第6話 空白の家族写真
月が欠け、霧が町に満ちていく。久遠木の空気が、静かに色を失い始める夜——写し世と現世、その境目が最も曖昧になる時間帯だった。
満月から三日が過ぎ、ハシヅメ写真館の窓から漏れる灯りが、通りに淡い黄色の帯を描く。その光の中に、一人の男の影が揺れていた。
「橋爪さん、この写真のことで相談があって...」
河内俊介は四十代半ばの中学教師だった。神経質そうな細面に、端正な眼鏡が似合っている。両手で差し出された古びたアルバムには、埃を払った跡が残っていた。指先が微かに震えていた。
「ええ、どんな写真ですか?」
ルカは感情を映さない表情のまま、茶を一杯差し出した。湯気が客間に広がる。古い柱時計が七時を告げる音が、空間に重みを加える。窓の外では、夕霧が夜の帳に変わりつつあった。遠くから時間の軋むような音がかすかに届き、ルカの耳を震わせた。胸ポケットの懐中時計が微かに脈打つような感覚がある。
「祖父の遺品を整理していて見つけたんです。この家族写真なんですが...」
河内は恐る恐るアルバムを開いた。黄ばんだ台紙に貼られた古いモノクロ写真。昭和三十年代、家族四人の記念写真。笑顔の両親と子供二人。時間が凍り付いたような一瞬が、そこに閉じ込められていた。かつての写真師がアルブミン紙に焼き付けた記憶。
「右側の少年が祖父で、その隣が叔父のはずなんですが...」
彼は写真を指差した。確かに右側の少年の横には、もう一人分の空間があるのに、そこには誰も写っていなかった。しかし家族の腕の位置や笑顔の向きを見ると、明らかに誰かを抱き寄せているようだった。そこだけが不自然に霞んでいる。
「家系図には確かに叔父の名前があるのに、どの写真にも映っていないんです。家族の記憶からも...消えているようで」
空白を見つめるルカの灰銀の瞳に、一瞬だけ柔らかさが浮かんだ。これは単なる写真の不備ではない。写し世からの消去、記憶の欠落だ。