取り合い
結局、マーキスは夜中まで帰って来なかった。
舞は眠れなかったので、マーキスがそっと帰って来て隣のベッドに入るのを背中で感じていたが、何も言わなかった。聞きたくても、怖くて何も言えなかったのだ。マーキスからは夜の香りがして、間違いなく外に居たことは嫌でも舞にはわかった。
そんな次の日の朝なので、舞は寝不足で目の下にクマが出来てしまっていた。マーキスは至って普通の様子だったが、下へ降りた時に、アディアと目を合わせて、僅かに目が微笑んだのを舞は見た。きっと、何かがあった。でも、舞にはそれを聞ける度胸も覚悟もなかった。
何も知らない皆が、一旦シオメルへ向かうための準備を整えて、グーラになったマーキスとキールに分かれて乗るのを、舞は暗い気持ちで見守った。でも、皆にまた心配を掛けてはいけない。なので、何もないフリをした。
ジョシュが、見送りに出て言った。
「気を付けて行くがいい。そう何度もオレも助けられるとは限らぬしな。」
圭悟が、頷いた。
「ありがとう、ジョシュ。また、必ず来る。」
ジョシュは頷いた。
「こんな不便な場所でよかったら、いつでも来い。ではの。」
二体のグーラは、飛び立った。ジョシュは、飛び去って行くマーキスの姿を、眩しそうに眺めた…親子として、何も会話はしなかった。だが、あの成長した姿を見られただけでも、よかった。
ジョシュは、感慨深くいつまでもそこに立っていた。
同じマーキスに跨っていた、圭悟が言った。
「舞…。」
その目は、気遣わしげだった。圭悟は、いつも落ち込んでいる時など、すぐに気付いてくれる。きっと、いつもと同じようにしているつもりでも、圭悟には分かるのだ。
舞はそう思ったが、努めて明るいフリをして圭悟を振り返った。
「なに?圭悟。」
圭悟は、何か言いたげだったが、何も言わずに首を振った。マーキスが言った。
『マイ、よく眠れなんだか?気が暗い…疲れておるのだな。』
舞は、答えた。
「ううん、大丈夫よ。大したことないから。」
すると、後ろに乗っていたアディアが言った。
「大丈夫?マイ。無理をしては駄目よ。」
舞は笑った。
「みんな、心配性ね。ほんとに大丈夫だから。」
その後ろに乗っているアークが、じっと舞を見ている。何か言いたそうだったが、結局何も言わなかった。キールに乗っている、玲樹が呟いた。
「なんかなー…。オレ、こういうの敏感なんだけど。あれって、なんかマズイ兆候な気がするんだよな。」
玲樹の後ろのリシマが、眉を上げた。その後ろのシュレーが言う。
「マズイって?何がまずいんだ。」
玲樹は振り返った。
「シュレーに言うのはどうかと思うけど、あっちに聞かれるわけにゃあいかないし、今言うけどよ。昨日の夜、マーキスとアディアが外で長い間話してたんだよ…気付かれてないと思ってるかもしれないが、オレは知ってる。夜中に目が覚めて喉が渇いたからキッチンへ行ったら、勝手口から隙間風が入ってて、それで閉めようと思って寄って行って、見つけた。マーキスはバレてないつもりかもしれねぇが、舞は知ってるんじゃねぇか。朝からまともにマーキスと目を合わせないし。」
一番後ろに乗っていた、ラキが言った。
「なんだ。それぐらいのことで。しょうもないの。」
玲樹がラキを睨んだ。
「おい、舞にとっちゃそれぐらいのことじゃねぇの!分かってやれよ、全く。」
すぐ後ろのリシマが言った。
「男なら、一度や二度そんなこともあるのではないのか。ただ、マーキスは下手であるな。相手に知られてはならぬのに。」
玲樹は頷いた。
「そうなんですよ、陛下。オレはそれが言いたいんだ。同じ部屋で寝てるのに、戻って来なければおかしいと思うじゃないですか。それでバレないと思っている方が間違っている。いくら今まで女を知らなかったからって。」と、キールを足先で突いた。「おいキール。黙ってないで、お前が教えてやれよ。だが、もう手遅れかもしれねぇぞ?もしもマーキスがアディアの手を出してたら、シュレーと横並びだ。婚約破棄なんてもんじゃすまねぇかも…。」
