裁きの間
その少し前、マーキスは、思った通り途中で途切れた脱出口の、中へと向かう戸の前で元の姿に戻り、その僅かな隙間に足を掛けて開錠すると、そこの廊下へと進み出た。廊下の上にある表示は、「19」となっている。ということは、この一つ上の階が、リシマの部屋になるのだ。
しかし、どの道にも電子キーが付いていて、マーキスの持つIDと指紋では開錠出来なかった。ここで立ち往生する…。それは、分かっていたことだった。恐らく何度も開錠しようとしたのを気取った王立軍の兵士が、すぐにでもここへやって来るだろう。マーキスは、それまではと冷静に回りを見回した。他の階と、何の変哲もない廊下…気。しかし、階上からは、重苦しい気が感じ取れた…なんと言えばいいのか、魂の底から嫌悪するような、それを滅してしまいたいような…。そんな、感覚がする。
エレベーターの、扉が左右に開いた。
「居たぞ!」
兵士の一人が叫ぶ。エレベーターからは、わらわらと兵士達が降りて来て、マーキスに妙なものを突き付けていた。あれは、リーマサンデで開発されたとかいう、銃というものか。
マーキスが抵抗もせず立っていると、兵士達はためらいがちに寄って来た。
「両手を上げろ。武器は持っていないか?!」
違う兵士が、手を上げたマーキスの体を触って確かめた。
「何もありません!」
「こんな所まで来るのに丸腰だって?」相手はさらに怪訝な顔をしたが、銃の先でマーキスを突いた。「とにかく、下へ!」
マーキスはおとなしく従った。これで、リシマに会えるのではないか?ま、それが数日後でないことを祈るだけよ。
牢へ放り込まれたマーキスは、ただじっと座っていた。退屈だが、別に居心地が悪い訳ではない。すると、そこにラキがやって来て、牢を覗いた。
「…なんだ、気でも触れたのか?どうやってあの空間を上った。」と、声を落とした。「何を考えている。こうなることが、予測できなかった訳ではあるまい。」
マーキスは、同じように声を落として言った。
「主には出来ぬことをしてやろうと思うたまで。構い要らぬ。オレはリシマに会う。」
ラキは、表情を険しくした。
「…そうか、アディアに会ったな?お前、あいつらの仲間か。」
マーキスは何も答えない。ラキは、じっとマーキスの顔を見て考え込んでいたが、頷いた。
「知らんぞ。お前の望むようにはしてやる。だが、リシマとは話せない…あいつはもう、恐らく飲まれている。」
マーキスはラキを見つめた。
「飲まれる?」
ラキは頷いた。
「だが、あるいはお前なら飲まれずに済むのかもしれない。しかし、オレには何も期待するな。」と、潜めていた声を上げた。「よし!こいつはもう、更生するのは不可能だ!裁きの間へ連れて行く!準備をするように、上に伝えよ!」
何やらバタバタと走って行く音がした。マーキスはラキを見た。
「すまんな。手間を掛けた。だが、ここからはオレが見て参るゆえ。」
ラキは、依然として険しい顔のままマーキスを振り返った。
「こんなことをしても、事態は良くならぬ。シンとキールはどうした?」
マーキスはフッと笑った。
「あやつらにはあやつらの仕事があるわ。」
ラキは、そのままじっとしばらくそこに立っていたが、何も言わずに出て行った。マーキスは、リシマが何に飲まれているのか、それに興味を持って思いを馳せていた。恐怖という感情は、今はなかった。
そのまま、何時間経っただろうか。
少し前に、何やら騒がしくなったので、やっと連れて行かれるかと思ったが、そうではなかった。そのうちに、また数時間が経過して、やっとマーキスの牢の前に人が立った。
「出ろ。裁きの間へ連れて行く。」
マーキスは頷いて、そのぶっきら棒な男について出て行った。後ろからは、やけに体の線がはっきり見える服に身を包んだ、白いような金髪の女が付いて来た。その女は、上から下まで、とっくりとマーキスを見回すと、言った。
「いーい男ねぇ。ねえデューラス、ほんとにあそこへ入れちゃうの?もったいない…なかなかこんな男は居ないわよ。」
デューラスと呼ばれたその男は、呆れたように振り返った。
「あのなあ、じゃあお前が代わりに入ってやれよ、シンシア。お前なら、入って出て来たって変わらないだろうよ。」
