国境を越え
ラキの言う道は、本当に険しく、登っても登っても先が見えないような暗闇だった。先頭のラキが持つ小さな懐中電灯の明かりだけがその穴を照らしている。舞が杖の先を光らせようにも、両手で目の前の傾斜した道を掴みながら登って行くので、手が塞がっていて杖を持つことも出来ない。しかし、人一人がやっと通れるその穴は、確かに追って来るには無理な場所だった。
マーキスとキールの首飾りの発信機は、玲樹が急いで取り外し、寝ていた洞窟へと置き去りにして来た。良かれと思ってこの首飾りを作った時に付けたその機能が、こんな事になろうとは思わなかった。しかし、ラキだけがそれに気付いたことにはメリットがあった。探し回る時間を短縮でき、早めに脱出することが出来たからだ。ラキ…。舞は、その背を見ながら思った。どうして、皆を殺そうとまでしたのに、今はこうして助けようとしてくれるのだろう。ラキの、心の闇とはどんなものなのだろう…。
舞には分からなかったが、今はとにかく、早くリーマサンデを出なければならない。シャルディークは助けてくれるだろう。だが、デュー本人であるならばいざ知らず、ただ黒い気に憑かれただけの哀れな人達を、倒す自信は舞にはなかった。また、自分を犠牲にしてまで民の為と考えたシャルディークが、そんな人達を無慈悲に殺してしまえるかというと、それはまた疑問だった。
先頭のラキがこちらを振り返ったようだった。
「ここから、傾斜が緩くなって、道が広くなる。」
そう言ったかと思うと、横へとするりと抜けだして言った。次のシュレーが続き、圭悟、玲樹と来て舞に番になった。そこは、広い空間に抜ける壁に開いた穴のようだった。その穴から、舞がその広い空間へと飛び降りると、後ろからマーキスが、そしてキール、リシマと通って抜けて出た。
「ここへ出るのか。」
アークが感心したように言った。舞が、急いで杖を出して辺りを照らす。ラキは、全員が抜けたのを確認すると、すぐに歩き出した。
「急ぐんだ。ここはまだ中腹だぞ。ペースを上げる。夜が明けてしまう。」
皆が、ほとんど走っているようなスピードで先を行くラキに、必死でついて行こうと足を速めた。傾斜が緩くなったと言っても、やはり登り坂のそこを小走りに抜けながら、シュレーは言った。
「ここを抜けたら、どの辺りに出るんだ。」
ラキは答えた。
「山道の脇だ。ライアディータから真っ直ぐに山を越える者達が通る、メインストリートの、脇の茂み。」
シュレーは驚いた顔をした。
「リーマサンデの国境警備の者が居るんじゃないのか。」
ラキは首を振った。
「そんな分かりやすい場所は探してはいない。ベイク側からしらみ潰しに探させている。奴らは、夜も休まない…操り人形だからな。命じられた通りに、ひたすら探す。そして、体力が尽きた者から順に倒れて、死んで逝く。死ぬまで普通と変わらずひたすらに探し回っている。」と前を見た。「どの辺まで来ているのか…かなりの効率で進んでいたからな。お前達の潜んでいた場所も、夜明けには恐らく到達しておったであろう。」
アークが言った。
「他の少数部族はどうなった?」アークは言った。「オレの友が居る。」
ラキは、ちらっとアークを振り返った。
「出たらすぐにマーリを送る準備をしろ。今すぐに何も持たずにダイナ河を下って海に出、海からシアへとライアディータへ逃れろと。そうでなければ、生き残ることは出来ぬやもしれぬ。今はまだ自分の身を守ることと、陛下を捕えること、それにお前達を殺すことにばかり気を取られておるが、直に国内に目を向けるようになる。山の方へ気を取られておる今、気付かれぬよう、小分けにライアディータへ逃れるのだとな。」
リシマが言った。
「では、デシアの民は?」ラキに、真剣な目で問う。「同じように脱出させられぬか。」
ラキは、首を振った。
