸を突くものがあった。グーラだというだけで、マーキス自身は何も悪くはない。なのに、怖がられるのを理解して、あんな場所でじっと座っているなんて。
しかし、キールは見当たらなかった。舞は気になったが、マーキスになんと言って謝ろうかとしばらくそこに佇んで考え込んでいた。
すると、同じように何かを考えていたようだったマーキスが、こちらに気付いて驚いたように立ち上がったのが見えた。
「マイ…。」
離れた向こうで、マーキスの口がそう動いたのが見えた。舞は、意を決して歩き出した。マーキスに、謝らないと。許してもらえなくても、とにかく謝らないと始まらないのだから。
マーキスは、悲しげな目でじっと舞を見ていた。その目が赤いので、マーキスは疲れているのかと心配になった。確かにこの旅に出てから休むということがほとんどない。舞自身も、やはり疲れていた。
側まで歩いてから、数歩手前で舞はためらって立ち止まった。それ以上進むのは、もう自分には権利がないように思えたからだ。そう思うと悲しくなって、舞はマーキスを見つめた。
「マーキス…少し、話してもいい?」
マーキスは、頷いた。しかし、何も言わなかった。舞は、下を向いて考えた。何を言っても、きっと許してもらえる事ではないのかもしれない…。信じなかったのだ。デクスなどにいいように翻弄されて…。
それでも、舞は顔を上げた。謝らないと。
「マーキス…信じなくてごめんなさい。私…頭に血が上ってしまって。前の日の事があったから、本当はその時にきちんと話せば良かったのに。マーキスが、あっちもこっちも付き合うような性格でないことも、グーラだから考え方が違うから何も知らないことも知ってたはずなのに。話も聞かずに見た事と状況で勝手に判断して…。傷付けてしまったわ。今さら何を言ってると思うかもしれないけど、謝っておかないとと思ったの。」
マーキスは、驚いたような顔をした。そして、舞をじっと見た。
「マイ…オレを許せないのではないのか。もはやケイゴと共にと決めたのでは。」
舞は、びっくりして慌てて首を振った。
「え、圭悟?圭悟は違うわ、いつも私が辛いときに話を聞いてくれて、でも優しいから誰にでもあんな感じなの。私が好きだからとかではないし、私も仲間で友達だと思っているわ。それに…話も聞かずに飛び出したのは私の方なのに。マーキスの方が私を許せないのではないの?」
マーキスは、首を振った。
「オレが、よく知らぬのに、アディアの言う事を鵜呑みにして主らに何も言わずにあのように会っておったのがいけないのだ。始めの夜、少し話を聞いて戻るつもりだった。なのにアディアは、なるべくたくさんの事を一度に覚えた方が結婚も早くなるだろうと、いろいろ話してくれた。それに、マイには知らせぬ方が良いと言った…そんなことを他人に教わるのは幻滅されるだろうと言うのだ。オレは何も知らぬし、その通りにした。しかし皆の反応を見て、悟った…これは、隠れてアディアを恋人にしておるように見えるのではないか、隠すのは、後ろめたい事をしておるように思えるのではないかとの。女が裏切りを許さぬ事は、シャーラを見て知っていた。ダンキスがサラマンダーに行ってシャーラが裏切りだと火のように怒っていた事を思うと、オレのしておったことも同じように見えて、マイが愛想を尽かすのも仕方がないと…何を言っても、信じてはもらえぬと…もう、マイを失ったのだと…。」
マーキスは、そこまで必死に話していたが、言葉に詰まった。舞は、下を向いたマーキスが、涙を流しているのを見て、慌てて駆け寄った。
「マーキス…!ああ、ごめんなさい…!」
舞は、本当に心の底からそう思った。マーキスは、ずっと苦しんでいたのだ。舞に憤るのではなく、自分を責めて、涙を流していたのだ。
舞は、マーキスを抱き締めた。こんなにも深く愛してくれる人が、他に居るだろうか。こんなにも純粋に、ただ自分だけを愛してくれる人が…。
マーキスの涙を指で拭って、舞はマーキスに唇を寄せた。マーキスはためらいながら、その口づけを受けていたが、そのうちに恐る恐る舞を抱き締め、自分からも舞に深く口づけたのだった。