第24話 欲望の街からの脱出
夜が、インクを垂らしたように、カラト・アルナフルの街を飲み込んでいく。
祝賀の熱気は冷め、代わりに、静かで、しかし、ねっとりとした欲望の気配が、街を支配していた。
宿屋の一室。アキラは、息を殺して、扉の隙間から廊下をうかがっていた。『真実の盾』を構えると、その鏡面には、廊下の暗がりに潜む、いくつもの、赤黒く濁ったオーラが映し出される。
(…やっぱり、囲まれてる。数は、ざっと十人以上。全員、オレたちの持つ盾を狙ってるハイエナだ)
「どうする、アキラ? いっそ、オレが飛び出して、全員まとめて…」タカシが、拳をポキポキと鳴らす。
「ダメだ。ここで騒ぎを起こせば、もっと厄介なのが集まってくる。この街にいる限り、オレたちは、永遠に狙われ続けることになる」
アキラは、盾に映るオーラの色を、じっと観察していた。
(面白いな…。こいつらのオーラ、欲望だけじゃない。『恐怖』の色も混じってる。オレたちに負けること、そして、仲間を出し抜かれることを、同時に恐れてるんだ)
アキラは、不敵な笑みを浮かべた。
「…このゲーム、オレたちの勝ちだ。行くぞ。静かに、ここをずらかる」
三人は、窓から音もなく中庭に降り立った。ヒトミが、三人の足元に、ごく微量の魔力をまとわせる。『沈黙の歩法』。これで、彼らの足音は、完全に消えた。
アキラは、盾を、まるでレーダーのように構えながら、暗い路地裏を進んでいく。
「ストップ。――右から、二人来る」
アキラが、壁の影で手信号を送る。盾には、二つの赤いオーラが、ゆっくりと近づいてくるのが映っていた。三人は、息を殺して、その二人組が通り過ぎるのを待つ。
「それにしても、あのチビども、どこに消えやがった…」
「必ず、この近くにいるはずだ。あの盾は、大金になるぜ…」
下品な会話をしながら通り過ぎていく男たち。彼らは、ほんの数メートル先に、お目当ての獲物がいることなど、知る由もなかった。
「…静かに歩くってのが、一番難しいぜ」
タカシが、小声でぼやく。彼の巨体で、音を立てずに動くのは、至難の業だった。
やがて、港へと続く最後の通りが見えてきた。だが、そこには、ひときわ大きく、邪悪なオーラを放つ集団が、道を塞ぐように陣取っていた。この街の、ゴロツキたちの元締めだろう。
「…ここまでか」
「どうするの、アキラ。戦うしかないわ」
「いや…」
アキラは、盾を構え、その鏡面に、敵の集団を映した。リーダーの男のオーラは、怒りと欲望で真っ赤に燃えている。だが、その後ろにいる手下たちのオーラは、赤に混じって、恐怖を示す、紫がかった色が、ゆらゆらと揺れていた。
(――見えた。『勝ち筋』が)
アキラは、隠れるのをやめ、堂々と、その集団の前に姿を現した。
「やっとお出ましか、クソガキどもが」
リーダーの男が、下卑た笑みを浮かべる。
「その盾を、素直に置いていきな。そうすりゃあ、痛い目には遭わせねえで、国に帰してやるよ」
だが、アキラは、リーダーではなく、その後ろにいる手下たちに向かって、大声で言った。
「なあ、あんたたち! その盾が、どれだけヤバい代物か、分かってて、そいつに付いていってるのか!?」
「ああん!?」
「その盾は、『真実』を映し出す! オレには、あんたたちの本当の心が見えるぜ! あんたたち、リーダーを信用しちゃいない! 盾を手に入れたら、分け前もよこさずに、全部独り占めするんじゃないかって、ビクビクしてるんだろ!」
アキラの言葉に、手下たちの間に、動揺が走る。
図星だったのだ。彼らは、互いを、そしてリーダーを、全く信用していなかった。ただ、恐怖と、わずかな分け前の期待で、繋がっているだけの、脆い関係だった。
リーダーの男が、顔を真っ赤にして叫ぶ。
「て、でたらめを言うな! やっちまえ、お前ら!」
だが、もう遅い。アキラが投げ込んだ『疑心暗鬼』という名のカードは、彼らの脆い連携を、内側から完璧に破壊していた。手下たちは、互いに顔を見合わせ、誰も、一番に飛び出そうとはしなかった。
「――今だ!」
その一瞬の隙。それこそが、アキラが作り出した、唯一の『勝ち筋』だった。
「タカシ、道をこじ開けろ!」
「任せろ!」
「ヒトミ、目くらましを!」
「ええ!」
タカシが、人の壁を、まるで紙を破るように突き破り、道を切り開く。
ヒトミが、その背後で、濃い霧を発生させ、追っ手の視界を奪う。
三人は、一目散に、港へと走った。
ちょうど、夜明けの荷を積んで、出港しようとしている、一隻の大きな商船があった。
「あれに乗るぞ!」
三人は、混乱するゴロツキたちを尻目に、タラップを駆け上がり、船へと飛び乗った。
船が、ゆっくりと岸を離れていく。甲板の上から、悔しそうに叫ぶ男たちの姿が、どんどん小さくなっていった。
三人は、ぜえぜえと息を切らしながら、顔を見合わせた。そして、同時に、笑い出した。
絶体絶命の包囲網を、一度も、剣を抜くことなく、突破したのだ。
アキラは、朝日を浴びて黄金に輝く『真実の盾』を、強く握りしめた。
この盾は、ただの防具じゃない。敵の心を読み、盤面を支配するための、最強の『戦術兵器』だ。
「さて、と」
アキラは、カラト・アルナフルの街に別れを告げると、コンパスが指し示す、次なる目的地――東の海を、まっすぐに見据えた。
「デッキブレイカーズ、次のクエストの始まりだ。――目指すは、『霧の島』!」
 