「陛下、お諦めください。デシアは今、大変なことになっております。危険に気付いた者は、ベイクやサン・ベアンテ、デイナルへと既に出て行きつつありますが、デシアは既に捕えられた状態です。」
リシマは、衝撃を受けた顔をした。そんなに、酷いというのか。
するとその時、後ろから声がした。
「待って!」舞だった。「アディアが…付いて来れなくなってるの!」
ラキは、足を止めた。アディアが息を上げてふらふらと必死に足を運んでいる。舞が、その腕を取った。
「大丈夫?私に掴まっていいわよ。」
アディアは、肩で息をしながら言った。
「大丈夫…心配しないで。」
ラキは、時計を見た。
「…五分だけ。ここで水を飲むといい。」
皆は、途端にそこへへたり込んだ。目が覚めていきなりの強行軍で、ふらふらだったのだ。水を飲みながら、アークは素早くマーリに持たせる手紙を書いていた。マーキスは、舞を見た。
「マイ、疲れておろう。オレが担いで行こう。」
舞は、首を振った。
「私は平気よ。でも、アディアが心配…ふらふらだもの。」
キールが、アディアを見た
「では、オレが担いで参るか?体力があるのは、我らぐらいのものだろうし。」
しかし、アークが言った。
「お前達は、これからこの人数を背負って飛ばなきゃならないんだぞ?今まで乗って三人だったのに、四人だからな。体力は残せるだけ残して置いた方がいい。」
ラキが、黙っていたが、進み出た。
「オレが背負う。あと少しだ。」と、アディアに背を向けた。「急げ。行くぞ。」
アディアは、その背に掴まった。
ラキがまた、前へと進み出す。
皆は慌てて立ち上がって、それに続いた。
上から雪などが吹き込んで来ていて、足元が悪く、出口で手間取ったので、外へ出た時には、もう東の空がかなり白んで来ていた。ラキがそれを見て、眉を寄せた。
「…まずいな。これほどに時間が掛かるとは思わなかった。」と、回りを見回した。「まだ、姿はない。出るぞ。国境を越えるには、こちらからがいいだろう。広いスペースがあるので、グーラに戻りやすい。」
アークが、マーリを放つ。それは、リーマサンデの大地の方へと飛んで行った。その後、ラキに促されるまま、皆は雪に足をとられながらも脇の斜面を登って行った。容赦なく、日は昇って来る。舞は焦った…狙い撃ちと言っていた。そんなことになったら、大きなグーラはかえって不利だ。
そんなことを考えながら登って行くと、そこは頂上の一角で、木々が奇跡的に生えておらず、ぽっかり空いたスペースだった。白い雪の広場と言った感じだった。
「さあ、ここでグーラに…」
アークが言い掛けた時、バラバラと爆音が聞こえて来た。あの音は…ヘリ?!
舞が振り返ろうとした時、マーキスが舞を抱いて飛んだ。
「伏せろ!」
今まで皆が立っていた所には、鋭いが大きな音を立てて機関銃の弾が食い込んだ跡が、雪の上についていた。
「走れ!」
皆が一斉にバラバラの方向へと森の方へと走った。雪が深く、思うように進まない。それを見たマーキスが舞を小脇に抱えて木々の間へ飛び込んだ。
再び、機関銃の音がする。弾はいくつか傍の木々に跳ね返って鈍い音を立てていた。舞が木々の間から見ると、ヘリが二機ホバリングしていて、そこから兵士がこちらを狙って銃を構えている。舞は回りを見た…何もない。木々の間を奥へと行こうにも、目の前には二メートルほどの高さの壁があって、これを越えないとあちら側へ行けない。
ふと見ると、あちらでも木々の間に入った皆が、同じような、低いがそれを登っていたら狙い撃ちにされるだろう壁に阻まれて、立ち往生していた。その隙に、その広い空間にヘリが着地して、兵士達が無表情に銃を構えて降りて来る。舞は覚悟した…ここで、死ぬのかしら。私は、あっちの世界の住人だから、死なない。あちらの生活に戻るだけ。でも、マーキスのことを、忘れたくない…!
