マーキス
「…そして、サラマンテが不穏な動きに気付いて、ローガに助けを求めていたので、ローガは我らを探しに来た。」ジョシュは言った。「ローガは激怒して、巫女を殺した種族と言って、ライナンの兵を連れてその種族を滅ぼした。セリーンが駆け付けて激昂し、子の行方を探した。子は、グーラとして誕生し、皆に大事に育てられていた。セリーンは、愚かな人に育てられるよりはと、その話せる能力でグーラ達に頼み、そこへ留めた。オレはローガにこの山小屋の管理を任され、ローラの父だったので、ローラとのことを聞きたがってよくここへ来た。サラマンテと会うのも、ここでだったようだ。オレが来た時にはもう、あいつらは会わない約束をした後だったので、一度もここでは会っていなかったが。サラマンテは、オレ達のことに反対などしていなかった。回りの他の巫女達や、民達が騒いでいたのだと後に聞いた。」ジョシュは、息を付いた。「まさか我が子が人に拾われ、人の中で育ち、人型を取り、人と愛し合うなど思いもしなかった…マーキスとマイが愛し合うには、周囲の理解が要る。オレは、マーキスがグーラだと、誰にも知らさずただ人としてのみ生きることしか、二人の幸せの道はないと、最初に会った時思ったのだ。だから、あのように言った。厳しい道が、ひとつとの。」
舞は、あんまりな出来事に涙が止まらなかった。ただ、愛し合っただけなのに。人とはなんて、残酷になれるのだろう。ローラさん…マーキスの、お母様。そして、目の前のジョシュは、お父様。
「…オレは半分人であったのか。」舞が握る、手の先のマーキスが目を開いて言った。「アークと風貌が似ておるのは、血が近かったからなのだな。」
舞が、マーキスの顔を覗き込んだ。
「マーキス…!約束したのに!危ないことは、しないって…。ああ良かった…。」
舞は、マーキスに頬を寄せて擦り付けた。マーキスは微笑んだ。
「すまぬな。主の命は、何物にも変えがたいのだ。マイ…主が無事なら、オレは良いのよ。」
ジョシュが、マーキスに話し掛けた。
「体の具合はどうか?傷はすぐに塞いだ。戦闘の最中でも、誰かが治癒術を掛けてくれておったのだな。出血は止まっておったから、大事には至らなかったのだ。」
舞が頷いた。
「アディアが!アディアが飛び降りて掛けてくれていたからだわ。」
アディアは、少し恥ずかしそうに言った。
「それしか、取り柄はないの。役に立ったのなら、良かった。」
マーキスは、起き上がった。舞はびっくりして慌てて押さえた。
「まあ、駄目よ!さっきまで死にかけていたのに!」
マーキスは首を振った。
「大事ない。グーラの気は、何のために強いと思うておる。あんなもの、グーラ同士の戦いに比べたらましよ。」
ジョシュが顔をしかめた。
「確かにそうだが、本当に死にかけたのだぞ?皆、本日はここで休むがよい。リーディス王が、ハン・バングで会いたいと伝えよとのことだ。到着する日時を伝えよと。」
圭悟が、息をついて頷いた。
「やっとゆっくり休めます。お言葉に甘えて、今日はこちらでゆっくりさせてもらおう。」
ジョシュは、頷いた。
「腕輪を返しておこう。預かっておったであろう。」
そして、ジョシュはそこを出て行った。
やはり誰も泊まっていなかったので、部屋はどこでも好きに使うといいとジョシュは言い、アディアと圭悟、玲樹は上に上がって行った。遅れてシュレーもラキを誘って上がって行き、残ったのは舞とマーキス、キール、アーク、それに再び人型になったチュマだった。チュマはお腹が空いたとジョシュに作ってもらったサンドイッチを、無心に食べていた。舞がそれを世話し、マーキスはそれを見守っていた。ジョシュは言った。
「もしも、オレ達が無事に子供を育てていたなら、恐らくこんな感じであったのだろうな。ローラもオレも、まだ本当に若かった…今思えば、危機を察知することも、まだ出来なかったのであろうの。サラマンテもそれは後悔していた…自分がもっと、他を押さえることが出来ていたならと。ローガは元より動けなかった。巫女との婚姻は、許される事ではなかったし、サラマンテのことも、厳重に秘されていたからな。それでも上の二人が許されていたのは、稀少な存在の巫女だったからだ。巫女は誰とも話す事を許されず、奥にこもっておるので未婚が通例。なので数が少なく、ミクシアの存亡の危機だった。サラマンテは巫女には珍しい外交的な性格で、篭るのが嫌でこっそりふらふらと外へ出て来ておったのだ。そこでローガと出逢い、愛し合ったのだと聞いている。巫女は話さないと言うが、サラマンテはよく話した。ローガと会っている時は、ローガが聞き役でサラマンテが一人で話していたのだそうだ。何しろ、ローガが見初めたというより、サラマンテが見初めたらしいからの。ローガは始め、流されただけで戸惑ったのだと。」
アークは、驚いた顔をした。
「しかし…父は母を想っておったと思う。死ぬまで…。」
ジョシュは頷いた。
