破壊の術
その繭は、夜が明けてよりはっきりと人々の目に見えた。黒いような灰色のような色の触手に見えたそれは、今は枯れた蔦の枝がたくさん絡まり合って丸く形を作って居るように見えた。
圭悟、玲樹、舞、シュレー、アーク、マーキス、キール、ラキ、リシマの九人は、レムとマイユの家で、朝食を取りながらそれを見ていた。あれ以上大きくはならないようだったが、遠くに小さく見えるそれは、否応なく心を暗くした。
「こちらにまで手を伸ばすつもりか。」シュレーは言った。「まずはあれを破壊するべきか。こちらへ進入を許してはいけないだろう。」
アークは、頷いた。
「シャルディークを呼んで聞こう。間違った対応は避けるべきだ。取り返しがつかなくなるやもしれぬ。あの時、ハン山脈でシャルディークは言っていたんだ…自分なら、アディアをここに置いて行くと。シャルディークは、強制はしない。分かっていても、聞かなければ言わないのだ。」
ラキは、アークを見た。
「シャルディーク?聞いたことのない名だ。だが、その名の主を、デューが死ぬほど怖がったのは覚えている。あいつが一目散に逃げるなど…有りえなんだ。」
アークは、頷いた。
「デューに憑いているらしいデクスってヤツの、古い知り合いなのだ。確執があって…そのうちに話そう。」と、手を上げた。「シャルディーク!」
ヒュンッと目の前を緑色の光が走ったかと思うと、それは爆発したように大きくなり、目の前にシャルディークが浮いた。ラキも、その姿を珍しそうにまじまじと見ている。レムとマイユはルクルクの世話に牧場の方へ出ていて居なかったので、ショックを受けさせずには済んだ。シャルディークは言った。
『遅い。アディアが暴走し始めた時に我を呼べばよかったものを。さすれば、誰一人危ない思いをせずに済んだ。』
アークが驚いたようにシャルディークに言った。
「こちらに居ない時のことも、知っているのですか?」
シャルディークは頷いた。
『知っておる。主らを見ておると言うておったであろう?』と、山の方を伺った。『また大層なことになってしまったものよ。あれは我でなくば…つまりは、我の力でなくば排除出来ぬ。主らがやらねばならぬぞ、アーク、マーキス。』
アークはシャルディークを見上げた。
「手伝ってはくださらないのですか?」
シャルディークは首を振った。
『力は貸す。だが、我はもう死した人よ。我の力を使えるのは、主らしかおらぬ。我自身が何かすることは出来ぬのだ。出来たとしても、主らの体を借りてということになるの。デクスは変な術ばかりを編み出しては、我らに対抗出来ぬかと画策しておったようであったからの。あやつが悪魔と呼ばれておった事実を知って、納得したことよ。』
圭悟は言った。
「やはり、デクスはナディア様の封印を解いてしまっておるのでしょうか。」
シャルディークはまた首を振った。
『いいや。全てではないの。長い年月を経て何かのほころびが出たのであろう、そこから漏れ出したやつの一部と思うて間違いない。なぜなら、主らがデルタミクシアと呼ぶあの場所には、まだデクスの気の大半が残っておるのが感じ取れるからだ。』
舞が驚いた顔をした。
「え、一部で、あんなにたくさんの人を…大変な目に…。」
シャルディークは、舞を見た。
『のう、舞。デクスに力を与えておるのは、一体なんだと思うか?』
舞は、唐突に聞かれてためらった。デクスの力?なんだろう…なんか悪いもの?
