第21話 読めない盤面と、幻影の騎士
二回戦を突破した夜。
チーム『デッキブレイカーズ』の噂は、もはや伝説めいたものに変わりつつあった。
「あのチビども、ただの奇策師じゃねえぞ」
「相手の動きを完全に読んで、戦術をスイッチさせやがった」
「まるで、未来でも見えてるみてえだ…」
宿屋の部屋にいても、窓の外からそんな声が聞こえてくる。
「…未来、か。逆だよな」
アキラは、羊皮紙に次の対戦相手の情報を書き込みながら、つぶやいた。
「オレは、相手の未来を読んでるんじゃない。相手の『過去』…戦いのクセや思考パターンを読んで、次の一手を予測してるだけだ。でも…」
アキラは、ペンを止めた。
「次の相手は、それが通用しないかもしれない」
羊皮紙に書かれていたのは、準決勝の相手の名。
『幻影騎士 ゼロ』。
それが、次の対戦相手だった。年齢、素顔、経歴、一切が不明。ただ一つ分かっているのは、彼は常に一人で戦い、そして、これまで一度も、誰の一撃すらその身に受けることなく、勝ち上がってきたということ。
「一人で、か…。三人一組がルールのこの大会で、特例が認められてるってこと自体が、異常事態ね」
ヒトミが、腕を組んで厳しい顔で言う。
「よく分かんねえけど、とにかく、すげえヤツってことだろ! 面白え! オレの超スピードで、仮面ごとぶっ飛ばしてやるぜ!」
タカシは、相変わらず自信満々だ。その単純さが、今は頼もしかった。
そして、準決勝の日。
闘技場は、これまでにない熱気と緊張感に包まれていた。誰もが、謎に包まれた無敗の騎士と、快進撃を続ける子供たちの対決に、固唾をのんでいる。
「――現れた! 準決勝の舞台に、子供たちの夢はまだ続くのか! チーム『デッキブレイカーズ』!」
アキラたちが姿を現すと、割れんばかりの大歓声が上がる。それはもう、嘲笑ではなく、純粋な期待の声援だった。
対するゲートから、静かに姿を現す、幻影騎士ゼロ。漆黒の鎧に、表情の一切を隠す仮面。その手には、飾り気のない、しかし、鋭い光を放つ一振りの長剣。彼は、ただそこに立っているだけで、周りの空気を凍てつかせるような、異様なプレッシャーを放っていた。
ゴーン!
試合開始のゴングが鳴る。
ゼロは、動かない。
アキラも、動かない。相手の出方を、じっとうかがう。
やがて、ゼロの体が、すっと、陽炎のように揺らめいた。
次の瞬間、三人の目の前に、信じられない光景が広がった。
「「「なっ…!?」」」
一人だったはずのゼロが、三人、五人、十人…と、数を増やしていく。あっという間に、何十人もの、全く同じ姿をした幻影騎士が、アキラたちを完全に取り囲んでいた。
(なんだ、これ…!? 盤面の情報量が、一気にバグった! どれが本物で、どれが幻だ!?)
アキラの脳が、初めて、明確なエラーを起こした。全ての幻影が、寸分違わぬ殺気を放っている。思考パターンを読むどころか、敵がどこにいるのかさえ、分からない。
「うおおお!」
混乱の中、タカシが一番近くにいた幻影に殴りかかる。だが、その拳は、まるで霧を殴ったかのように、空しく幻をすり抜けた。そして、その背後から、本物の一撃がタカシの腕を浅く切り裂いた。
「ぐっ!」
「タカシ!」
ヒトミが、慌てて防御壁を展開するが、四方八方から同時に攻撃され、障壁はたちまちひび割れていく。
まずい。完全に、相手のペースだ。こちらの連携も、タカシのパワーも、ヒトミの魔法も、狙うべき『本体』が分からなければ、意味がない。
「アキラ! 指示をくれ!」
「くそっ…!」
アキラは、必死で活路を探す。だが、どの幻影も、動きに一切の無駄がない。クセがない。読みようがない。
(これが、ゼロの戦い方…! 盤面そのものを、嘘の情報で埋め尽くして、相手の思考を停止させる!)
焦りと、敗北の予感が、アキラの心を支配しかける。
その時、アキラの脳裏に、書庫の『遺志』の言葉と、ローデリアでの敗北が、同時に蘇った。
(――『真実の盾は、あらゆる偽りを映し出す』)
(――オレは、一人で戦おうとして、負けたんだ)
そうだ。オレは、また自分の『目』と『頭』だけで、この盤面を読もうとしていた。
だが、目が、盤面が、嘘をつくのなら――。
「二人とも!」アキラが叫んだ。「オレを信じろ! 目を閉じろ!」
「はあ!? 何言ってんのよ、アキラ!」
「いいから、早く!」
それは、あまりにも無謀な、狂気の命令だった。だが、タカシとヒトミは、一瞬の迷いの後、アキラの言葉を信じて、ぎゅっと目を閉じた。
全ての防御を捨て、完全に無防備になる。
アキラもまた、目を閉じた。
視覚という、嘘をつく情報を、完全にシャットアウトする。
そして、全神経を、耳に集中させた。
ザッ…ザッ…ザッ…。
何十もの幻影が、砂を踏む音。
だが、その中に、たった一つだけ。ほんのわずかに、重い音がある。鎧の擦れる音。息を殺す、微かな呼吸音。
(――見つけた)
視覚情報に惑わされていた脳が、聴覚から得た、たった一つの『真実』を捉えた。
「タカシ!」アキラが叫ぶ。「目は開けるな! オレの声を信じろ! お前の、三時の方向、十歩先! そこに、全力で、殴れ!」
「――おうよ!」
タカシは、アキラの言葉だけを信じて、見えない敵に向かって、全身全霊のストレートを放った。
ゴッ!
鈍い、確かな手応え。
「ぐ…!?」
タカシの拳が当たった空間に、今まで見えなかった、本物の幻影騎士ゼロが、その姿を現した。彼は、驚愕の表情で、数歩よろめく。
その瞬間、周りにいた全ての幻影が、陽炎のように消え去った。
「今よ、ヒトミ!」
「ええ!」
好機を逃さず、ヒトミが目を開き、拘束の魔法を放つ。ゼロの足が、地面に縫い付けられる。
勝負は、決まった。
ゼロは、仮面の奥から、信じられないという目でアキラを見つめていた。そして、静かに、自らの剣を、砂の上に落とした。降参の合図だった。
闘技場は、一瞬の静寂の後、この日一番の大歓声に包まれた。
視覚を封じ、聴覚と、そして、仲間への絶対的な信頼だけで、最強の幻術を打ち破る。そんな戦い方、誰も見たことがなかった。
アキラは、大きく息をついた。
(『真実』は、目に見えるものだけじゃない…)
彼は、この戦いで、また一つ、新しい戦い方を学んでいた。
そして、彼は、闘技場のVIP席に座る、ゴライアス三兄弟を見上げた。
三人の巨漢は、もはや、驚きも、警戒も通り越し、その顔に、明らかな『恐怖』の色を浮かべていた。
決勝戦の相手は、決まった。




