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第79話 写真館への帰還

真実は鏡のようなもの。向き合えば自分自身が映り、背を向ければ何も見えない。けれど、その存在は常にそこにある。


写真館に戻る道すがら、久遠木の町は暮れていくように静まり返っていた。街灯が一つ、また一つと灯り始め、人々は家路を急いでいる。何か予感めいたものが町全体を包んでいるようだった。この静けさはあの異変から始まったのだろうか—影写りの祭りの夜、写し世との境界が揺らいだあの時から。


「みんな、おかしいわね」


ルカが呟いた。確かに、町の人々の様子がいつもと違う。戸締りを念入りに確かめ、早々に店を閉め、誰もが何かから逃げるように急いでいる。風に乗って、遠くから子供の泣き声と母親の慰める声が微かに聞こえる。ルカはその声に、記憶の奥底で何かが震えるのを感じた。母の声だろうか。胸ポケットの懐中時計を握りしめると、チヨからの唯一の形見が普段よりも冷たく感じられた。


「写し世の影響かもしれません」


風見蓮が周囲を見回しながら言った。彼は薄いノートを取り出し、震える手で何かを書き留めている。


「祭りの記憶を失いつつも、何か不安な感覚だけが残っているのでは。祖父の記録にも似たような記述がありました。『意識は忘れても、身体は覚えている』と」


彼は小型の測定装置を取り出し、空気の状態を調べた。「驚くほど高い粒子濃度です。これは祖父が『記憶の残響時間』と呼んだ状態に一致します。写し世からの漏出が尋常でないレベルです」


クロは黙ったまま歩いていた。彼の姿勢にも、いつもより緊張感が感じられる。右目の紋様が月明かりに反応して、微かに青く輝いていた。その光が時折強まり、彼の仮面の下からは苦しげな吐息が漏れる。通りに面した窓ガラスに、一瞬、九つの尾を持つ狐の影が映った気がした。


「急ぎましょう」


三人は足早に写真館へと向かった。途中、植え込みの中から目が光るのを見て振り返ると、チクワが忍び足で後をついてきていた。


「チクワ? どうしてついてきたの?」


猫は返事をする代わりに、低く唸った。その金色の瞳は異様な光を放ち、写真館の方角を何度も見つめている。耳を澄ますと、チクワの喉から発せられる唸り声に、かすかな女性の囁きが重なっているように聞こえた。「時の狭間の入口が開いている」という言葉が風に乗って届いたような錯覚さえある。


「この子も何か感じているのね」


写真館に近づくと、チクワが先に走り出し、玄関で興奮した様子で鳴いた。


「どうしたの?」


猫は玄関から離れず、何かを訴えるように続けて鳴いている。その金色の瞳が月光に反射し、一瞬だけ青く輝いた。チクワのシルエットが月明かりで伸び、壁に映る影は大きな狐のように見えた。その尾が九つに分かれ、壁面を這うように動いている。チクワの震える体に触れると、冷たい時間の波紋が指先を走る感覚があった。


「誰か来たのかしら…」


写真館の中に入ると、客間の灯りが点いていた。ルカたちが出かける前には消していたはずだ。そして、そこには一人の老人が座っていた。


「静江さん!」


ルカは驚いて声を上げた。影向稲荷の老婆、静江がソファに座り、杖を膝に置いていた。彼女はルカたちの姿を見て、ゆっくりと頷いた。その表情には、長い間待ち望んでいたものを見る喜びと、重い決断を前にした厳粛さが混ざっていた。空気には香木の匂いが漂い、何か儀式めいた雰囲気を醸し出していた。


「帰ってきたか。すべての欠片を集めたようだな」


「はい…でも、なぜここに?」


「時が来たからさ」


静江はゆっくりと立ち上がった。年齢のわりに背筋は伸びていた。彼女の目には、若い頃の鋭さが戻っているようだった。振り返った瞬間、窓ガラスに映った彼女の姿は、若い巫女のようにも見えた。


「欠片を見せてごらん」


ルカはポケットから五つの欠片を取り出した。声の欠片、願いの欠片、時の欠片、光の欠片、そして影の欠片。青い結晶がそれぞれ、微かに輝きを放っている。欠片同士が近づくと、共鳴するように光が強まり、耳をすませば、時間の軋むような低い音が響いているのが聞こえた。欠片の光が照らす静江の顔に、巫女としての厳しさと慈愛が交錯している。


「よし。そして、これがあるはずだ」


静江はルカが胸ポケットに入れていた封筒を指さした。チヨからの手紙だ。


「あなたは…予言者ですか?」


蓮が驚いた様子で尋ねた。彼は眼鏡を直しながら、静江の一挙手一投足を観察していた。ノートにメモを取りながら、その手が微かに震えているのが見える。


「いいや」静江は首を振った。「ただの年寄りさ。長く生きていると、物事の流れが見えるようになる」


彼女は薄く笑い、蓮を見つめた。


「君の祖父もそうだった。目に見えないものを感じる力がね」


蓮は驚いたように目を見開いた。


「祖父と…?」


「風見柊介は真摯な科学者だった。写し世の研究に命を懸け、夕霧村の真実に迫った。彼は『記憶の波紋』が町を広がる様子を天候図に記録していた。だが、あまりに深く真実を求めすぎた」


静江の声は低く沈み、哀しみを帯びていた。


「彼は写し世の深淵に飲み込まれた。だが、君の旅で彼の真実も見つかるだろう」


蓮の目に決意の色が浮かぶ。彼は急いでバッグから古ぼけた測定器を取り出した。


「祖父の遺した『記憶振動計』です。これが今、激しく反応しています。まるで時間が渦を巻いているような数値を示しています」


彼がその装置を指さすと、針は振り切れんばかりに振れていた。「これは祖父が失踪した日の数値と同じです。彼は何を発見したのでしょうか...」


蓮の顔に決意の色が浮かび上がる。祖父の夢を見つめる瞳に強い光が宿った。

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