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ぶどう石の約束

作者: 燈 優

 小さな積み木が積み重なるようにうず高く、積み上げられた瓦礫の山のてっぺんで。ただそこに落ちている好奇心を拾い集めただけの影が両手を天へとかざしたときに。

ぱん。

と弾ける音は水平に広がり波紋を滑らせ。伸ばした両の手に光沢の影が降り立った。


 名乗る名くらいは持ち合わせていた。持ち合わせていたものは名と、靴と服と石のかけらと言葉と声と、笑顔と涙。それに、身一つ。

「ああそうだ、それとあとひとつだな。」

「あとひとつ?」

いつからか降っている雨の音は様々なものにぶつかって静寂を嫌う猫のように泣き喚いている。かんとこんとばたりばしゃりと降る雨は、継ぎはぎすら施せない一枚板を破らないよう急激な斜面を流れ落ちる。その落ちる先は水のカーテンが引かれ中でもないような中からは外が見えることはない。

「意志。」

「いし。」

カーテンの一部を火にかけた湯が沸いた。熱伝導率の高い器へ移して白のような緑のような粉を混ぜる。荒削りのスプーンで少しかきまぜると、とろりとした弾力をつけ始める。何枚かを重ねて織り込んだ布で持ち、火の傍へ座る両手へと差し出せば素直に受け取った。

「そう。カグサがカグサであるためのもの。」

太陽のような眩しさで笑い、もうひとつ同じものを作り出す。受け取り、口へと運んだその声からは驚きが漏れた。

「熱い、」

「熱いぞ。少し冷ますことを勧めよう。」

「そうする。」

頷き、両手に持ったまま目の前の土製のかまどを見やり、雨のカーテンを見やる。反対側にカグサが腰を下ろし、やはり手に持っている湯気の器に目を閉じる。

「カグサはカグサなのか。」

眠ってしまいそうな様子は気に留めておらず、会話として成立するような独り言が静かさとは縁遠い空間に聞く。

「そうだな。カグサがカグサであるという意志を持っている。そしてカグサは名乗るべき名がカグサであるということを持っている。」

「食べ物は持っているものに入らないのか。」

「食べ物はカグサの糧であり、カグサの一部になるものだ。必要以上の食べ物は得ていないし得ようと思っていない。故に食べ物とはカグサになるものであり、それは即ちカグサだ。ならばそれを持っているものに数えるのはおかしなことになる。」

「なるほど。」

「ではカグサの目の前にいるものは、持っている名を持っているか。」

土釜の残り火はしばらく消えそうにない勢いで燃えている。器に移された分を足された雨水はぷくぷくと泡でひとり遊びをしていた。

「ある。たったひとつ、今わたしが持っているものだ。」

「聞こう。そのひとつであり全てであるものは。」

「サキ。」

「サキ。そうか。ならばこれでサキはカグサの友人だ。」

名乗ったときに一度笑って以降無愛想のように無表情だったカグサが初めて微笑んだ瞬間だった。ぷくぷくぷくと湯は笑い、気にすることなくカーテンは流れ落ち。優しさを含んだ笑みに手を出されたサキは、気恥ずかしさを覚えながらその手をつかんだ。


 止めどなく泣き続ける空は止む気配がない。弾力性のある液体とも固体とも言い難いものを食べ終わるとごわついた毛布をカグサが放る。陽はまだ沈みきっていない。カグサはさっさと横になり、明かりを取っていたランプの灯を絞る。

「カグサ。」

「なに、サキ。」

向こうを向いて横になっていたカグサがサキの問いに寝返りを打ち此方を向く。カグサの遠くに、入口近くにある土釜が未だくすぶっているのか、かけられたままの湯から湯気がたっているのが見える。岩と岩の間に板で急斜面の屋根を付け、その広くもなく狭くもないところの一番奥にサキは受け取った毛布を抱きながら座っている。土釜の近くには手製らしい横長の木の机と、大きな木片や木の塊がたくさんころがっているが、燃え移らないようにするためだろう。土釜は一方の岩壁に寄り、木片たちは一方の岩壁に寄っていた。

