学びが必要?
舞は、とにかくその場から離れようとマーキスと一緒に二階へ上がったが、そこは皆二人ずつ入っていて、残っているのは初めてここに来た時に入った大部屋か、同じような二人部屋のどちらかだった。
いくらなんでも大部屋は広過ぎるので、二人部屋へ入ったが、マーキスは黙ったままだった。舞は困ったまま、とにかく寝ようとベッドを指した。
「マーキス、まだ回復したばかりだし、寝ようか。これからまたデクスの憑いたデューとも戦わなきゃならないし…体をきちんと治しておかないと。」
舞は言って、ベッドの上に座った。マーキスは、その横に座って言った。
「マイ。きっちり話しておかねばならぬ。あれはどういうことぞ?オレは…あれをすれば必ず子が出来ると思い込んでおったわ。なので、この旅の間は主とは結婚出来ぬと思うておった。だが、そうではないのか?ならば、早よう結婚しようぞ。オレだって、早く安心したいと思うておった。」
舞は、マーキスを見上げた。マーキスは普通の男のひととは違う。基本的な知識が全く欠けていて、知っていてもグーラでの知識なので、人とは違う。グーラには発情期があって、メスがその時期にオスを選ぶのだと聞いた。なので、マーキスの知識は間違いではない。グーラは、それによって何か問題がなければ必ず妊娠するからだ。
舞は、ヒトのことを自分が説明しなければならない状況に困り果てた。自分なんて知識はあるけど経験もないのに、知ったかぶりに説明出来たもんではない。だが、マーキスは思い詰めたような顔でこちらを見ている。あまり無下に扱うと、またあらぬ猜疑心を起こしそうで、どうしたものかと舞は悩んでいた。舞が考え込んでいると、マーキスはそれを見て眉を寄せた。
「…それとも、主はオレと結婚したくないのでは…、」
舞は慌てて首を振った。
「またマーキスったら!違うわ、私だって結婚なんて初めてなんだから、それにマーキスとそんな突っ込んだ話をしなかったから、マーキスが一刻も早く結婚したいと思っているなんて思わなかったし、子供が絶対出来ると思ってるとも思わなかったし…話すから、だからそんな誤解しないで!」
マーキスは舞はあまりに必死に言うので、思わず黙った。舞は、ため息を付いた。
「人はね、違うの。ひと月のサイクルで回っていて、その、あんなことをしても、子供が出来る時と出来ない時があって…。」
マーキスは真剣に舞を見て、その話を聞いている。舞は結婚する相手なのだから、何も恥ずかしくはないと自分に言い聞かせながら続けた。
「子供が欲しければその時期に、そうでなければ時期を外してすればいいの。ジョシュが言っていたのは、そういうことだと思う。」
マーキスは舞に顔を近づけて言った。
「その時期は、主は自分でわかっておるのだな?」
舞は、思わずのけぞりながら頷いた。
「え、ええ…計算すれば分かるから…。」
マーキスは、納得したように頷いた。
「そうか、やっとわかったぞ。なので玲樹はあのように遊び回っておるのに、一人の子もおらぬのだな。あやつが真のサラマンダーを知らぬと申すから、オレは何度も聞いて、話を聞き出しておったのだ。よくそんなビジネスが成り立つものだと思うておったが、女がわきまえておるならそれも道理よ。」
舞は目を丸くした。
「え、マーキス、まさかサラマンダーに…」
マーキスは慌てて首を振った。
「行っておらぬぞ!アークは、何も知らぬのだから結婚の前にそういう場で試した方がいいのではないかと言うておったが、オレはもしものことを考えて断った。第一、ダンキスが散々な目に合っておるのを見ておるのに。」
舞はじーっとマーキスを見た。その目に、今度はマーキスが困って言った。
「本当に何もしておらぬというのに。今の今まで、絶対に子が出来ると思うておったからの。」
舞は、頷いた。
「分かるけど、でも今知ったから…。男のひとって、みんなそういうのに弱いって聞いたし…これからマーキスが、玲樹と一緒に出掛けないとは言えないし…。」
確かにあのダンキスでさえ、あれだけシャーラと仲が良いにも関わらずあのような場所に行っておったのだ。舞が疑ってもおかしくはない。だが、自分は本当にそんな所へ通うつもりはないのに。
「オレがそんな風に見えるか?」マーキスは言ってから、ため息を付いて、小さくつぶやいた。「…やはり、オレには無理なのか。アークの言うように、少しは女を知らねばならぬか。」
舞は、空耳かとマーキスを見た。マーキスは、立ち上がって戸口へと向かった。
「…主は休むが良い。オレが悪かった。何も知らぬのに、主にばかり聞いて…主が呆れるのも道理よ。ほとんどの男は、結婚する時にはある程度のことを知っておるのだと聞く。オレにはそれがない。主が結婚に踏み切れぬのも、わかる。これ以上は言わぬゆえ。」
