第70話 祭りの翌日
影は光の裏返し。
存在の証明であり、忘却の象徴。
地下に潜むものは、地上が隠したくて捨てた記憶。
祭りの翌日、久遠木の町には奇妙な静けさが漂っていた。普段なら、影写りの祭りの後は活気に満ちた後片付けが行われるのだが、今日は違った。人々は小声で話し、時折不安げな視線を交わしている。昨夜の異変は、町全体に強い印象を残したようだ。
「みんな、あの光を見たのね」
ルカは写真館の窓から町を眺めながら呟いた。懐中時計を手のひらで転がしながら、昨夜の写真で見たチヨの笑顔を思い出す。姉が残した唯一の形見であるこの時計は、いつも彼女の胸ポケットに収まっていた。朝食のテーブルには三人が座っていた。風見蓮はノートに何かを書き留めている。彼は昨夜から、祭りの出来事について熱心にメモを取っていた。
「驚くべき現象でした」
蓮は筆記を止めず言った。手元には彼の祖父の『記憶波動計』が置かれ、針はまだ微かに振れている。
「あの光の正体は何だったんでしょう? 写し世の漏出? それとも…」
彼は懐中時計を開き、確認した。「祖父の理論では『記憶の共鳴臨界点』と呼ばれる現象です。空間に蓄積された感情と記憶が一気に解放される瞬間…ただ、それがここまで大規模になるとは」
「境界の揺らぎだ」
クロが静かに答えた。彼は朝からほとんど無言だったが、時折窓の外を警戒するように見ていた。右目の紋様は昨夜よりも落ち着き、青い光は微かになっていた。チクワは彼の足元を警戒するように歩き、時折低く唸った。猫の金色の瞳が鋭く光り、背中の白い毛が微かに青みを帯びている。
「祭りの光景は忘れる。必ず」
「なぜ?」
「それが秘匿の法則だ。写し世を見た者は、通常数日以内にその記憶を失う。保護のためにね」
クロの言葉は冷ややかだったが、その声には微かな疲労が滲んでいた。右手が時折震え、面の下からは女性的な吐息が漏れる。昨夜の儀式が彼の存在にも影響を与えたのだろうか。
蓮はペンを置き、真剣な表情でクロを見た。
「僕は…忘れたくありません。研究のために、すべてを記録しておきたい」
彼は小型の装置を取り出した。「これは祖父の発明です。『記憶定着装置』と呼ばれています。写し世の波動を固定化することで、記憶の消失を防ぐ可能性があると…ただ、まだ実験段階ですが」
クロは冷ややかに言った。
「無理だ。人間の脳は、自然の法則に従う」
「でも、あなたは…」
「私は人間ではない」
その言葉に、部屋に沈黙が落ちた。クロは自分の言葉に驚いたように、面を少し触った。一瞬、その下から苦悩の表情が覗いたような気がした。「チヨの封印の夜に俺が失敗した」と彼は小さく呟いた。ルカは二人の間に視線を走らせた。