キールが、マーキスの方に声が届かないように気を遣いながら言った。
『…無理を言うでない。オレの方が何も知らぬのだぞ?好きな女も居らぬのに。居ったこともない。唯一良いかなと思うたのが、マイよ。あの気が慕わしくての。だが、兄者のようにはな…。』
玲樹がじれったげに言った。
「なんだよ、お前もか。だったら次はお前が舞を何とかしてやればいいだろうが。舞だってあんまり何も知らないみたいだし、お互い知らないんだから大丈夫だろうよ。シュレーもマーキスも、もう駄目だろう。ああいうタイプを落とそうと思ったら、清廉潔白でないとな。ま、オレじゃ逆立ちしても無理だ。」
シュレーが眉を寄せてイライラしたように言った。
「言わせておけば、好きなことを言いよって。マーキスがふらふらしているなら、オレの方が先に一緒に居たのだ。マーキスなら仕方ないかと思っていたが、そういうことなら遠慮もしない。あいつのように、女を知ってあっちこっちふらふらなど、オレに限ってはありえんからな。」
「はいはい、ま、無理だと思うが、頑張んな。」
と、玲樹はふと、マーキスの方を見た。圭悟が、何やら舞と筆談している。腕輪の機能を使って、指先で腕輪の画面上をなぞって、それを圭悟に見せ、圭悟がまた腕輪に書いて、それを舞に見せる、と繰り返していた。玲樹は、ため息を付いた。
「…忘れてた。あいつが居たか。圭悟はなあ、細かいことにも気が付くし、何よりこっちの世界に来る前に、あっちの世界で舞は、圭悟に惚れてたらしいんだよな。」
聞いていたシュレーと、それに尻の下のキールが驚いた顔をした。
『「なんだって、ケイゴ?!」』
あまりに声が大きかったので、あっちまで声が届いた。
「あー?!なんだ、玲樹か?」
圭悟が、こっちを見て言う。玲樹は首をぶんぶん振った。
「いや、なんでもなーい!」
玲樹は叫び返して、小声で言った。
「そうなんだよ、メグが言ってた。圭悟に一目惚れして、何しろ優しいし結構いい男だろうが。それで会いたいと思ってたらしいんだよな。圭悟本人は何も知らないと思うが、シュレーの時もそうだったし、今のマーキスの事でも、きっと気付いて話を聞いてやってるんだと思うぞ?あんなことまでして。」
と、まだ筆談している二人を見た。シュレーが、黙ってそれを見ている。ラキは興味も無さげで、リシマはふむふむと頷いた。
「ふーん、面白い。我はずっと王城で王族ぐらいしか接してこなんだからの。こんな庶民の恋愛を間近に見るとは思わなかった。我とて、マイのことは慕わしいと思うな。」
「ええ?!」
それには、ラキまでも驚いた。すると、マーキスがこちらを見た。
『さっきから何ぞ?あちらは騒がしいの。』
圭悟が答えた。
「何かの話で盛り上がってるんじゃないか?」
玲樹は、マーキスがこちらを見たので声を落とした。
「…陛下、それは見たことのないタイプだとは思いますが…。」
ラキが言った。
「珍しいのですか?慕わしいのではないでしょう。」
リシマは、首を振った。
「いいや。舞が我を浄化してくれたであろう。優しい明るい気であった。我を救ってくれたのだからの。だが、相手が居るのに割り込む気もさらさらなかったゆえ。そういうことなら、我も頑張るかの。」
シュレーが、慌てて言った。
「ご冗談はお止めください、陛下!」
リシマは大真面目に答えた。
「冗談ではないぞ。ま、あくまでマイ次第よな。無理強いするつもりはない。ただ選択肢として我も入るかな、との。」
シュレーとラキが茫然としている。こちらの会話には気付かず、舞はまだ圭悟と筆談を続けていた。