第99話 蓮の出現と巫女の目覚め
突然、写真館の外から声が聞こえた。ドアをノックする音と、風見蓮の声。
「ルカさん!何があったんですか?」
チヨの姿が薄れ始めた。
「もう行かなきゃ。でも安心して、わたしはいつもあなたの中にいるわ」
「姉さん…」
「さようなら、ではなく、またね」
チヨの姿が完全に消え、鏡も元の状態に戻った。部屋には再びルカとクロミカゲだけが残された。ドアが開き、風見蓮が慌てた様子で入ってきた。
「大丈夫ですか?光と音が…」
彼の手には小さな測定器と、祖父の遺した古いノートがあった。空気が一瞬震え、蓮の周りで時間が緩やかに流れる感覚があった。蓮の周りに青みがかったオーラが広がり、科学と神秘の間で揺れる彼の心が映し出されていた。祖父の形見のノートを握る手に強い思いが宿っているのが見えた。
「あっ…」
蓮はルカの金色に変わった瞳を見て、言葉を失った。彼のオーラからは驚きと好奇心が波のように放射している。彼は「科学と神秘の間で揺れる心」を持っている—ルカはそれを直感的に理解した。
「これで準備は整った」
クロミカゲが言った。蓮には聞こえていないようだが、ルカにははっきりと聞こえる。
「何が起きたの? 私の目が…」
「お前は『影写りの巫女』として真に目覚めた」
クロミカゲの説明によれば、橋爪家の夢写師は代々「影写りの巫女」の血を引いているが、その力が完全に目覚めるのは稀だという。感情を抑制してきたルカは、その力の一部しか使えていなかった。しかし今、すべての感情と記憶を受け入れたことで、本来の力が目覚めたのだ。
「影向稲荷はチヨの封印の結界」クロミカゲが付け加えた。「そして今やお前の力の源となる」
蓮は黙って測定器を操作し、数値を確認していた。
「祖父の記録にあった…」彼は興奮した様子で古いノートをめくった。「『記憶の波動が人の目の色を変える現象』!祖父は『記憶の集団喪失』を研究する過程で、こういう変化を予言していたんです」
彼はルカに近づき、金色の瞳を観察した。その眼差しには恐れではなく、純粋な好奇心と尊敬の念が宿っている。青みがかったオーラが彼の周りを包み、純粋な探究心と知性を映し出していた。
「素晴らしい…科学では説明できない現象を、目の前で見ることができるなんて」
彼は震える手でノートを閉じ、眼鏡を直した。「祖父は科学で真実を測ろうとしたけれど…」と呟き、ルカのオーラに触れるように手を伸ばし、「僕はその向こう側を見ている」と感嘆の声を漏らした。その瞬間、ルカは蓮の記憶の一端に触れた気がした—幼い頃に祖父に連れられて星を見上げた夜、初めて気象観測器を手にした日の高揚感。それは彼女にとって新鮮な感覚だった。これが巫女としての新たな能力なのだろうか。
「これからはどうなるの?」
ルカはクロミカゲに尋ねた。
「お前の選んだ道次第だ」
クロミカゲは窓辺に向かい、朝日を浴びた。その姿が朝日に透かされ、半透明に見える。光の粒子が彼の周りで舞い、彼の言葉に呼応するように明滅した。
「だが、忘れるな。力には代償が伴う。『影写りの巫女』としての力を使えば使うほど、お前自身の記憶が危うくなる」
「でも…姉さんは私の中にいるんでしょう?」
「ああ。それがお前の錨となる。ルカの巫女の力で私のチヨの意識が安定する」
「つまり、私たちは互いに支え合っているのね」
ルカは微笑んだ。その笑顔は以前より柔らかく、感情に満ちていた。それは彼女が自分自身とついに和解し、両親から受け継いだ感情表現の豊かさを取り戻したことの証だった。しかし、彼女の中には新たな不安も生まれていた。金色の瞳によって見える世界は美しくも、時に恐ろしいものになるのではないかという予感が、彼女の心の片隅に残っていた。
蓮はルカの言葉を聞いて、首を傾げた。彼にはクロミカゲの姿も声も感じられないようだ。しかし、彼はノートに何かを書き留めていた。
「ルカさん、もしよければ、その変化について詳しく聞かせてください。祖父の研究を完成させるためにも…」
「ええ、もちろん」
ルカは微笑みながら答えた。蓮の周りに広がる淡い青色のオーラが、彼の純粋な好奇心と正直さを表しているのが見えた。彼の存在は、失われた10年間の記憶と引き換えに得た新たな絆の温かさを感じさせた。
「風見さんのおじいさまはどんな方だったんですか?」ルカは蓮の手元のノートを見ながら尋ねた。
蓮の表情が柔らかくなった。「祖父は天文物理学者でしたが、晩年は『記憶の科学』という独自の研究に没頭していました。宇宙の法則と人間の記憶の間に、共通の波動パターンがあると考えていたんです」彼はノートの一ページを開いた。そこには複雑な数式と星空の図が描かれていた。「祖父は星の光が届くまでの時間と、記憶が形成されるまでの過程に類似性を見出していました。彼は生涯、科学で測れないものを測ろうとした人でした」