マーキスは、出て行った。舞は呆然とした…言い過ぎたかしら。でも、怒っている感じではなかった。もしかして、それより悪い状態なんじゃ…?マーキス、他の女のひとで学んで来るつもりなんじゃ。
舞は顔色を無くして、そこに座っていた。とても眠るどころではなかった。
その少し前、ラキと共に部屋へ入ったシュレーは、無造作にベッドへ寝転がるラキに言った。
「ラキ、オレには話してくれてもいいだろう。どうしてリーディス王を恨んでいるのだ。あんな、デューの言いなりにまでなって…お前は、何も変わらないんじゃないのか。」
ラキは、ちらりとシュレーを見て、起き上がった。
「聞くだろうと思ったわ。シュレー、知りたければ己で調べろ。確かにオレは何も変わらない。昔も今も、恨みと友情の間で悩んでおるわ。ミクシアでシンシアがあの爆弾を投げた時、これで何もかも終わったのだと思った。解放されて、恨みだけに生きて行けるとな。だが、実際は違った…やはり、無理だったのよ。オレはその時その時の自分に正直に生きて行く。今は鬱陶しいデューを始末したいと思っている。それにはお前達の力が要る。だから助けただけよ。勘違いするな…オレは、ハン・バングには行かない。お前達もデューを始末するには、オレの知識が要るだろう。お互いに利用すればいい。」と、また寝転がった。「これ以上は答えないぞ?お前も休め、シュレー。お前のその姿の事も、オレは何も聞かない。」
シュレーは、こちらに背を向けたラキを見つめた。恨み…いったい、どんな恨みがあるというのだ。デクスの闇すら凌駕するような、心の闇…。
シュレーは、黙ってその隣のベッドに横になって目を閉じた。バルクへ帰ったら、必ずラキの父、ラルクのことを調べよう。
仮眠を終えた皆は、ジョシュが準備してくれた夕食を取って、一階で寛いでいた。マーキスは別に怒っている風でもなく、普通に舞の横に座っている。皆が仮眠を取っている時、マーキスがどこへ行っていたのかも舞には分からなかった。舞とアディアはジョシュを手伝って後片付けを済ませ、皆がぞろぞろと部屋へ戻って行く中、マーキスは言った。
「先に部屋へ戻っておいてくれ。」
舞は気になったが、部屋へ戻って来てから昼間のことを聞こうと思い、黙って頷くと階段を上がった。マーキスは、キッチンの方へ歩いて行く。舞は、驚いてそっとその後ろ姿を見た。キッチン…キッチンには、今ジョシュとアディアしか居ないのに。
舞は気になって、思わず足音を忍ばせてその様子を伺った。
キッチンには、皿を拭いているアディアが一人きりだった。
「アディア?ジョシュは。」
マーキスが言うと、アディアは答えた。
「ああ、もうこれだけだから。やっておくわと言ったの。ジョシュに用?」
マーキスは首を振った。
「いいや。主に話があっての。少し、時間はあるか?」
アディアは驚いた顔をした。
「私に?…いいけど、どうしたの?何?」
マーキスは、窓から外を見た。とっくに日が暮れて、星が出ている。
「外へ出ぬか。」
アディアはためらった。
「ええ…ちょっと待って、今コートを取って来るから。」
マーキスはスッと自分の上着を脱ぐと、アディアに掛けた。
「良い。ここから出よう。」と、キッチンにある勝手口を開けた。「さあ、アディア。」
アディアは困ってマーキスを見上げた。
「マーキス…でも、これじゃあマーキスが寒いでしょう?いいのよ、あの、別に…、」
マーキスは首を振って、アディアの肩を抱いた。
「オレは寒さはあまり感じぬのだ。さあ、こちらへ。」
アディアはそのまま、マーキスにまるで連れ去られるように、勝手口から出て行った。
舞は、それをキッチンの戸の隙間から見ていて、血の気が退いた…やっぱり、マーキスはきっと、女のひとを知ろうとして…。でも、どうしたらいいの。もしかして、本当にアディアに興味を持ったのかも知れないのに。私はすんなりマーキスと結婚しようとはしなかったし、一生懸命なマーキスに、恥ずかしいからとはっきりしたことを言わずに来た。ああやって誰かを探して、そちらがいいからと言われても、文句は言えない。マーキスは焦っているみたいだった。それに、結婚して安心したいと言っていた…つまり、マーキスはそれまで、人のことが分からなくて、私が誰か人と先に結婚でもしたらと思っていたのかも知れない…。そんなことが嫌になったのだったら…?
舞は、それを追って行くことも出来ずに、ただそこに立ちつくしていた。どうしよう…。アディアとマーキスが、もしも恋人同士なんかになってしまったら…。