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第73話 地下空間の異変

重い鉄格子を開けると、そこには暗いトンネルが広がっていた。湿った空気と、かすかな腐敗臭が漂ってくる。ルカはその入口を見つめ、不安を感じた。そこには何か重い記憶が沈んでいるようだった。


「懐中電灯を用意してきました」


蓮はバッグから三つの懐中電灯を取り出した。それと共に、特殊な測定装置も準備する。


「これは『光の反転計』です。地下空間では光と影が逆転する可能性があるので、その変化を測定します」


「準備がいいわね」


「祖父の教えです。『山に登るときは雨具を、洞窟に入るときは光を』…そして『地下に潜るときは反転に備えよ』と」


三人はそれぞれ懐中電灯を手に、暗いトンネルに足を踏み入れた。入口から数十メートルは単なる通路だったが、空気が徐々に冷たくなり、その冷たさはルカの骨にまで浸透してくるようだった。足音が不気味に響き、そのエコーが通常よりも長く続いているように感じられた。まるで過去の誰かの足音と重なり合うかのように。やがて広い空間に出た。


「ここが…地下鉄駅のはずだった場所」


蓮の懐中電灯が、広いプラットフォームを照らし出した。建設途中で放棄されたその駅は、コンクリートの柱と、部分的に敷かれたレールだけが残されていた。ルカの懐中電灯の光が壁に届くと、そこに人影のようなシルエットが浮かび上がった。それは一瞬だけ見え、すぐに消えた。冷たい恐怖が彼女の心を一瞬だけかすめた。


「ずいぶん大きいのね」


「県の中心都市になる予定だった駅ですから」


蓮は装置を取り出し、周囲を調査し始めた。「驚くべき数値です…記憶の波動が地上の100倍以上…そして、光の反転が始まっています」


彼が指さす先を見ると、懐中電灯の光が壁に当たった場所で、影が光のように、光が影のように見える不思議な現象が起きていた。


三人はプラットフォームを歩いた。足音が不気味に響く。ルカには、その足音の残響が通常よりも長く続いているように感じられた。まるで過去の誰かの足音と重なり合うかのように。


「影の欠片は…どこにあるの?」


ルカがクロに尋ねた。


「この先だ。線路に沿って進め」


クロが先導し、他の二人がそれに続いた。彼はまるでこの場所に見覚えがあるかのように、迷いなく進んでいた。その右目の紋様が弱く青く輝き、道を照らすように見えた。


彼らは未完成のレールに沿って歩き始めた。トンネルの奥へと続く、暗い道。壁には亀裂が入り、天井からは水が滴っている。しかし、その水滴が落ちる様子はどこか不自然だった。ルカがよく見ると、それは通常よりもゆっくりと落下しているように見えた。まるで地下の時の狭間が記憶を閉じ込めているかのように。


「気をつけて」


クロが警告した。


「この場所は…記憶が強い」


「どういう意味?」


「ここで起きた事故の記憶だ。意識の海に沈んだままになっている」


クロの言葉には重みがあった。彼は何か思い出すように、一瞬立ち止まった。


「記憶の強さは…時に人を狂わせる」


彼はそっと自分の面に触れた。その仕草には、何か痛々しいものがあった。クロの思考がどこか遠くにさまよっているようで、右目の紋様が瞬くように明滅した。その瞳の奥で、何かとの格闘があるようだった。右手が微かに震え、面の下から女性的な吐息が漏れた。


蓮は懐中電灯で壁を照らした。そこには古い落書きや、工事中止を示す標識があった。しかし、その向こうに、別の痕跡が見える。人影のような、不自然な形の染みだ。蓮は手を伸ばし、壁に触れようとした。


「やめろ!」


クロの声が響き、蓮は手を引っ込めた。


「直接触れるな。反応が起きる」


「これは…」


「影だ」


クロが言った。


「死者の影」


蓮は思わず後ずさった。装置が激しく反応し、警告音を発し始めた。


「死者?」


「この工事現場で起きた事故の犠牲者たち。彼らの記憶が、壁に焼き付いている」


「祖父の記録にも、この事故についての記述がありました」蓮は震える声で言った。「『影に閉じ込められた魂』…科学では説明できない現象として」


三人は沈黙しながら先に進んだ。トンネルは次第に下り坂になり、さらに深く地下へと続いていく。途中、工事用の機材や、古い工具が散乱していた。すべてが急いで放棄されたかのようだ。一瞬、ルカには人々が慌てて逃げる幻影が見えた気がした。


静かな空間に、時折低い唸り声のような音が響く。それは工事現場の機械の残響なのか、苦しんだ人々の記憶なのか判然としない。金属が伸縮するような軋みと、誰かの息遣いが重なって聞こえる。蓮は科学者らしく、小さなメモリングデバイスを取り出し、音を記録しようとした。


「これは記憶の音波です…周波数分析をすれば、何かわかるかもしれません」


彼は装置を調整し、データを記録し始めた。


段々と壁の影はより明確になり、蠢くように動き始めた。ルカの懐中電灯の光が作る影が、彼女の意思とは関係なく動き、壁一面に広がる。一瞬、チヨの横顔のような形になり、次の瞬間には見知らぬ男の顔のようにも見えた。


「影が…意思を持っている」


ルカは声を震わせた。


「記憶は時に、自らの意思を持つ」


クロが低い声で答えた。


「特に強い感情を伴う記憶は」


蓮は科学者らしく、冷静に状況を観察しようとしていた。彼はノートを取り出し、見えたものをスケッチしようとしたが、描いた線がページから消えていくのを見て、あきらめた。


「ここでも…記録が消える」


「自然の法則だ」クロが言った。「科学と写し世のせめぎあい、だな」


「でも祖父は…残せたはずです」蓮は呟いた。彼は懐中時計を握りしめ、「何か解決策があるはず」と小さく付け加えた。彼の目には、科学の限界と神秘への渇望が交錯していた。

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