第10話 新たなる盤面の、第一手
ザルダ帝国との戦争が終結して、一ヶ月が過ぎた。
ローデリア王国は、急速に平穏を取り戻しつつあった。しかし、平和な日常は、アキラにとってある意味、戦場よりも過酷なものだった。
「……わっかんねえ……」
『王国付き大軍師』の肩書と共に与えられた豪華な執務室で、アキラは山と積まれた羊皮紙の書類を前に、頭を抱えていた。兵糧の再分配計画、街道の復旧工事の予算案、兵士たちの新しい給与体系…。そのどれもが、カードゲームのルールブックより、遥かに複雑で、遥かに退屈だった。
「なあ、なんで防御壁の修理費が、攻撃部隊の装備費よりも高いんだよ…。コスト計算が合わねえだろ…」
そんなことをブツブツ言いながら、羽ペンをいじっている。その姿は、英雄というより、夏休みの宿題に追われる小学生そのものだった。
一方、その頃。
城の中庭では、『王国遊撃騎士団長』となったタカシが、部下となる騎士たちの閲兵を行っていた。
「よーし! 全員、声出せ! ファイトー!」
「「「…お、おー…」」」
タカシのあまりに体育会系な号令に、歴戦の騎士たちはどう反応していいか分からず、戸惑いの声を上げる。
「なんだ、声が小せぇぞ! オレがやるから、見てろ! チェストー!」
タカシはそう叫ぶと、素手で訓練用の巨大な岩を殴りつけ、粉々に砕いてみせた。その人間離れしたパワーに、騎士たちはもはや笑うこともできず、ただ顔を引きつらせていた。彼らの新しい上司は、いろんな意味で規格外だった。
そんな、どこか微笑ましくも奇妙な平穏を破ったのは、ヒトミだった。
「アキラー! 大変よ!」
ヒトミは、大軍師の執務室の扉をバン!と開け、息を切らしながら駆け込んできた。その手には、あの古びた文献『神々の遊戯盤』が握られている。
「どうしたんだよ、ヒトミ。そんなに慌てて」
「これよ、これ! この本、やっぱりただの言い伝えなんかじゃないわ!」
アキラと、噂を聞きつけてやって来たタカシ、そしてレオンが、ヒトミの周りに集まる。
「この一ヶ月、古代魔法を使って解読を試みたの。そしたら、驚くべきことが分かったわ。この本を書いたのは、人間じゃない。数千年前に、この世界で『プレイヤー』と戦い、敗れた『元・駒』よ」
「なんだって!?」
ヒトミは、文献のある一節を指差した。そこには、かすれた文字で、こう記されていた。
『我、敗れたり。されど、我らが集めし知識、我らが遺せし抵抗の意志は、次なる駒に託さん。世界の果て、忘れられし谷に眠る『叡智の書庫』にて、新たなるプレイヤーを待つ』
「叡智の書庫…」アキラが、ゴクリと唾を飲んだ。
「おそらく、神々と戦うための『攻略本』のようなものが、そこに隠されているはずよ。でも、場所を示す記述は、謎かけみたいになってて…」
ヒトミが悔しそうに言う。だが、アキラの目は、キラキラと輝いていた。
(忘れられた谷の、叡智の書庫…。まるで、隠しステージと伝説のアイテムじゃないか!)
退屈な書類仕事から、一気に解放されたゲーマーの魂が、奮い立つ。
「決まりだな!」アキラは、バン!と机を叩いて立ち上がった。「行こうぜ、その書庫ってやつに!」
「おう! なんかよく分かんねえけど、冒険の始まりだな!」タカシも、目を輝かせて拳を握る。
彼らは早速、王エドリアスに計画を打ち明けた。王は、今やアキラたちに全幅の信頼を寄せており、静かにうなずくと、旅に必要なだけの金貨と、最新の地図を授けてくれた。
出発の朝。城の正門には、旅支度を整えたアキラ、タカシ、ヒトミの三人が立っていた。
見送るのは、レオンただ一人だ。
「レオンさんも、一緒に行こうぜ!」タカシが誘う。
だが、レオンは静かに首を振った。
「私の役目は、この国を守ることだ。ザルダの残党も、いまだ国内でくすぶる貴族たちも、私が見張っておかねばならん。それに…」
レオンは、アキラの肩に力強く手を置いた。
「『リアルデッキシステム』の訓練も、ようやく軌道に乗ってきたところだ。君たちが『アウェイ』で戦っている間、俺たちはこの『ホーム』を、世界一の要塞にしてみせる」
「レオンさん…」
「行け、アキラ大軍師。君たちは、我々の『特殊攻略部隊』だ。この新しいゲームに勝つための、最高のカードを見つけてきてくれ」
レオンの言葉は、最高の激励だった。
三人は、力強くうなずき合うと、城に背を向け、まだ見ぬ世界へと続く道を見つめた。
アキラは、懐から地図を取り出し、ニヤリと笑った。その顔は、退屈な執務室にいた時とは別人のように、生き生きとしている。
「よし、チーム・ローデリア! 『神様攻略作戦』、最初のクエスト開始だ!」
朝日を浴びながら、三人の小さな英雄たちは、大きな世界へと、その第一歩を踏み出した。
彼らの本当の冒険が、今、始まる。