「なぜカグサは、わたしを友人だと言った?」

早くもまどろみかけているようにカグサはひとつふたつと瞬いてから億劫そうにでも面倒そうにでもなく口を開く。

「カグサはサキの名を知った。名を知るのは即ち(かんけいの)(ないもの)ではないということだ。」

「だから友人か?」

真顔で問うサキにカグサがにやりと歯を見せる。

「不要か?それとも他の位置づけが良いか?」

「他の位置?」

「敵か、親か、子か、兄弟か、恋人か?」

「こっ、」

「なんだ、恋人がいいのか?」

くつくつと笑う声が響くとはなしに響く。含みを持たぬ笑い声に、戸惑いは赤面の中へ消えていった。

「不要ではない。わたしはこの世界をきっと知らない。だからカグサが友と言ってくれるのなら、それはわたしにとってありがたいことだ。」

真摯と届いた声に、カグサは穏やかな笑みでその淡い色の眼を見やった。

「ならばサキはカグサの友だ。」

「ああ。・・・礼を言う。」

「友というだけで礼を言われるのはおかしいな。しかしまあ受け取っておこう。ひとまず今日は寝るといい、カグサも今日は驚いたから少し疲れた。」

「そうか。・・・ありがとう。」

ややうなだれるように、神妙な顔でサキが礼を再び言う。

「その礼は明日受け取ろう。・・おやすみ、サキ。」

言って数秒、すぐに寝息を立て始めてしまった。明日も雨は続くのだろうかと外を見れぬ水のカーテンを見る。土釜の火はようやく収まったようで、名残りのような湯気がゆらりふらりと途切れ途切れに浮かんでいた。

「おやすみ。カグサ。・・・ありがとう。」

呟くように告げると、使い込まれた毛布に丸まり。サキもすぐさま意識を手放し寝入ってしまった。ばたばたと屋根代わりの板に降り注ぐ雨は、少々けたたましい子守唄を奏でている。


 目が覚めると鳥の鳴き声がまず耳に入り、その次にしゅっ、しゅっという何かを削る音が届いてきた。雨は夜のうちに止んだようで、静かに暖かい風が流れ込んでくる。

 しゅっ、しゅっという音は一定のリズムで刻まれ、そこに微かにぽこぽこという音も加わり始めた。サキは毛布にくるまったまま、目を開ける。頑丈な一枚板の屋根がまず目に入り、その次に滑らかな岩肌が認識された。そして思い出す。思い出した瞬間、がばりと起き上がると、光の差し込む向こう側からカグサが振り向いた。

「おはよう、サキ。」

その笑みは逆光の中にあって黒い影から発せられた声に表情は見えない。しかしサキは、カグサが笑んでいるように光の中の影に見えた。

「おはよう。カグサ。」

黒い影のカグサは頷き、手に持っていた彫りかけの木彫りを机に置くとサキの方へとやってくる。

「とは言っても、もう昼を過ぎたんだがな。」

笑いながらサキの足元の少し先にあるこれも手製らしい棚を開け、乾いた葉のたくさん詰まった大きな瓶を取り出す。

「! すまない。」

「何を謝る。サキがカグサに謝らねばならぬことなどなにもないよ。」

「カグサ・・・」

焦げ茶色をした葉を数枚取り出すとそれを土釜にかけてある鍋へと入れる。傍に行き湯の中を見ると、焦げ茶だった葉は鮮やかな緑へと変わり、湯も透明な緑へと変わる。ほのかに甘い香りのする茶を、葉を取り出してきれいに削られた椀へと注ぐ。

「サキ、熱いからな。」

「ああ。ありがとう。」

息を吹きかけほんの少しだけすすってみると、やはり熱い。もうすこし経たなければ飲めないなと思いながら、再び棚から何かを取ってきたカグサがぷくぷくと踊っている茶の中白い小さな粒たちをざらりと流し込み、蓋をする。

「それは?」

訊けば、布の袋に入った小さな白い粒をいくつか手のひらに乗せてサキに差し出してくれる。一粒手に取り、やや細長い、白濁色の粒を眺める。

「・・この白い粒をわたしは知らないな。」

「食べてみるといい。」

素直に一粒、口に運ぶ。硬い。味もしないし、噛み砕けはしたが、好んで食べたいと思うものではない。

「どうだ?」

白い粒のたくさん入った布の袋を棚の中へ戻し、今度は紙に包まれた手のひらよりも少し大きい塊を持って戻ってきたカグサが聞く。

「硬い。それと・・おいしくはない。」

正直な答えにくつくつとカグサが少し笑う。

「これはなんだ?」

「米というものだ。確かにそのままではあまり食べることはしないな。もう少し待て、茶粥を作っている。」

言うと、持ってきた塊をサキの隣へと置き、反対側にある机の傍で小刀を取り木彫りの続きを彫り始める。蓋をされた大振りの鍋の中で、ことことと緑色に染まった湯と白い粒たちが遊んでいる音がする。忘れていた茶を手に取り口に含んでみると、少し熱いが甘みのある、ふくよかな香りが広がった。

