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第5話 黒の軍師、ゼノ

 ローデリア王国の訓練場が、新しい戦術への期待と、旧体制との軋轢あつれきに揺れていた頃。

 国境を隔てた先にある、ザルダ帝国の前線基地は、鉄のような規律と、冷たい静寂に支配されていた。


 その中心にある、ひときわ大きな天幕の中。

 一人の男が、黒檀こくたんで作られた巨大な盤を静かに見つめていた。盤の上には、ローデリアの地形が精密に再現され、両軍の駒が置かれている。男は、その長い指で自軍の駒を一つ、ゆっくりと進めた。カツン、と駒が盤を打つ硬質で無機質な音だけが響く。


 彼の名はゼノ。ザルダ帝国軍を率いる「黒の軍師」として敵国に恐れられる存在。

 その顔には、感情というものが一切浮かんでいなかった。ただ、全てを見通すかのように冷え切った瞳が盤上の戦況だけを映している。


「――ゼノ様! ご報告いたします!」


 荒々しく天幕に飛び込んできたのは、ザルダ軍の部隊長の一人、ボルゴだった。その屈強な体は怒りに震えている。


「先日、偵察に出したゴブリン部隊が、ローデリアの小隊に敗れました! 奴ら、正面から戦わず、森の中でコソコソと逃げ回り、こちらの包囲を抜けたとのこと! なんという卑劣な!」


 ボルゴが唾を飛ばさんばかりに報告するのを、ゼノは盤上から目を離さずに聞いていた。彼はボルゴの怒りにも、ゴブリンの敗北にも、何の興味も示さない。ただ、静かに問いを返した。


「…部隊の数と、損害は?」

「はっ! こちらゴブリン三百に対し、敵は五十にも満たぬ数! 我らの損害は、およそ四十…」

「ふむ。それで、敵の損害は?」

「そ、それが…ほぼ皆無に近いと…」

「ほう」


 ゼノは初めて、盤上から顔を上げた。その瞳に、初めて人間的な色――冷たい『興味』の色が宿る。


「おかしいな。ゴブリンは頭が悪く、ただ目の前の敵に突撃することしかできない駒だ。そんな彼らが、最小限の損害で、自分たちより遥かに練度の高い兵士の包囲を破る…。ボルゴ、君はこれをどう見る?」

「はっ! 敵が臆病風に吹かれ、まぐれが起きたとしか!」


 ボルゴの答えを聞いて、ゼノはふっと、まるで氷のかけらがこすれ合うような、かすかな笑みを浮かべた。


「違うな。これは『まぐれ』ではない。『設計』された戦術だ」


 ゼノはすっと立ち上がると、ボルゴの隣を通り過ぎ、天幕の入り口からローデリアの方角を見つめた。


(陽動作戦…。敵の思考を意図的に誘導し、リソースの薄い一点を的確に突く。この非効率なゴブリンどもに、そんな芸当ができるはずがない。ましてや、伝統と騎士道精神に凝り固まったローデリアの騎士には、到底思いつかぬ一手だ。これは…同類の匂いがする)


 ゼノもまた、アキラと同じく、この世界に「呼ばれた」人間だった。だが、彼が元の世界で何をしていたのか、なぜザルダ帝国に力を貸しているのか、それを知る者はいない。


「ボルゴ。力任せの総攻撃は中止だ。盤面が動いた時は、こちらも駒の動かし方を変える」

「はっ? では、どうなさるおつもりで?」


 ゼノは、天幕の陰に向かって静かに声をかけた。

「――『黒蠍くろさそり』はいるか」


 その呼び声に応え、まるで影が人の形になったかのように、黒装束の集団が音もなくゼノの前に膝をついた。帝国最強の暗殺部隊だ。


「御意のままに」


 ゼノは、彼らに冷酷な指令を下す。

「ローデリアの王都に潜入せよ。目的は戦闘ではない。混乱だ。食料庫に火を放ち、水源に毒を流したという噂を広め、貴族間の不和を煽れ。民衆と兵士に、疑心暗鬼という名の毒を植え付けるのだ」


 ボルゴが息を呑む。それは、戦いというより、もはやただの破壊工作だった。


「そ、そのような非道な…!」

「非道?」


 ゼノは心底不思議そうに、ボルゴに視線を戻した。


「勝つために、最も効率の良い手段を選ぶ。そこに、道も非道もあるものか。感情や信頼などという不確定要素は、盤面を汚すノイズでしかないのだよ」


 そう言い放つゼノの瞳の奥に、一瞬だけ、凍てついた過去の記憶がよぎった。


(信頼? 仲間…? …そんなものに裏切られたから、オレはここにいる)


 彼は再び盤上に向き直ると、ローデリア王国の王城を示す駒を、指先でトン、と軽く弾いた。


「そして、『黒蠍』。この奇妙な戦術を考え出した『駒』を見つけ出せ。生け捕りが望ましいが…抵抗するなら、処分しても構わん」


 ゼノの静かな命令が、ザルダの夜に深く沈んでいった。

 アキラたちが王国内の敵と向き合っている間に、遥かに冷徹で、本質的な『死』の脅威が、すぐそこまで忍び寄っていた。


 ーーーーー

 次回、突然現れた敵将。彼に主人公たちの戦略は通じるのか? 果たして結果は? 勝負はつくのか?

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