第52話 さらなるルカの代償
蓮はガラスケースを開け、慎重に青い結晶を取り出した。結晶は手のひらに乗せられると、より鮮やかに脈動し始めた。
「祖父はノートにこう書いています。『時の欠片は予知と選択の記憶を司る。触れる者に未来の断片を見せるが、代わりに最も重要な選択の記憶を奪う』」
蓮は結晶をルカに差し出した。
「祖父はこれをあなたに託すつもりだったのかもしれない。だから、観測所に保管し続けたんでしょう」
ルカは躊躇した。すでに二つの記憶を失っている。これ以上、大切な記憶を失うことへの恐れがあった。だが、チヨを救うためには必要な犠牲だと分かっていた。
「重要な選択の記憶…」
ルカは欠片を手に取った。その瞬間、冷たさと温かさが同時に彼女の体を走った。頭の中に光の流れが見え始め、過去と未来の断片が万華鏡のように交錯する。チヨが笑うところ、クロが面を外すところ、見知らぬ廃墟で何かを見つけるところ…そして光の教会?
頭に鋭い痛みが走り、彼女は膝をつきそうになった。何かが引き抜かれていく感覚。誰かと約束をした記憶、重要な決断をした瞬間が、砂時計の砂のように流れ落ちていく。
「チヨの…最後の夢…」
ルカの脳裏に、一瞬だけ光の残像が差し込んだ。それは、祭壇の上で横たわる少女の姿。白い着物を着た少女が、満月の下で微笑み、何かを夢見ている。その口元が動き、言葉を紡ぐ。「ルカ、わたしの選んだ道を…」
画像が霧のように薄れ、消えていく。痛みを伴いながら。
「姉が見た…最期の夢の記憶…」
ルカは震える声で言った。「封印の夜、チヨが最後に見た夢の内容。それが消えていく…」
彼女は床に膝をつき、頭を抱えた。欠片が冷たい光を放ち、時計の針が微かに動き始めた。部屋の空気が揺れ、時間の歪みが広がっていく。
蓮は驚いた表情でルカを見つめていた。彼の顔には恐れより、科学者としての純粋な驚きと、人間としての同情が混ざっていた。
「記憶の代償…」彼は小さく呟いた。「祖父のノートに書かれていた通りだ」
クロがルカに近づき、肩に手を置いた。その手は冷たかったが、同時に支えるような強さもあった。
「大丈夫か?」
「ええ…少し、めまいがするだけ」
ルカは立ち上がろうとしたが、足がふらついた。クロが彼女を支え、蓮も心配そうに近寄ってきた。
「休んだ方がいい。私の記録では、欠片の影響は徐々に和らぐはずだ」
蓮の言葉に、クロは驚いたような視線を向けた。
「風見柊介の孫は、やはり特別だな」
「祖父の記録を研究してきただけです」蓮は照れたように言った。「科学と神秘の境界を探る。それが私の使命です」
クロはしばらく蓮を見つめた後、頷いた。
「協力してくれないか」
「え?」
「写し世と欠片の研究に。そして…夕霧村の記憶を取り戻すために」
クロの提案に、蓮の目が輝いた。その瞳にはチヨに似た純粋さと、知性の光が宿っていた。
「もちろんです。祖父の遺志を継ぐためにも」
彼の返事は迷いのないものだった。科学的探究心と、神秘を理解したいという純粋な願いが、彼の決断を支えているようだった。




