紫月花の日常――3
とある依頼の帰り道。
集のスマホがピピッと短く鳴る。
「……来たな」
「また通知か?」
集がスマホを開きながら、眉をひそめた。
「江東区方面で異常反応。避難推奨……だとよ。こいつ、やたら反応だけは早いんだよな」
「ほんと、おせっかいアプリだよね。霊災害対策庁様ご推奨、民間用サポートツール。ありがた〜いことだ」
棒読みで嫌味を言う円。
「それ、まだ入れてんだな」
「……仕方ないだろ。俺たちが動く時、相手が“誰か”って確認くらいはしたいし。無駄に巻き込まれたくない」
スマホの画面には、ぼんやりとしたエリア情報と「対処者・出動中」の表示が浮かんでいた。
「ここから近いな」
「どうする? 様子、見に行く?」
円が少し笑いながら言う。
「霊対庁様の華麗な仕事っぷり、拝ませてもらおうじゃん。高みの見物ってやつ!」
「どうせまた片付けましたって言って、跡形も残さず消すんだ。相変わらず始末が上手い連中だよなぁ」
「綺麗に消された後、何があったか知るのが俺たちの仕事だもんな」
集が肩をすくめるように笑った。
その背中には、使い古した布の筒状の袋が斜めに掛けられている。
中にあるのは、黒檀で作られた黒い木刀。
集はそれに“結縁”(けちえん)と名を付け、どこへ行くにも背負っていた。
結縁は、集にとっての相棒だ。
「いいよ。行こう。何か残ってるかもしれないしな、人の想いとか」
俺たちはアパートとは反対方向に歩き出した。
街の路地を抜け、古びた線路沿いを歩くと夕方の光が高層ビルの隙間からこぼれ、アスファルトに長い影を伸ばした。
ピコンと集のスマホが鳴り、対処完了の通知が届いた。
「はぁ……最近、あいつら出動早くなってねぇか?」
集が画面を閉じ、歩きながら刀袋を掛け直し、背中の袋が揺れる。
「監視カメラに霊力スキャン、AIの先読み──もう、人間の目じゃないよ」
円が肩をすくめる。
「問題は解決されましたって……でも、魂も想いも、そのまま残ってるのにな」
集が言いかけて、俺は足を止めた。
ビルのガラスに映る自分の後ろで、
あの頃の隣にいた花の笑顔がよぎった気がした。
「それでも全部っ、なかったことにされる」
「それが霊対庁の正義だもんね」
円の皮肉が鋭く刺さる。だいぶ図太くなったな、こいつも。
「何が正義だよ。あれはただの“後始末”だ。人の心を数字で切り捨ててるだけだ」
集の声が震える。二年もこの光景を見続けていれば、当然だ。
「死んだ人間は何も言えねぇ。語らないから、無かったことにできる。それが“国家公認”のやり方だ」
「だから、私たちは導かないと」
「せめて、消された痕跡に誰かの無念が残っていないか……それだけでも拾って帰りたいよ」
「そうだな。あいつらに出来ねぇことをやる」
俺はポケットに手を突っ込み、前を向いた。
「誰かが人として生きてたって、証明してやらねーと報われねーきっと花も——」
言葉はそこで切れた。
残りは胸の奥に沈めたまま、俺たちは少し早足で現場へ向かった。
夕暮れの団地。誰もいない路地。
俺たち3人は、立ち入り禁止のテープをくぐって静かに足を踏み入れた。
空気は異様なほど静かだった。風がない。音もない。
まるで、時間ごと閉じ込められたような世界だった。
「……ここだな」
アスファルトの地面に、焼け焦げの跡が残っている。
おそらくここが霊災の中心地。
だが処理済とされたにしては、空気が重すぎた。
円がしゃがみ、手のひらをそっと地面にあてる。
「――まだ、いる」
次の瞬間。
『こわい……いや……きて……だれか、たすけて……っ』
か細い、けれど確かな声が空気を揺らした。
声ではない。直接、心に届くような、残された想念。
集が小さく息を飲んだ。
「……女の子、か。小学生くらい?」
「たぶん、まだ10歳にもなってないくらいじゃないかな……」
円が眉をひそめた。
『だれかがくる……またくる……くるのに……おかあさん……っ』
そっと目を閉じ声に集中する。
「――毎日、足音が聞こえたんだな」
『おとがするの……ながいかいだん……くるの……でも、こない……たすけて……っ』
「怖かったんだ。ずっと、ひとりで」
円が、ぎゅっと拳を握った。
「……来てたんだよな、彼奴等。でも……怖かったのはそいつらだったのかもな」
「それでも信じてた。助けに来てくれるって信じてたのに」
「けど、来なかった。……いや、来たんだ。来て、見つけて、消して終ったんだよ」
手と口に力が入る。
集が苛立ったように、足元のアスファルトを見つめた。
肩紐を力強く握る。
「それを処理って呼んでんのかよ、霊対庁は……。声も聞かずに、壊して終わりか?」
俺は立ち上がった。手には、いつもの札と燈。
「名前も、顔も、知らないけど……」
そっと、指先で燈に火を灯す。
「――怖かったな。でも、もう大丈夫だよ。……ここから先は、俺たちが連れてってやる」
風もないのに、火がやさしく揺れる。
『……ありがとう』
その声は、とても小さかった。
けれど3人には、はっきりと聞こえていた。
紙が燃え尽きるとともに、空気がすうっと澄んでいく。
「……成仏したね」
円が呟いた。
「処理じゃない。救ったんだよ」
集の声は低く、静かだった。
「耳じゃない。“心”で聞けって、教わったろ」
誰も返さず、ただうなずいた。
空を見上げると、さっきまでなかった一番星がひとつ、滲んでいた。
小さな魂が、やっと帰れた気がして――俺は目を閉じた。
帰り道、街灯もまばらな裏通り。
スーパーの袋を下げて歩いていると、前方から二人連れがやってきた。
すらりとした男の手には、高級スイーツ店の紙袋。
隣の少女はフードを深くかぶり、顔は見えない。
けれど男の腕に寄り添い、足並みを揃えていた。
誰も寄せつけない、閉じた二人だけの世界。
「……リア充爆発しろ案件、ってやつかな」
円が鼻で笑う。
「甘ったるすぎだろ。同じ歳くらいなのに高級ケーキかよ……俺ら、カップ麺生活なのに」
集がぼそりと吐き捨てた。
俺は無言で、その背中を目で追っていた。
角を曲がった途端、二人の姿は闇に溶けて消える。
「俺……」
思わず口にしたが、その先が出なかった。
何になりたいのか、何を望んでるのか──答えなんて自分でも分からない。
ただ、ああいう何でもない景色が、やけに眩しく見えただけだ。
円がアイスのスプーンをくわえたまま振り向き、あっけらかんと笑う。
「ムリムリ。あたしたち金も時間も命もギリギリだし〜」
「……花が見つかるまでは、だな」
集がぽつりと呟き、俺の肩を軽く叩いた。
夜風が肌を撫でる。
それはほんの一瞬見えただけの、普通という夢の切れ端。
俺たちはただ、それを遠くから眺めていた。




