巣
「なんなんだ、これは!」
玲樹が、チュマを抱いて庇いながら言う。チュマが、震えながら玲樹に抱きついて行った。
「あれだ…あの、怖い嫌な気だ…!」
ラキが、なす術もなく身をよじって苦しみながら形を変えて行くアディアを見て叫んだ。
「くそ…!バレたから用済みなんだよ!アディア自身が抑えるのを諦めたから、あいつはこいつを使ってこっちへ来ようとしている!」と、近付こうとして、その黒い気に押し返された。「こんな人の多い場所でこれをされたら、シオメルがデシアの二の舞になってしまう!」
それを聞いたキールが、思い切ったように前に出た。
「皆伏せろ!」キールは見る見るグーラに形を変えた。『オレが山へ連れて行く!』
部屋いっぱいの大きさになったキールは、アディアを足で掴んだ。ラキがキールの大きさに伏せたまま言った。
「やめろ、キール!お前まで食われるぞ!」
キールは、それは聞かずに割れた窓からアディアを掴んだまま、飛び出した。ラキが、それを見て舌打ちをすると、その背に飛びついた。
「ラキ!キール!」
圭悟が叫んだ。シュレーが、飛んで行く先を目で追いながら言った。
「オレ達も行くぞ!マイは!マイはどこだ?!キールをすぐに浄化しなければ…!」
階下へ駆け降りて行くと、舞もマーキスもそこには居なかった。皆が夜中の騒ぎとグーラの姿に驚い起きき出し、一階は大変な騒ぎだった。その間をぬって外に飛び出すと、そこにはマーキスが居た。空を見上げている。シュレーは叫んだ。
「マーキス!マイはどこだ?!」
肩を掴まれて振り返ったマーキスの頬には、まだ涙の跡があった。シュレーは一瞬ためらった…舞は、出て行ったのか。
「どっちへ行った?!キールが、デューに憑かれたアディアを掴んで、人里を離れようと飛んで行った!マイに浄化させないと、キールまで食われてしまう!」
マーキスは、我に返った。
「あちらの方角へ走って行った。しかし、どこへ行ったのかわからぬ。」と、駆け出した。「ここでは人目がある。早ようあちらへ!キールを追う!」
シュレーが頷いてアークと共にそちらへ向かうと、圭悟は言った。
「オレは舞を探す!きっとあいつは、レムとマイユの牧場に向かったはずだ。そこしか、ここで知っている所がないんだよ!玲樹、お前も来い!陛下、来られますか?」
リシマは頷いた。
「我とて、何かの役に立つやもしれぬからの。」
三人がそちらへ向かうのを走りながら見たシュレーは、答えた。
「居場所が分かったら腕輪で知らせろ!」
圭悟と玲樹は駆け出しながら頷いた。脇の茂みでグーラに戻ったマーキスに乗って、シュレーとアークはキールの飛んで行った先へと飛んだ。
ラキは、黒い気に巻き込まれながら、キールの背で必死に叫んだ。
「キール!正気を保て!己を失うな!中心だけは守るんだぞ!」
キールの答えはない。しかし、ふらふらとよろめきながらも、真っ直ぐに人里から離れた場所へ飛んでいるので、正気を失っていないことは分かった。ラキは、迫って来る山を見た…山に、堕ちるな。
キールの飛び方を見ていたら、もう長く飛べないことは分かった。余裕なく何度も地上すれすれまで落ちながら、それでもアディアを足に掴んで離さなかった。眼下に、木々の無い山肌が見えた。ラキは、叫んだ。
「キール!あそこへアディアを投げろ!もう無理だ、ここなら被害は少ない!」
キールは、朦朧とする目でそれを見た。投げる…そこへ。
キールは、投げるというより、アディアを手放した。なす術もなくアディアはそこへ向かって落下して行く。しかし、途中で浮きあがったかと思うと、まるで爬虫類のようになった皮膚から何かの触手のようなものが無数に伸びて、地面にまるで根を張るように刺さって行く。ラキは目を見張った…これは…!
キールの高度が極端に落ちる。ラキは必死にキールに、出来る限りの技を使って力を与えながら、叫んだ。
「キール!捕まるぞ!あれに捕まったら、おしまいだ!引き返せ!高度を上げろ!」
触手の一本が上へと伸びて来る。それに伴って、他の触手もどんどんとキールへ向かって伸び始めた。キールは、もはや半分以上意識がなかった。何かが来る…!逃げよと、誰かが叫ぶ。兄者…?
キールは、良く見えていない目で、気配だけを頼りにそれを避けながら飛んだ。ふらふらとしながら、それはすれすれをかすめて行く。ラキは、キールの背で必死に剣を振って、出来る限りの触手を斬り落とした。
「キール!戻るんだ!北…北の方角!!」
キールは、本能的に知っている北の方角へ頭を向けた。ラキは思った…そうだ、グーラは方角を体で知っている。その他全て、人なら計器に頼ることを、グーラは体で正確に計る。ラキは指示した。
「高度500まで上がれ!下から敵が来る!北へ!東の方角から敵の罠が巻き付いて来るぞ!」
キールは、言われた通りにすぐに反応した。シオメルの方角へ向かい、右から来る触手を回避して物凄いスピードで上昇し、飛んだ。
見る見る、アディアから離れて行った。上空から見るその姿は、もはやアディアではなかった。爬虫類のようになった体から伸びた無数の触手が根を張り、回りを繭のように包み、巨大な丸い巣のようになって行った。辺りには禍々しい気が満ち、あれがあのまま街中であったならどうなっていただろうとラキは思った…やはり、デシアの二の舞だった。ラキは、キールの首を撫でた。
「よくやった、キール。とにかく被害は最小限に食い止められた…」
キールは、急に落ち始めた。気が緩んだのか、それとももうとっくに限界だったのか、キールの意識はなかった。
「キール!しっかりしろ、地面に叩き付けられるぞ!」
しかし、キールの体は壊れた人形のように落下し続けた。ラキが、飛び降りるしかないと思い始めた時、上から声が跳んだ。
『…掴まっていよ!ラキ!』
ラキは、大きな影を見上げた。それは、アークとシュレーを乗せた、マーキスだった。
ラキは、キールの首のほうへ寄ってしっかり掴まった。マーキスが、足を両方ともこちらへ向けたかと思うと、それでがっつりとキールの背骨の辺りを掴んだ。ガクンと体が揺れ、マーキスの羽ばたきに合わせて上下に揺さぶられる。ラキが振り落とされそうになりながら掴まっていると、揺れが収まった。
『よし、掴まえた。どこへ降ろす、シュレー。』
シュレーは、指を差した。
「あっちだ。あの北西に見える農場。知り合いの農場なんでな。」
マーキスは、そちらへ向けて進路を取った。ラキは、キールの体をポンポンと叩いた。
「よくやった、キール。」
キールの意識はない。根本まで食われてしまっていないことを、ラキは祈った。