「・・・おいしい。」

「ああ。その茶葉は貰い物なんだ。茶の葉売りの娘がカグサの誕生祝にとしばらく前にくれたのさ。」

しゅっ、しゅと手を休めずに返事が返ってくる。まだ木片からそう変わってはいない形に、何を作ろうとしているのか見当もつかない。

「誕生祝い?」

「そう。カグサは冬月の生まれだからと、それよりも前に採れた夏明けの葉を取っておいてくれたんだそうだ。茶の葉が一番うまいのは夏明けの月だからな。」

「誕生祝いとは、生まれを祝うことなのか・・」

納得を得た呟きに、しゅっ、しゅという音が止む。見上げれば、驚いた顔でカグサが此方を見ていた。

「そちらへの問いだったのか。サキは、誕生月はいつだ?」

こぽこぽと鍋の中が少しずつ音を大きくしてゆく。

「わからない。わたしは、・・・昨日、カグサに拾われるまで、サキという名以外持っていなかった。」

「拾ったというより、降ってきたサキを受け止めたと言った方が正しいだろうが。」

ふふ、と笑いながら右手に持つ小刀をくるりと回す。

「・・・すまない。」

俯き、両の手に包むように持つ椀へと視線を落とし謝るサキの耳にカグサが優しく名を呼んだ。

「サキ。」

ぱちりと薪の爆ぜる音にくつくつくつと鍋の蓋を持ち上げそうな小言が混ざる。それはサキにとって初めて聞いた音たちで。けれどその音たちはひどく馴染んでいるような気がして、そこに通るカグサの声がはっきりとサキに響く。

「言っただろう。サキがカグサに謝らなければならないことなど何もないんだ。」

「けれどカグサ、」

「サキ。」

ことりと小刀は机へと置かれ、削りかけの木彫りはかさついた両手の中に包まれる。

「サキ。サキを助けようと思ったのはカグサの意思だ。カグサにサキを出逢わせたのはこの世界の意思だ。カグサの意思とこの世界の意思は合致した。なればサキがカグサに助けられるのは必然の事象足りうる。その結果であり次への過程が今カグサの元にサキが居る理由だ。だからサキがカグサに対して何を思おうと、少なくとも遠慮や謝罪は必要がない。もしサキがカグサの元を去りたければ去ればいいし、カグサが嫌いならばそれでもいい。けれどね、サキ。」

まだ完成には遠い木彫りは形を得ることを待っているように大人しくしている。目線をその木彫りに落としたまま紡いでいたカグサが、――ついと。視線をサキへと上げた。その瞳は凪いだ海の色をしていて。海を見たことがないはずのサキだというのに、なぜかそう思った。

「サキが、カグサに謝ってしまったら。それはあのとき決めたカグサの決意を。カグサにサキを託したこの世界の意味を。否定してしまう。」

どこか悲しそうに笑うカグサ。なぜそんな顔をするのかわからない。しかしその感情をサキは知っているような気がしていた。

「サキがここに居ることは迷惑でもないし困ることでもない。だから、謝らないでくれ。サキ。」

「・・・・カグサ」

返す言葉が見つからず、ただサキを、自分を助けてくれた恩人の名を言の葉に零すことしかできなかった。そんなサキにカグサは少し苦笑って、「わかるけどな」と言うとすっかり存在を忘れられていた鍋の蓋を開け艶やかに削られた杓子で出来上がっていた茶粥を混ぜる。甘みを帯びたいい香りが広がり、空腹にぐうと腹が鳴った。

「では昼にしようか。」

柔らかな笑みに笑うカグサに、サキはこくんと頷いた。


 「断崖絶壁。」

昼を過ぎ、市へ向かうのだというカグサに付いて行こうと一緒にその岩壁の合間に作られた家を出て数歩。その言葉がまさにその通りの岩場へと響いて飲み込まれていった。一度振り返ると今サキが出てきたカグサの住まいがある。もう一度前を見るとそこはやはり、