シンシアはフンと鼻を鳴らした。
「何よ、バカにして。」と、マーキスの肩に手を置いた。「ま、いいわ。おバカさんになっても、私のお人形にして世話してあげるから、安心してね、いい男さん?その方がいいなりになっていいのかもしれないわ。」
マーキスは、その手を払った。
「軽々しく触るでない。妻が気を悪くするゆえな。」
シンシアが、真っ赤になって眉を寄せた。デューラスが声を立てて笑った。
「だってよ!ははは、いい男には、とっくに女がついてるのさ、シンシア。誰彼かまわず擦り寄って行くのは止めるんだな。」
シンシアは、地団太踏んだ。
「うるさいわね!もう、あんた一人で連れて来なさい!」
シンシアは、踵を返すとさっさと別の通路から歩いて行った。デューラスは言った。
「こら、シンシア!お前、命令違反ばっかだぞ!」
しかし、シンシアは行ってしまった。デューラスはため息を付いた。
「ま、いいか。さ、あんたが行くのは突き当りの扉の中だ。オレはここまで。行きな。」
マーキスは黙って頷くと、その扉に向かって歩いて行った。デューラスはその背をしばらく見つめていたが、すっと視線を反らすとそこから消えた。
マーキスは、その扉を、ゆっくりと押し開いた。
「兄者!」
マーキスは、何もないその部屋に、キールが居るのを見て驚いた。捕まったのか。
「キール!主、なぜにここに居る!」
「我々から、逃げ遂せると思ったのですかな?マーキスさんとやら。」横の戸から出て来たのは、小柄で愛想のいい笑顔を顔に貼りつけた男だった。「やあやあ、どうしたことか、あなたの気は大きい。そんな人が、どうしてここへ来たのか、教えて頂きたいと思いましてな。」
マーキスは答えた。
「リシマと話したいと思うたからよ。主がそうか?」
相手は、盛大に笑った。
「はっはっは、私が王?まあ、そのようなものですがね。私は、イーデン・コーポレーションの社長のデュー・イーデン。どうしてもあなたのことを知りたいと、こうしてこんな所にまで足を運びました。さあ、お話しくださいますね?」
マーキスは眉を寄せた。
「どうしてオレが、それを話すと思うのだ?」
デューは、顔に張り付けていた笑顔を消した。
「あなたの弟が、どんな目に合うか見ておられたら、その気になるでしょうな。」と、手を上げた。「こっちへ降ろせ!」
天井から音がして、板の一枚が下へずれて来た。マーキスは思った…これが、アディアが言っていたことだ。では、あれがリシマか。
降りて来た椅子に座っていたのは、聞いていた通りの風貌の、男だった。間違いなく、これがリシマ。だが、目は金色に光り、既に正気でないのはわかった。この気…デューからも感じたが、一気に滅してしまいたいような衝動に駆られる、気…!
マーキスが思ってそれを睨み付けていると、その湧きあがった黒い霧のように見える気がキールに向かって流れて行き、その端に触れた時、キールが叫んだ。
「ぐわぁぁぁぁ!!」
キールが、椅子に座って後ろでに縛られたまま身を反らした。マーキスは咄嗟にキール前に飛び出してその気をもろに受けた。
「う…!」
「兄者!」
マーキスが身を強張らせて膝をついたのを見て、キールが叫んだ。それを見たデューが笑った。
「ははは、自ら飛び出して来るとは、バカな奴だ!では先に苦しめばいい…どうせ、弟も苦しんだ末に洗いざらいを我々に見せて、これに飲まれてしまうのに。後か先かというだけで!さあ、あなたの記憶を見せてもらおう!」
「兄者!兄者!」
キールが叫んでいる。しかし、マーキスにはそれは遠い出来事のように思えた。どうしたことか、これまでのことが見える。生まれる前…何かが、卵の自分に話している。
『ああ…あなたの顔を見たかったわ…。』
そして、聞き覚えのあるような男の声が、苦しげに言っている。
『ローラ…!』
それから、親ではないグーラ達がとっかえひっかえ世話をしてくれた。それでも、いつも一人だった。一人でも、生まれた時から一人だったので、辛くはなかった。そして、人の襲撃…瀕死の重傷を負い、取り残された自分…。ダンキスが、拾ってくれた。育てられ、兄弟達を育て、そしてマイ…!
