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美咲の「生」の証

ハンブルクの狂騒から数日。美咲の日常は、再びデュッセルドルフの静かな朝へと戻っていました。


午前10時。SPAのオープン直前、美咲はプールの縁に座り、お湯の温度を確かめていました。大会で握りしめた硬いクロムスチールの感触はまだ掌に残っていましたが、今は目の前の、鏡のように滑らかな水面を整えることに集中しています。


水面下の秘密

「……おはよう、ミサキ。またここで、水と喋ってるの?」


背後から声をかけたのは、エレーナでした。彼女は大会でもらった賞金で新調したという、上質なバスローブを羽織っています。今日は仕事ではなく、美咲の「ワッツ」を受けに客としてやってきたのです。


「エレーナ。あんなに派手に踊った後だもの。あなたの背中の筋肉、まだ悲鳴を上げてるでしょ?」


美咲は微笑み、エレーナを温水プールへと招き入れました。

エレーナが水面に体を預けると、美咲はゆっくりとその体を支え、水中での旋回を始めます。ストリップクラブのステージで見せる、観客を射抜くような鋭い視線はそこにはありません。二人の間にあるのは、重力から解放された、静かな信頼の時間だけでした。


「ねえ、ミサキ。昨日の夜、クラブに大会の映像を見たっていうドイツ人のダンス教授が来たわよ」


エレーナが目を閉じたまま、水面に響くような低い声で言いました。


「『君たちのトゥワークには、バッハの旋律のような構造美がある』だって。笑っちゃうわよね。お尻を振る動きに、高尚なクラシックを持ち出すなんて」


美咲は手を止めず、エレーナの腰の筋肉を優しく、けれど的確に指圧しました。


「でも、それは私たちがドイツのこの水の中で、自分たちの身体を論理的に、そして感覚的に作り直してきたからよ。バッハだって、きっと水のリズムを知っていたはずだわ」


日本の「おもてなし」とドイツの「合理」

施術を終えた後、二人はハーブティーを飲みながら、SPAのテラスでライン川を眺めていました。美咲は、日本から持ってきた小さな茶菓子を差し出します。


「これ、日本の羊羹。エレーナの好きな、ドイツの濃いコーヒーにも合うわよ」


「ミサキのこういうところ、本当に不思議。指圧の時は厳格なドイツのセラピストみたいなくせに、終わると急に『日本の女の子』に戻るんだから」


エレーナは羊羹を口にし、その甘さに目を細めました。

SPAの顧客である日本人の駐在員たちが、次々と出勤前に立ち寄っていきます。「ミサキさん、今日もよろしく」「昨日のガラの話、本社でも噂になってますよ」。彼らにとって、美咲は異国での孤独を癒やす聖域のような存在です。


誰も、彼女が夜に15センチのハイヒールを履いて、ポールの頂点からダイブしている姿は想像もしていないでしょう。


境界線を生きる誇り

「ミサキ、今日は夜のステージの前に、あの『塩の洞窟』で少し瞑想しない? 次の演目に、水中での腕の動きを取り入れたいの」


「いいわね。でも、まずはこのお茶を飲み干してから。……大学の時は、ダンスだけで稼げない自分を恥じていたけれど。今は、この水と、あのステージの両方があるから、私は私でいられる気がするの」


美咲は、自分のしなやかな指先を見つめました。

ワッツで人を癒やす指。ポールを掴んで自分を支える指。

どちらも欠かせない、美咲の「生」の証。


デュッセルドルフの柔らかな陽光が、SPAの窓から差し込み、二人のダンサーを包み込みました。

特別なイベントがなくても、この日常の「美活」こそが、彼女たちのダンスを、誰にも真似できない本物へと変えていくのです。

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