「それはそうよ。サラマンテはあれほどに美しかったし、ローガに対する気持ちは並大抵ではなかったからの。最終的には、ローガの方がここへ来て、待ちぼうけておったわ…来ないと分かっておっても来ておったしな。サラマンテの一点の曇りもない愛情は、ローガには眩しいほどだったようだ。」
アークは、暗い顔をした。
「しかし…母は去った。」
ジョシュは、アークを見た。
「それを主に話したかったのだ。サラマンテは、主が生まれて男だった時、言った。『この子は、ミクシアでは認められない。あなたに連れ帰ってもらわなければ、この子の未来はない。』とな。さっきも言ったように、巫女を生んだからこそ、皆黙っていた。男では、黙っていないだろう…しかも、サラマンテはミクシアでも微妙な立場だった。上のセリーンは巫女にはならないとミクシアを出ていたしな。そんな子供を生んだ巫女と、表に出る事を非難されるようになっていたのだ。このままでは、アークもローガも、皆の弾圧に合って殺されてしまうかもしれない。サラマンテがまた身籠っていたことは、皆が知っている。死産と伝え、自分がミクシアの神殿に篭る事で、皆の関心がローガやアークに行かないようにと考えたのだ。そしてサラマンテは、ローガの元を去った…死する時も立ち合えず、どれ程に嘆いておったか。アーク、主のことも気にはしておるようだったが…サラマンテはの、すっかり老けてしもうて、もう、死ぬまで巫女の務めを果たすだけど、無気力になってしもうておっての。オレもここ数年は会ってはおらぬから、どうしておるのか知らぬがな。」
舞が答えた。
「あの、最近会ったのです。私が巫女だと教えてくださったのは、サラ様でした。お年は召していらしたけど、とてもお元気そうでしたわ。」
アークは、少し複雑な顔をした。
「オレのこと、気付いておったろうに。そんな素振りも見せなんだ。」
ジョシュは笑った。
「サラマンテを幾つだと思っておるのだ。腹で思うておることを隠すなど、お手のものよ。」と、舞を見た。「サラマンテは、やはりよくしゃべったか?」
舞はふふと笑った。
「ええ。私達には。ナディアと、私にしか話しませんでしたけど。」
ジョシュは、少し驚いた顔をしたが、声を立てて笑った。
「おおそうか。あやつ、完全に巫女のふりをしておるのだな。あの頃は黙っているとカビが生えるとか言うて、ここに来たらオレにもローガにも言いたい放題であったのに。」
舞は驚いた。あれほど完璧に巫女の君であられたのに。でも、確かに少し、茶目っ気もおありになったかな。絶対綺麗なことしか知らないだろうと思っていたけど、案外といろんなことをご存知で、虚を突かれたものだった。ナディアの方が、まだ何も知らなかったぐらいだった。
ふと重みを感じてみると、チュマがサンドイッチを食べ終えてお腹が満たされて眠くなったのか、今度はソファの上でうとうとと眠り始めている。舞は苦笑した。
「まあチュマ…。そろそろ私達も仮眠する?マーキス。」
マーキスが頷いてチュマを抱き上げようと腕を伸ばすと、ジョシュが立ち上がって先にチュマを抱き上げた。
「ああ良い。主らは疲れておるだろう。チビは明日までオレが面倒を見てやるよ。まだ婚姻も済んでおらぬのに、先に子育てとは主らも大変よの。ここなら身内だけであるし、ゆっくりするが良い。」と、一階の自分の部屋へ向かった。「マーキス。教えておいてやるが、婚姻をしたからと言うて、必ず子が出来る訳ではないぞ。そこの所はマイとよく話し合うが良いわ。此度のようなことがあっては、結局は想いも遂げられぬまま死することになろうぞ?ではの。」
マーキスは呆然としている。舞は、その意味を考えて赤くなって下を向いた。アークが聞かなかったフリをして冷めたカップの茶を口に運んでいる。しかしマーキスは、そのアークに言った。
「あれはどういう意味ぞ。アーク、あれはしたら必ず子が出来るものではないのか。」
アークは舞の手前、明らかに言いにくそうに言った。
「いいや、その証拠にオレとナディアの間にはまだ子はないであろう。ダンキスもそうだろうが。」
マーキスは真剣に考え込んだ。何かを思い出しているようだ。
「…そうだ。確かにシャーラとダンキスには子が居らぬ。オレの兄弟達に手が掛かるし、それどころではないと昔は言うておったが…今は、あやつらも手が掛からぬのに。」
キールは、困惑した顔をしている。キールも若いし、グーラだったので知らないのだ。わざわざそんなことを教える者も居なかったのだろう。マーキスも、グーラの集落で居た幼い頃の遠い記憶でしか知らないのだから、深く知らないのは道理だろう。しかも、兄弟は皆オスなのだ。
アークはそのなんだか分からないが気まずい沈黙に耐えられず、立ち上がった。
「さあ、オレも少し仮眠する。夜まで起きておる自信がないしの。キール、参るぞ。」
キールは、ハッとしたようにアークを見上げると、頷いてアークについて階段を上がって行った。マーキスと取り残された舞は、どうしたものかと困っていた。