「断崖絶壁。」

だった。

「そう何度も言わなくてもいいだろう。」

笑いながら何か荷を抱えてカグサが出てくる。中から外を見たときには差し込む光のせいではっきりとした風景など見えていなかったから、まさか家を出たそのすぐ先がこんな危険地帯になっているとは思ってもみなかったのだ。それに昨日、カグサに拾われたときはすぐに意識を手放してしまっていて、どうやって連れてこられたのかさえ記憶にない。

「・・・・谷底へと直滑降・・。」

足元を覗き見る。下の方に細い細い川があることがわかったが、あまりに距離があるため本来どの程度の大きさの川なのかが測り知れない。

「落ちなければ大丈夫だよ。」

振り返ったり下を見たり明後日の方向を向いたりと忙しそうなサキにカグサがおかしそうに笑う。振り向けば、何本かの丸太に支えられるようにして屋根であるどうやって作ったのかと思うほどの一枚板が岩場にきれいにぴたりと収まっている。扉はなく、風の自由に行き来する造りに、冬は寒くないだろうかと首を傾げるとそれに気づいたようにカグサが屋根の端を指す。

「秋明かりの月がきたら、板の端に布を吊るすんだ。それを少しずつ増やしていって、厚さも太くしていく。冬入りの月になる頃には、風を通さないくらいしっかりとしたカーテンになる。」

なるほど。頷き、よく見ると板の端々に糸くずが付いていることが視認できる。

「けど、基本岩場だから寒いだろう?」

中に入れば天井以外は全面岩だ。雪が降れば風を防ぐだけではどうにもならないほどの冷気が岩から染み出るだろう。「それはそうだな。」と今度はカグサが頷く。

「だから外に布を張りだすのと同じくらいの時期から、床にも布を敷き詰め始めるんだ。壁にもできるだけ張るんだが、こちらは気休め程度だな。それでも一日湯を沸かしていれば、雪の日でもしのげるくらいには暖かくなるよ。」

「ふうん・・。」

本当だろうか。春の風が暖かい今の季節すら、岩壁はひんやりと冷たく、足元を冷気が通りゆく。家の前の、断崖絶壁の一部分。小さな広場程度に空いているそこでサキが首を傾げていると、荷を背負ったカグサが「行くよ。」と声をかけた。

 カグサは家の横、ひと二人分ほど空けたところにかかっていた縄梯子をつかむ。

「え。」

サキが思わずぽかんとしていると、構わずにさっさと登って行ってしまう。高さ的には、縦にひとを五人置いたくらいなのでそう高くはないのだが、

「・・・え。」

それ以外にこの場所から出る方法がないことに気づくと、唖然とせずにはいられなかった。

「サキー、行くよー。」

登りきったカグサが未だ動かないサキを上から見下ろすと岩場に響く声で呼ぶ。サキはやっと縄に足をかけながら振り返り。

「断崖絶壁・・・・。」

この日三度目の事実を呆然と呟いた。


 登りきってしばらくはやはり岩場が続いたが、段々と砂が増え段々と草も生え。穏やかな風が自由気ままに吹き遊ぶ草原に出る。黄色や紫や白の小花が足元で揺れ、背の低い木が遠くに見える水色の空に鳥の鳴き声が高らかに歌う。昨日の雨をたっぷりと蓄えた瑞々しい青の草は太陽の光を全身で受け止めている。

「―――――っ、」

吸い込まれるような空気に、暖かさの中に冷たさが混じる風がはたはたと髪や服を揺らす。時折強く吹く風に舞い上げられて、細かな水滴がきらりきらりと輝いた。その向こうには澄み渡った空が広がり、止めるものなどなにもないとすらりと長い尾の鳥が渡ってゆく。

眩しい。

見上げればくるくると太陽の光が目に入ってくる。ちかりちかりと眼の中で乱反射する輝きに眩みそうになる。光り続ける視界の中に、思わず足元が揺らぐ。ぐらりと傾ぐ光景は、ひどくひどくゆっくりとしていて。

世界のすべてを飲み込んでゆく。

「サキ。」

とさりと受け止められた優しい世界は、泣きたくなるほどきれいだった。


 丘のように斜面になっていた草原を下って行くと、石畳と幌のようなテントがいくつも連なっている活気のある道が見えてきた。遠目からでも多くのひとで賑わっているそこがカグサの言っていた市場なのだろう。きょろきょろと見回しながら歩くサキの手を引き市の中ごろまで来ると立ち止る。

