紫月花の日常――11
結界の端で、空間がビリッと裂けるような感覚が走った。
「……来たか」
俺は霊力の痕跡を追い、結界の外郭に意識を集中させた。
空気が張り詰め、全身の神経が震える。
2人、3人、4人……数えるまでもなく、小隊規模の気配が近づいてくる。
霧の中で揺らめくその影は、俺の守る場所を踏み荒らそうとする侵入者だ。
足音は重く、規則正しく、冷たく響く。
その音だけで、心臓が強く打ち始めるのを感じた。
薄暗い霧が揺れる結界の端で、男たちがゆっくりと足を踏み入れてくる。彼らの目は冷酷で、使命感の裏に容赦のなさが隠れていた。
「おい、そこで何をしている!お前は誰だ!」
声が響き、俺の胸を締め付けた。
「この結界を張った者だ。この結界がある限り、俺は誰にも邪魔はさせない!」
声が震えそうになるのを、必死に抑えた。
俺が守るのは、仲間の魂だ。俺の心だ。
隊長らしい男が一歩前に出てきた。
「我々は霊災害対策庁特務対処班だ。ここは公的管轄の区域だ。即刻退去しろ。」
その命令に、俺の心は燃え上がる。
「俺にはここを守る義務がある。お前たちに従う気はないッ!」
声が震え、指先がほんの少しだけ震えた。
でも、決して折れはしない。
処理者たちの冷たい視線が、胸をえぐってくる。
「これは庁の命令だ。強硬手段も辞さない。従わなければ君は国家の反逆者として我々が処理することになる」
札を握る手がかすかに震えた。
けど、負けられない。
「なら尚更、手を引くわけにはいかない」
吐き捨てるように言ったその言葉に、背中が火照った。
静寂が落ち、空気が重く凝り固まる。
やがて鋭い刃の交差を予感させる緊張感が、結界の中に充満した。
こいつらの目的は、魂を守ることじゃない。
“駆除”、つまり魂の破壊だ。
「霊災の発生源を確認。対処を開始するッ」
処理者の無感情な声が、まるで俺の心を凍らせた。
祭が囚われている霊域。
円が命懸けで飛び込んだ心の闇。
俺は歩を止め、震える足を踏ん張った。
「……おい、それ以上行くなっ」
俺の声は掠れ、身体がかすかに震えた。
絶対に、ここは通さない。
数秒の沈黙の後、
次に返ってきたのは、銃口だった。
「排除する。任務の妨害は反逆行為だ」
――バンッッッ!!!
地面が砕け、破片が飛び散る。
「くっ……!」
体が衝撃で揺れたが、倒れはしない。
話なんて通じるわけがない。こいつらは壊すことしか知らないんだ。
だけど、俺は違う。
「壊させねぇよ………たとえ俺一人でも、絶対に……中にッ、届くまで守り抜くっ!」
声が枯れても、心は燃えていた。
手を伸ばし、結界の強度を最大限に上げる。
淡く光る結界が、オペレーターたちを閉じ込めた。
この瞬間、俺はもう反逆者だ。
でも、そんなことはどうでもいい。
今はただ、守るべき者たちのために。
光の揺らめきの中、俺の決意は揺るがない。
俺は震える手を、ゆっくりと少年の魂に差し伸べた。
「ごめんな。お前のこと、壊そうとした。でも俺はそうしたくない、もう怖い思いさせたくないんだ。話してくれないか?」
霊の少年は一瞬、怯えと怒りが入り混じった目で俺を見た。
「なんで……誰も助けてくれなかったの?」
その魂は呟いた。
「辛かったよな。寂しくて、苦しかっただろ」
霊の目がゆっくりと揺らぎ、震える声で言葉を零す。
「……寂しかった。置いてかれた。ずっと、ひとりだった」
俺はそっと、その子の肩に手を乗せた。
「俺がいる。俺たちは全部聞くよ。もう君は一人じゃないんだ」
その言葉に、霊の怒りが少しずつ溶けていった。
闇の中で小さく震えていた少年の姿が、