「マーキス…。」
舞が、マーキスを見上げる。マーキスは、舞を見た。
「マイ…。」マーキスは、舞をじっと見ていたが、そっと一度、口付けた。「案ずるでない。ただ目を瞑っておれ。」
舞は、言われるままにギュッと目を閉じた。すると何かの力の気配を感じ、ぐっと体を横から掴まれるような感覚がした。そして、そのまま浮き上がる。
『キール!頼んだ!』
『兄者!』
舞は、どこかへ向かって体が放り投げられて飛んで行くのを感じ、驚いて目を開けた。目の前には、グーラに変わったマーキスが、ヘリに向かって激しく炎を吐いている様が見えた。マーキスが、自分を投げたのだと、舞は気付いた。
「マーキス!」
舞は、こちらに居たアーク達に受け止められて、無事に着地した。同じくグーラに戻ったキールが、言った。
『乗れ!早よう!』
残っているのはアーク、シュレー、圭悟、玲樹、舞、リシマ、ラキ、アディアの8人。定員オーバーなんてものではなかった。しかし、飛び立てなくても、この二メートルの壁だけでも越えたら!皆は、慌てて順にキールに跨った。そこへ、銃の弾が音を立てて飛んで来た。やはり無表情に、兵士達がこちらへとやって来る。中には、先ほどのマーキスの炎に焼かれて顔が半分黒く変色している者も居た。やはり、なんの感覚もないのか。
キールに乗りかけた、ラキが降りて言った。
「行け!ここで時間を稼ぐ!」
と、向かって来る兵士に向かって剣を抜いた。シュレーも、同じように剣を抜いた。
「行け、キール!」と、飛んで来る弾を剣で弾き返しながら、言った。「急げ!」
あちらでは、マーキスが雨のように飛んで来る弾を避け切れず、傷を受けながらも、必死に魔法で兵士達をあちらへと押し返している。
「ああマーキス!マーキス!」
舞が涙ながらに叫ぶ。振り切るように飛び上がったキールから、アディアが思い切ったように飛び降りた。
「私に任せて、マイ!」
アディアが、下から言う。舞は、驚いて叫んだ。
「アディア?!駄目よ、アディア!」
アディアは、小さな杖を出してそれを構えて念じた。魔法陣が足元に現われ、その治癒魔法はマーキスに向かって飛んだ。それでも、一度で癒されるほど浅い傷ではなかった。アディアは、再び詠唱を始めた。
キールの背で、山のこちら側へと運ばれようとしていた舞は、マーキスが力尽きて雪の上に落ちるのを見た。
「嫌!マーキス!キール、お願いよ!戻って!マーキスが!マーキスが…!」
キールは、宙で迷った。あのままでは、兄は留めを刺される。しかし、兄が望んだのは…あんなことをしたのは…今、背に乗っている、舞を自分に託して救えと望んだからではなかったか。
しかし、背の舞は雪の上に飛び降りた。そして、必死に足を取られながら走って、あの壁のこちら側から落ちたマーキスを見た。
「マーキス!マーキスこっちへ!」
『マイ!』キールが叫んだ。『主が助からねば、兄者は何のためにあんな傷を負ったのか分からぬではないか!』
グイとキールの足が舞を掴んだ。舞は暴れた。
「嫌よ!マーキス!ああ誰か!」
その時、別の低い声が後ろから飛んだ。
『主らは逃れよ。オレに任せろ!』
舞は、その姿に驚いた。グーラ…しかも、マーキスのような色。濃いくすんだような青と黒の混じったような色の体。どこかで見た、色…。