第3話 初陣・ゴブリン包囲網
玉座の間に響き渡った、大人たちの汚い笑い声。
それは、アキラの心に深く、深く突き刺さった。まるで、一番大切な宝物を、土足で踏みつけられたような気分だった。悔しくて、腹立たしくて、全身の血が沸騰しそうだった。
(――いいだろう。見てろよ。オレのカードが、オレの戦い方が、ただの遊びじゃないってこと、絶対に証明してやる!)
アキラが固く拳を握りしめた、その時だった。
広間の巨大な扉が勢いよく開き、鎧を血に染めた伝令兵が転がり込んできた。
「申し上げます! 国境の森にて、レオン剣士長の部隊がゴブリンの大軍に包囲され、苦戦しております! このままでは、全滅は時間の問題かと!」
その報告に、今までアキラを笑っていた貴族たちの顔から、さっと血の気が引いた。玉座の間が、再び絶望的な沈黙に包まれる。
その沈黙を破ったのは、ヒトミだった。
「…話が早いわね。アキラ、タカシ、来なさい。あなたの『力』、早速見せてもらうわよ」
「えっ、ちょっ、おい!」
アキラが何か言う前に、ヒトミは二人の腕を掴む。そして短い呪文を唱えると、足元の石畳にまばゆい光の魔法陣が浮かび上がった。次の瞬間、景色がぐにゃりと歪み、体が引っ張られる。
目を開けた時、彼らは森の中に立っていた。
鼻をつくのは、血と汗の匂い。耳に突き刺さるのは、金属がぶつかり合う甲高い音と、人間のものではない、獣のようなおぞましい雄叫びだった。
木々の間から見えた光景に、アキラは息をのんだ。
数十人の王国兵士が、円陣を組んで必死に戦っている。だが、その周りを囲むのは、緑色の醜い肌をしたゴブリンたち。その数は、兵士たちの五倍、いや十倍はいるだろう。
兵士たちの中心で、ひときわ力強く剣を振るっている男がいた。その銀色の鎧は泥と返り血で汚れ、息は荒い。だが、その瞳だけはまだ、闘志の炎を失っていなかった。彼こそが、剣士長レオンだった。
「小僧、戦場を遊び場と心得るな!」
レオンは、魔法でいきなり現れたアキラたちを睨みつけ、怒鳴った。その声は、必死のあまり張り裂けんばかりだ。
だが、アキラの目には、レオンの怒りも、ゴブリンの恐ろしさも、少し違って見えていた。彼の頭の中では、この絶望的な戦場が、一枚のカードゲームの盤面に変換されていた。
(ダメだ…。これじゃ、じり貧だ。敵のユニットが一点に集中しすぎて、完全に動きをロックされてる。このままじゃ、HP――兵士の数が削られていくだけだ…!)
どうすれば、この盤面をひっくり返せる?
カードゲームならどうする?
思考の稲妻が、アキラの脳を貫いた。
(――そうだ! 敵のカードが多いなら、その裏をかけばいい!)
アキラは、叫んでいた。
「そこの隊長さん! 作戦がある!」
「黙れ! 小僧が口を挟むな!」
「このままだと全滅するだけだ! 敵は数が多いけど、頭は悪い! なら、こっちの思うように動かせるはずだ!」
アキラの言葉には、不思議な説得力があった。それは、何百、何千回と盤面を支配してきた者だけが持つ、絶対的な自信から来るものだった。
レオンは一瞬、言葉に詰まる。その隙を見逃さず、ヒトミが鋭く言い放った。
「剣士長レオン! 予言の子の言葉を聞きなさい! あなたに、これ以外の策があるのですか!」
ぐっ、とレオンは歯を食いしばる。彼とて、このままでは負けると分かっていた。プライドの高い彼にとって、子供の指図を受けるなど屈辱以外の何物でもない。だが、部下たちの命がかかっている。
「…言ってみろ」絞り出すような声だった。
アキラは、待ってましたとばかりに叫んだ。
「森の東側に、わざと部隊の一部を送って、派手な音を立てて暴れさせて! 敵は単純だから、そっちに気を取られる! 敵の包囲が西側に寄った瞬間、手薄になった東側から、本隊が一気に駆け抜けるんだ!」
『陽動作戦』。相手の思考を読み、盤面をコントロールする、カードゲームの基本的なテクニックだ。
「そんな危険な役、誰がやるというのだ!」レオンが叫ぶ。
その言葉に、アキラの隣で拳を握りしめていたタカシが、ニッと歯を見せて笑った。
「オレが行くぜ、アキラ!」
「タカシ!」
「お前の言うことなら、間違いないだろ? 敵の気を引くなんて、オレにピッタリの役だ!」
タカシは兵士の一人から剣をひったくると、数人の兵士に「オレについてこい!」と叫び、迷いなく森の奥へと駆け出していった。
「…ええい、ままよ!」
レオンは覚悟を決めた。タカシたちが立てる鬨の声と、ゴブリンたちがそちらへ流れていくのを確認する。西側の包囲が、面白いように薄くなっていく。
「今だ! 全軍、東へ向かって走れ!」
レオンの号令一下、兵士たちはアキラが示したルートを駆け抜けた。作戦は、完璧に成功した。ゴブリンの包囲網を、ほとんど犠牲を出すことなく突破したのだ。
森を抜け、安全な場所までたどり着いた兵士たちは、ぜえぜえと息を切らしながら、信じられないという顔でアキラを見ていた。
「子供の遊びみたいな作戦が…本当に通用しやがった…」
「マジかよ…あいつ、何者なんだ…?」
やがて、役目を終えたタカシも、傷だらけになりながら笑顔で合流した。
レオンは、何も言わずに、ただじっとアキラを見ていた。その厳つい顔には、まだ侮りと疑いが残っている。だが、その瞳の奥に、今までとは明らかに違う、硬質な輝きが宿っていた。
(この小僧…一体、何が見えている…?)
それは、賞賛でも感謝でもない。百戦錬磨の戦士が、得体の知れない『才能』を前にした時にだけ見せる、畏れと興味が入り混じった、真剣な眼差しだった。
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次回、無事にゴブリンを撃破した主人公たち。異世界の住民と心を通じ合わせることはできるのか?