ああ、マイ。マーキスは思った。マイに会った。マイと共に。何も怖くはない…マイを失うことに比べたら…!
バーク遺跡。地下牢を歩き、そして…シャルディーク…。
その時、フッと心を縛る何かが動いた。マーキスはハッと我に返った。
「兄者!」
マーキスはキールを見た。どうしたことか、目の前のデューが小刻みに震えている。
「まさか…力を取り戻したのか…あの、あの化け物が…」
逃れるなら、今だ。しかし、このままキールを連れて逃れるのは不可能だった。マーキスは、キールに叫んだ。
「元の姿へ!早よう!」
「逃すか、グーラめ!」
デューが叫ぶ。またリシマの方から黒い気が流れて来るのを見て、マーキスは一か八か手を上げて叫んだ。アークに出来るのなら、自分にも可能なはず!我らは同じ体型ぞ!きっと、あの気の圧力にも耐えられる!
「…シャルディーク!」
カッ!と白いような緑の光が部屋いっぱいに広がった。そして、そこにはシャルディークが浮いていた。
『なんとの、呼んだのは主か。』
マーキスは、目の前に現れたシャルディークに言った。
「力を貸してくれ、シャルディーク!あいつを捕えたい!」
シャルディークは、デューの方を見た。デューは、すぐに踵を返そうとした。シャルディークはその背を睨み付けた。
『使うが良い。』とシャルディークは手を広げた。『それはデクスぞ!』
マーキスは、驚いて目を見開いた。デクスだと…?!あの、デルタミクシアの建物の奥に、女神ナディアの力で封じられていたのではなかったか!
しかし、一気に力が身に流れ込んで来て、それどころではなかった。マーキスは、手をデューに向けた。
「滅してくれる!」
真っ赤な瞳に変わったマーキスから、白い緑の光が飛んだ。デューは悲鳴を上げて必死に逃れようと駆け出した。
「待て!」と、激しく怒ったマーキスの体は見る見るグーラへと変化した。『おのれ逃しはせぬ!』
その時、閉まっていた扉が勢いよく開いた。
「マーキス!キール!無事か!」
シュレーが、剣を手に掛け込んで来ていた。グーラに戻っているマーキスとキールを見て、シュレーは言った。
「意識があるなら、逃げるんだ!早く!」
その僅かな隙に、デューが消え去った。マーキスは言った。
『大丈夫だ!デューを逃した。とにかく地下の兵器を壊さねばならぬ!』
すると、頭の中にシャルディークの声がした。
『マーキス、そこの男は連れて参った方が良い。このままではデクスに飲まれてただの操り人形になってしまう…既に近いがの。』
マーキスは振り返った。そこに、リシマが倒れていた。デューが離れたことで、まるで糸が切れた人形のように、四肢を投げ出して倒れている。マーキスはシャルディークの力の気でリシマを掴むと、ふわりと持ち上げて浮かべた状態で言った。
『さあ、このまま地下へ参るぞ!』
マーキスは、壁に向かって一気に口から炎を吐いた。その勢いで、一気に壁に穴が開いたのを見てとると、今度は飛び上がって床に向けて炎を放った。
「うわ!」
崩れた床にシュレーが落ちて行く。マーキスはそれを追って飛び、シュレーを背に乗せた。シュレーは、ホッと胸を撫で下ろした。
「おいおい…殺されるかと思った。」
マーキスは答えた。
『しかし殺されなかったであろう?』と、また下を向いた。『しっかり掴まっておれ。』
マーキスは、キールと共に階下の床に向けて次々と炎を吐いては下へ向かって突き進んだ。
王立軍とイーデン・コーポレーションの警備兵達が、呆然と上から破られた床を見つめている。
そうして、三人は地下6階のあの場所へと辿り着いたのだった。