「カグサ?」

「ゴウさん、今日もお願いします。」

ぺこりとカグサが頭を下げた先には、杖を突き座る老人が笑っている。もごりと口を動かし頷く老人はサキを見やると、もごりと何かを言ったように見えた。

「行こう、サキ。向こうにカグサの場を取っていてもらっている。」

もう一度頭を下げ歩き出したカグサに倣うようにサキも頭を下げる。もごりと、何かを言ったように見えた。

 道に連なる市場の端と中心の中ごろに、机があるだけの開いていない店があった。カグサはそこへ背負ってきた荷を置くと、中から木彫りの器やスプーン、カップなどを出し並べてゆく。並べている最中から客が集まりだし、あれよあれよと品がなくなってゆき、慣れているのだろうか。ひとりも漏らさずに要望の品を渡し紙幣を受け取り釣りを渡しと、見事な手際でさばいてゆく。その様を半ば呆然とサキは眺めていた。

 まだ店を開けてそう経っていないというのに、カグサが背負ってきていたかなり大きな荷物はそのほとんどがなくなってしまった。残りはあと数点で、しかしそれを並べることはなく木箱に座るとやっとサキを振り返った。

「今日は特に早かったな。驚いたか?」

「うん。いつもこうなのか。」

「だいたいは。」

そう言って笑うカグサはしかし帰る支度をする様子もない。これから何をするのかと口を開きかけると少女の声が先に通った。

「カグサ、頼んでいたものできた?」

「ああ。これでいいか、ホムラ。」

赤い髪の少女に大振りの器を渡す。それは今までのものよりも丁寧に削られていて、木の光沢でつるりと光っている。

「わあ、きれい。さすがカグサね。ありがとう。」

ホムラと呼ばれた少女は嬉しそうに受け取り、大切に自らのリュックサックに仕舞うと何枚かのコインをカグサへと渡す。

「ところでカグサ、そのひとは?」

それまでサキを気にもしていなかったホムラがカグサの後ろをひょいと覗き込んだ。

「あ、」

思わずびくりと、カグサの後ろに隠れるようにサキが引っ込んでしまう。カグサが振り向いてサキの頭をぽんと叩く。

「サキという。今カグサのところにいるんだ。」

ふうんとホムラが更にサキを覗き込み、

「よろしくね、サキ。わたしホムラ。この市場で茶葉屋をしているの。」

ではこの子がカグサにあの茶葉をやったという少女なのだろう。快活に笑う少女は、名と髪にぴったりだと思った。

「よろしく、サキ、です。」

とまどいながらも笑むと、ホムラはもういとど嬉しそうに笑い「じゃあまたお願いね、カグサ。それじゃね、サキ。」と跳ねるように去っていく。

「・・・驚いた。」

「ホムラか?」

何がおかしいのだろう。カグサがおもしろそうに笑いながらサキを振り返る。

「・・なにか、おかしいか?」

くつくつと笑い続けるカグサに眉を顰めながら訊くと、「いいや、」と笑ったまま答える。ならばなぜそう笑うのだ、と問おうとしたときにまた別の客らしき男がカグサに声をかけたので聞きそびれてしまった。

 その後何人かの客が来てそれぞれにカグサに注文していた品を受けとり、帰っていった。最初の品のはける速さと違い時間をかけて訪れる客に、日はすっかり暮れ。まだ賑わっている市場はそれぞれの店がランプをつけ、きらきらと暖かに光っている。少し前にランプをつけたカグサの店も、そんな灯りの中に溶け込んでいる。

「・・・すごいね、カグサ。」

台に身を乗り出すように、あちらこちらと灯る明かりにを珍しそうに眺める。火の生む灯りが、こんなにも暖かなものだとは思っていなかった。

「ここまで明るいのはこの町ではこの市場くらいだからな。」

カグサも少し眩しそうに眼を細める。市場の中には食べ物を扱う店もあるのだろう、暖かな風に紛れておいしそうな匂いが漂ってくる。思わず、ぐううと腹が鳴った。

「サキは意外に食いしん坊だな。」

くつりと笑い、隣でカグサがサキを見ながら言う。

「・・・・・そんなことは・・、ない・・。」

顔を赤らめて反論ようとしてみたが、そういえば今日の昼にやはり腹をならしたばかりだった。唇をとがらせて後ろに座ると、客がやってきてカグサから楽器のようなものを受け取り去ってゆく。