「悪い気、とかでしょうか。」
シャルディークは意外にも大きく頷いた。
『大きなくくりから見るとその通りよ。恨みや憎しみ、妬み、悲しみ、恐れ、そういった感情というのは黒く力も強い。誰の心の中にも少なからずある。あやつはそこへ入り込み、それを糧にして大きくなり、そしてさらに食らって、また大きくなりと繰り返し、ああなった。つまりは、あれは成長しておるわけであるな。人からその黒い力を得ながらの。なので、そんな感情を生むためになんなりとする。これ以上、あやつに力を着けさせとうないが、人はそういう感情を捨てられぬゆえなあ…。』
そう言えば、あれほどのことをされたにも関わらず、シャルディークがデクスを恨んでいるような様子はなかった。ただ淡々と事実だけを述べているだけだ。ナディアも、生前は恨んでいるような感じだったのに、今はただ穏やかに、シャルディークと共に居られるのが嬉しいようで、明るい気を発しながらバーク遺跡へと飛んでいるのを感じる。
「何かを恨んでいたら、倒せないということでしょうか。」
シャルディークは、そう聞いた圭悟を見た。そして、頷いた。
『その通りよ。相手に力を与えてしまうからの。恨みだけではない、悲しみも、怒りも、全てがあやつの力になってしまう。あれを倒そうと思うたら、無心になって、我の力を使うよりないの。それとも、己を閉じ、我に完全にその体を貸し与えるか?しかし…お前達の世であるから、お前達が何とかせねばならぬと我は思う。力は貸すがの。』
アークとマーキスが顔を見合わせた。心の中に、何もない穏やかな状態を保った上で、倒しに行く…でなければ、相手に力を与えてしまい、返り討ちに合うかもしれない。
「オレは」マーキスが、下を向いて言った。「無理ぞ。アーク、主なら安定していよう。サポートするゆえ、主がシャルディークの力で核を殺すがいい。」
アークは、頷いたが自信が無さげだった。圭悟がシャルディークに問うた。
「シャルディークは、既にアディアがアディアでないことを知っておったのですか?」
シャルディークは、圭悟に頷いた。
『知っておった。アディアは、記憶に過ぎない。核がデクスであるなら、あれはデクス。しかし、残酷であるのは、その核自身は赤子に過ぎぬのだ…生まれたばかりのデクスの分身と申そうか。そこにアディアの記憶が己の物として与えられたわけであるから、自分はアディアだと思ってしまうわけよ。あの命は、なので本体のデクスが呼ばぬ限り自分がデクスである事実には気付かなんだと思う。我も、なのであえて何も言わなかった。主らもそれ以上何もきかなんだであろう。』
舞は、シャルディークを見上げた。
「そんな…でも、山から逃れる時は、確かに身を捨てて助けてくれようとしたのですわ。キールから飛び降りて、回復術を使って…。」
シャルディークは、悲しげな顔をした。
『そうよな。誰にでも可能性はある。デクスがアディアのように生きていれば、恐らく少し嫉妬深いぐらいの普通の人として生きることが出来たであろうことが、それで分かる。しかし、本体のデクスが介入して来たのなら仕方があるまい。あやつは深い闇に囚われた男。我もナディアも、あれを残してしまったこと、後悔しておるのだ。封じるのではなく、黄泉へ連れて参らねばの…生き直させてやらねばならぬ。』と、遠くに見える繭を見た。『まずはあれよ。アディアの心を殺して尚その体に巣食っている闇を葬らねばならぬ。しかし、主らには準備が要る。』
アークが、覚悟したようにシャルディークを見上げた。
「なんの準備だろうか。」
シャルディークは、山の頂上を指した。
『ほころんだ、ナディアが施したデクスの封印を、完全に封じる形に戻す。さすれば、デクスは力を失っても己の本体から補充することは絶対に出来ぬようになる。その後にあの繭を形成しているアディアの中の核、そしてデシアのデューの中の核を滅し、最後に再びデルタミクシアの本体を滅する。それで、デクスはこの世から跡形もなく消え去ることになる。先に本体を滅しないのは、一度解放してからでなければそれが出来ないからだ。解放したときに、あちこちに散らばっている欠片の方へ飛ばれたら、そこでの被害は甚大になる。今の被害のまま、デクスを倒すのにはこの手順が一番良いのだ。』
黙っていたシュレーが、ため息を付いた。
「それはまた…簡単に言うな。」
シャルディークは頷いた。
『簡単なことぞ。問題は、本体が主らの手に負えるかどうかという事であるな…。』と、シャルディークは一人一人、そこに居る者達に視線を向けた。『…そうか…いろいろと物思いもあろうの。生きておれば当然のこと。今最も本体を倒すのに適しておるのは、キール。』
皆が一斉にキールを見た。キールは、黙ってシャルディークを見返した。
「それは…?」
圭悟が訊ねると、シャルディークは言った。
『一番に落ち着いておるのだ。妬みも恨みも悲しみも怒りもない。他は何かしらどこかに深い悲しみや…いろいろな物を抱えておる。ただ、キールは我の血族ではない。我の力に耐えきれないであろうな。アーク、マーキス。主らの中のソレを早く消すよう努力せよ。我が言うておること、分かるはずぞ。そうでなければ、主らがデクスに飲まれて我の力をもデクスの手に落とすか、キールが我の力を使ってデクスを消し命を落とすか、どちらかになってしまうわ。』
アークが眉を寄せて、マーキスは視線を落とした。二人共に、自分の中の負の感情を知っているのだ。
シャルディークは、繭の方を眺めながら言った。
『では…準備が出来たら呼ぶが良い。急ぐ必要はない…十分に気持ちを落ち着けて、心の整理を付けてから参らねば直に食われてしまうぞ。あれに近付くには、マイの力で浄化の結界を張って進むよりないであろう。それでも、外から心の弱いところを突いて入り込もうとする…憑かれるでないぞ。』
シャルディークは、来た時と同じようにスッと消えた。アークとマーキスは、まだ黙ったままだった。皆が居心地悪げにしている中、舞は居たたまれなくて、立ち上がった。
「あの、私…マイユさんを手伝って来るわ。」と、チュマの手を握った。「チュマ、行こう。」
二人は、牧場で作業をしているマイユを手助けしに出て行ったのだった。