ゆっくりと光に包まれていくようだった。
俺は涙を浮かべながら、もう一度強く誓うように言った。
「今度は壊さないよ。全力で君の気持ち受け止めるから」
その子の魂が光に包まれ、苦しみが少しずつ和らいでいく。
けれど、まだ完全に穏やかな表情にはならず、
どこか迷いが残っていた。
俺は揺らぎを見つめながら、言葉を紡ぐ。
「無理に急がなくていいよ。君の気持ち、全部見せてくれるかな?俺は逃げたりしないから」
その時、後ろで柔らかい声が響いた。
「祭、私が扉を開くよ」
振り返ると、円が静かに微笑んでいた。
「このお姉さんが君を天国まで送ってくれる。もう安心していいよ。頑張ったな」
円は俺の言葉に頷いた。
「頑張ったね。ここまでずっと………。偉いよ」
そう言って円は指を絡めさせ型を作った。
「黎明」
小さな囁きが聞こえ、
後ろから陽に照らされたような暖かさを感じた。
漆黒の闇の中に暖かい光の扉が開く。
「ここを通れば天国に行けるよ。みんな君を待ってるよ」
少年の魂は迷いながらも、ゆっくりと扉の前に歩み寄った。
だがその子は振り返り、強く意志を宿していた。
「僕は、お兄ちゃんに送ってもらいたい」
その言葉が闇を切り裂くように響いた。
円は優しく微笑み、静かに扉を閉じた。
俺は少年の魂の手を取り、優しく抱きしめる。
「わかった。俺が最後まで一緒にいる」
その子の魂が俺の胸の中で、小さく震えていた。
けど、その震えはもう恐怖のせいじゃない。
あたたかさに触れた心が、戸惑っているだけだった。
「……ありがとう、お兄ちゃん」
ぽつりと落ちたその言葉と同時に、
俺の腕の中で、その子の身体がふわりと光へと変わっていく。
重たく沈んでいた気配が、春の風のように軽く、
柔らかく変わっていくのを感じた。
悲しみも苦しみも、全部流されて、
ただひとつ、確かな“ありがとう”だけが残った。
光が空に還るのを、円と一緒に見送った。
そして暗闇が晴れると
「祭っ!円っ!」
そう言ってボロボロだけど俺たちに笑いかける集。
その顔はなんだか殻がむけたような、自信に満ち溢れたような顔をしていた。
「あーもう、マジで心臓止まるかと思った……バカかよ、お前ら!!」
ボロボロの姿で、それでも笑っている集。
俺は駆け寄って、思わず叫んだ。
「おい集!大丈夫か!?なんでそんなにボロボロになってんだよ!」
集は額の汗を拭いながら、苦笑いを浮かべる。
「……実はな。霊対庁が、来やがったんだよ」
「え?」
「結果に閉じ込めたんだけど、破られてこのへん一帯で大暴れしてさ、結局俺が力技で追い返したんだけど………」
集は口ごもる。
「……そのせいで、反逆者認定、くらっちまった」
「――はあああ!?」
思わず声を張り上げると、円も驚いた顔で集を見る。
「つまり、今この瞬間も追われてるってこと?」
「まあな……正直、俺と一緒にいたら、お前らまで巻き込まれるかも」
「そんなこと、関係ねぇよ!」
「え?」
円を見れば笑ってる。
「集は俺たちを守ってくれたんだろ!?それで十分だよ。なあ、円!」
「もちろん!私たちは、どんなことがあっても仲間だよ!当たり前でしょ?」
円の言葉に、集の目がふるふると揺れる。
「……ありがとな。ほんとに、お前ら……」
一瞬だけ、空気がしんとした。
けれど次の瞬間――
「で、どうする?うちら反逆者じゃん?」
円が笑って問いかける。
「決まってんだろ?」
俺は笑いながら親指を肩越しに突き立てた。
\ とりあえず、ずらかるぞ!! /
三人で顔を見合わせ、笑って同時に走り出した。
ボロボロの姿で、それでも俺たちは笑っていた。