あと、どのくらいかかるのだろうか。

暖かく灯るランプも、この活気のある賑わいも、サキは気に入ったが。それでも、カグサといる静かなあの家も気に入っていた。まるでずっとずっと、知っていたところのように。

カグサが背負ってきた、空になった袋を背負う。

「帰ろうか。サキ。」

「うん。」

店のランプを絞り、来た時に挨拶した老人に帰りの挨拶を告げる。今度はサキもちゃんと挨拶をした。

「サキ、晩は買って帰ろうか。食べたいものがあったら言ってくれ。」

「いいのか。」

「いいさ。今日持ってきたものは全て売れたから。また次来るときまでの食料も買わなければならないしな。」

「じゃあっ、あれっ。」

指差した先には水鳥の燻製が吊るされていた。

 ほかにもいろいろと買い、一度空っぽになったカグサのリュックは、再びぎっしりと荷物が詰められた。水鳥の燻製丸ごとと、川魚に煮つけ十匹、羊肉を乾かしたものに赤鶏の卵、米、林檎に梨に濃い紫の葡萄と黄緑の葡萄、絨毯に衣類数枚、小刀に大きさの様々な木片や丸太に乾燥した薪。来るときに通った丘のような草原を登る。夜空にはちかりと星が輝き、月が道を照らしている。

「たくさん買うんだね。」

「市場に行くのは三日に一度だからな。食べ物はそのときに備蓄するし、木彫りの材料も市で買うんだ。カグサは町から離れて住んでいるから、届けてもらいないからな。」

大量の荷を詰めた袋を苦も無く背負う。

「重くないの。」

「重いことは重いな。だが慣れているから。」

「わたしも持つよ、」

「いや。カグサの持てる量しか買っていないから大丈夫だ。」

海色の瞳が笑い、またぽんと頭を叩かれる。なんだかあやされているみたいだ。

 しばらく進んだところで、カグサがすいと北を指す。そこには、ここからでも見える小さな山があった。しかしそれは自然の山ではなく、何かが積み重ねられてできているように見える。

「あそこで、カグサはサキを見つけたんだ。」

サキが、この世界に降ってきた、場所。

「え・・」

そこはこの町の燃やせないゴミや、処理できないものたちが積み上げられて大和なっているところ。

「使える物がないか、探しに行ったときに。サキが降ってきた。」

決してきれいな場所ではない。混ざり合った液体が毒になっていることもある。

「・・・・・」

そんな場所で。

「けれど、サキ。」

遠くに見えるその人工物でできや山から視線を外せないサキに、カグサはいつかのように優しく笑う。

「サキが降ってくることが、なぜかカグサに聴こえたんだ。だからカグサはサキを見つけるために、あそこへ行ったんだ。」

「・・・え」

にこりと笑い、もう一度ぽんと頭をなでる。

「さあ、帰ろう。」

歩きはじめるカグサに、まだぼんやりとしていたサキは慌ててついてゆく。ほかに帰る場所を知らなかった。星は何も言わずに瞬いている。


 それから五日間、何事もなく二人は過ごした。カグサは木を削り、サキも習ったり食事の準備をしたり。また二人で市場に行き、サキの彫った器だけが売れずしょんぼりして帰ったり。溜めた雨水で洗濯をしたり、それを干しに外に出るたびにサキが「断崖絶壁」と呟くのでカグサも苦笑いしかしなくなったりと。ただ、平凡な。けれどとても幸せだと思える五日間が過ぎた。

 そしてそれが、六日になろうかという真夜中。サキがカグサに拾われて、ちょうど七日目になったときだった。

 サキの体がぽうと仄明るく光りだす。

「サキ!?」

「カグサっ」

ほうほうと明滅を繰り返すサキの体は、薄い黄緑色に光っている。眠っていたカグサは飛び起きてサキの腕を取る。その腕からは、暖かさも冷たさも、温度などないように何も伝わってこない。

「サキ、何が起きている。」

「・・・カグサ」

明滅は一定の間隔で繰り返されている。黄緑色の光が岩壁に映え、そして消える。それを何度も繰り返す。サキは泣きそうな顔でカグサに謝った。

「ごめんなさい、カグサ・・」

「何を謝る。言ったはずだ」

「そうじゃない、そうじゃなくて。」

ぱたりと。

サキの眼から涙が零れ落ちた。

「そうじゃないんだ・・カグサ。ほんとうはあのときに気づいてた。だけど、言えなかった・・。カグサの隣が、心地よかったから。」

ぱたりぱたりと泪は落ちる。繰り返される明滅は止む気配がない。

「サキ・・・?」

座ったままのサキの両腕を持ちながら、わけがわからないといった面持ちでカグサがサキを見る。落ちる泪を拭うことなく、サキは続ける。瞳も、薄い黄緑色に発光していた。

「わたしは、サキはね。石なんだ。この世界を保つための礎の、そのひとかけらなんだ。」

「石・・?サキが・・・?」

明滅のリズムは変わらない。せかすこともなく、ゆるめることもなく。けれど確実に何かを伝えている。

「うん。この体も、髪も、目も。わたしは、〝サキ〟という石なんだ。」

泣きながら告げるサキに、カグサは一度目を閉じる。そしてその目を開けたときには、いつかのように、優しい瞳で笑っていた。

「知っていたよ。」

「え・・」

「知っていた。サキがひとではないことも。いつか別れがくるだろうことも。」

今度目を見開くのはサキの番だった。驚きで、流れ続けていた泪がついと止まる。

「どうして・・・?」

「だって、サキ。言っただろう、カグサがサキを見つけたんだって。降ってきたサキを受け止めたった。まあ滅多なことがない限りひとなんてそう落ちてこない。それにあそこは上から何か落ちてくるような場所があるところでもない。それに、ね。」

ほんの七日前の出来事だ。思い出したのだろう、サキにはもう見慣れた顔で、カグサが苦笑する。

「降ってきたサキは、今みたいに明滅はせずとも光ってたんだから。そりゃあ、ひとじゃないとは思うだろ。」

「・・・・!!」

知らなかった。

現状を忘れてぽかんと口を開けたままのサキに、カグサは訊ねる。

「サキ、サキはいつ気づいたんだ。サキが石であるということに。」

随分と暖かさを増した風がゆらりゆらりと漂っている。

サキがカグサに拾われた頃には冷たさを残していたのに。

季節の変わる早さに置いて行かれるような気がした。それももう、思わなくなるのだろうけれど。

「カグサと。・・・カグサと初めて外に出たときに。この上の草原で、目の中で太陽の光が乱反射して。それがまぶしくて眩んでしまったときに。」

「ああ、あのときか・・」

そう。光の乱反射する世界の中で、サキは自分の役目を思い出した。カグサの元を去るべきだということにも気が付いた。けれど。

「あのときに、わたしはカグサと別れるべきだった。いつかこの世界のかけらとなって、消えていってしまうのだから。けれど、けれどっ」

一度は止まっていた泪が再びサキの瞳からぽろぽろと溢れ出す。それは感情に色がついたような、淡い光を放つ美しい泪だった。

「けれどっ、カグサが優しいから。わたしに、サキに、笑ってくれるから。わたしはっ、あなたのもとを離れることができなかったっ」

零れ落ちる泪がサキの腕を持つカグサの手に落ちる。その泪は、ほのかな暖かさを持っている。ひとの流す涙と同じように。

「サキ。」

今まで何度呼ばれただろう。優しい声が、サキを呼ぶ。

「言っただろう。カグサがサキを見つけたときに決めた決意があると。それがある限り、カグサが先を見捨てることなどないんだよ。」

「けれどカグサ・・わたしは石だよ。カグサがわたしを見捨てなくたって、どんなにわたしがカグサを想ったって、わたしはもう、砕けなければならない」

ぱたぱたと涙を流しながら俯いた顔は、けれど次のカグサの言葉にぱっと上げられる。

「それは、嬉しいな。」

「え?」

「サキがカグサを想っていてくれていたとは。」

「・・・え?」

ほんとうに嬉しそうにカグサが笑う。まさかこの場面でそんなところを注目されるとは思ってもいなかったサキは思わずぱちりと目を瞬き、そして口にした内容を思い出し赤面してしまう。

「あ、カグサ、あの、」

「大切だと。思ったんだ。」

「え?」

「初めてサキを見つけたときに。まだ目も見ていないのに。口をきいてもいないのに、だ。」

「・・・・え、」

「大切だと。何に代えてもサキを守ると、決めたんだ。」

それは優しさと、慈愛と、決意を。その全てをサキへと向けた笑顔だった。

「カグサ・・」

腕をつかんでいた手はするりとサキの手をつかむ。互いに握り合った手はしっかりと結ばれている。二人の額がこつりとぶつかる。開けたままの目はひどく近くて。光るサキの目がとても眩しくカグサに見えた。

「サキ。おれはサキが大切なんだ。この世界よりも。」

サキの瞳から、ひときわ大きな涙が零れた。するりと解いた指で涙を拭う。その手でサキの額にかかる髪をよけ、最初で最後の口づけを落とすと、カグサは立ち上がり。

「カグサ・・・?」

未だ明滅を繰り返しているサキを通り過ぎ外へと出ていく。慌てて追いかけると、カグサはひとつの丸い石を持ち立っていた。その石はサキと同じ薄い黄緑色をし、サキにつられるようにしてゆるい明滅を放っている。

「カグサっ・・!!」

カグサは振り返ると、サキへと微笑んだ。その笑みの意味を知りたくないのに、サキは知ってしまう。

カグサっ!!

サキがカグサを呼ぶ前にカグサが口を開く。その声は岩に響き空へ上り天へと届く。祈りでも願いでもないそれは、しかし聞き届けられることを知っていた。

「サキを礎のかけらとしたこの世界よ。石のひとつと定めた意思よ。聞け。今このときをもってしてサキの石たる役目は果たされん。その代わりとして此に在るカグサが礎のかけらたるを務めよう。カグサの持つこのプレナイトを糧としてサキの代行と成り変わらん!」

答えは、早かった。ごうと風が吹き荒れ、サキの体の明滅が収まり光も消える。その代わりにカグサの体が光りだし、風に煽られるように足元が浮く。

「カグサっ!カグサっ!!」

風に抗うように手を伸ばす。しかし届かない。止まることなく流れる涙は風に舞い散り散りと消えてゆく。カグサの明滅は早くなり、手足が石になってゆくのが吹き荒れる嵐のような風の中で見えた。渾身の力で前へと進む。手を伸ばす、届け、届けと叫びながら。

花種かぐさっ!!!」

風に負けぬよう叫んだ名はまるで祈りのようにカグサへと届く。明滅は終わり、ただただ光るカグサがサキへと温度を失くした両腕を伸ばす。

さき。」

「だめだよっ、わたしの変わりなんてっ!だめだよ、行かないでっ!」

「大丈夫。」

もうきっと、その体はただの石のはずなのに。抱きしめられた腕が暖かかった。いつもの声で、優しい声で。サキを見て、カグサは笑った。

「いつかまた、きっと逢える。」

その笑顔は、サキが大好きな。いつもの優しい笑みだった。

 ぱきん。

細かな硝子細工が割れたような音がして。カグサは細かに割れて消えてしまった。手に持っていたプレナイトも消えている。

「・・・かぐさ・・・・」

風も止み、月明かりが照らすだけの岩場で。サキはひとり、呆然と佇んでいる。

「・・・・かぐさ・・・・・」

暖かい風は優しく頬を撫ぜ、それがついさっきまでそこにいたはずのカグサを思い出させる。鳥の声も、虫の鳴く音もしない。大切なものを失った、虚無の空間だけが取り残されていた。

 どのくらいそうしていたのか。気づいたときには、日が昇り。明るい空のしたサキはひとり立っていた。思考が回らない。何も、考えられない。ただただ、立ち尽くす。

 運んできたのは、やはり暖かい風だった。その声に、枯れ果てた涙が再び零れだす。

『咲。咲の生まれ月は春花の月だね。花種が咲に初めて逢った日が、春花の月に入った日だったんだ。』

「・・・花種。」

幻聴だったかもしれない。咲が生み出した幻だったかもしれない。けれどそれは、はっきりと咲の耳に届いた。

「・・・うん。・・うん。そうだね。花種に逢ったときが、わたしの生まれた日なんだもの。・・・花種。」

頷き、涙を拭い。生まれ変わったように目を開けた咲は空を仰いだ。そして、誓う。この世界に、この世界のかけらになった、花種に。

「わかったよ、花種。きっと信じてる。絶対、あなたを信じてる。」

だから待ってて。きっと、あなたに逢いにゆくから。

谷底から舞い上がる風が、白や黄色や紫の小さな花びらを巻き込んで。しっかりと空を仰ぐ咲を見守るように、高く高くへ吹いていった。


 『いつかまたきっと逢える。』


                                     終わり



  

 ・・・伏線の回収がしきれてません(完全に忘れ去ってました;)

 ・・でもあげちゃいました

 こんなところまでお読みいただき(礼)

 

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