第49話 七時四十二分の謎
観測室全体からは、科学と神秘の奇妙な融合が感じられた。精密な計器と手書きのメモ、数値データと詩的な気象描写。風見柊介は明らかに、合理的な科学者であると同時に、見えない世界を感じ取る直感の持ち主でもあったのだろう。
老朽化した机の上には、写真立てがあった。埃をかぶり、ガラスが割れているが、写真は健在だった。そこには蓮の祖父と、小さな男の子—おそらく幼い蓮—そして女性が写っている。女性の顔は光の反射で見えなかったが、白い小袖のような衣装を着ているようだ。
ルカは壁の計器を見て回った。気圧計、湿度計、風向計…すべて古く、機能していないように見える。金属の表面には錆が浮き、ガラス部分には埃が厚く積もっていた。だが一つだけ、針が動いている時計があった。どこかで聞こえる心音のように、秒針だけが微かに脈打っていた。
「この時計…」
「あぁ、それは祖父の自慢でした」
蓮が近づいてきた。彼の顔に興奮の色が浮かぶ。埃をかぶった古い時計にも関わらず、その針だけは生き続けていた。
「特殊な機構で、湿度と気圧の変化に応じて針の動きが変わるんです。普通の時計ではない」
ルカは時計を見つめた。その針は正確に七時四十二分を指している。胸ポケットの懐中時計と同じ時刻。偶然ではないことは明らかだった。時計の文字盤には霧を表す波打つ模様が刻まれ、その上を針が微かに震えながら進んでいた。
「七時四十二分…」
「そうです、正確にそうです」蓮の声が驚きに満ちる。「祖父がよく言っていました。"七時四十二分に霧が最も濃くなる"とね」
ルカとクロは顔を見合わせた。これは偶然ではない。クロの右目の紋様が強く脈打ち、その青い光が時計の文字盤に反射した。時計の周囲の空気が微かに震え、時間の波紋が広がるように見えた。
「その時間に…何が起きるの?」
「祖父によれば、写し世との境界が最も薄くなるんだそうです」
蓮の言葉に、ルカは息を呑んだ。彼が「写し世」という言葉を知っているとは。しかも、それを自然に口にした。ルカの目が大きく見開かれ、クロも明らかに緊張した様子だった。
「写し世…?」
「ええ、"記憶の世界"とも呼んでいました。祖父は科学者でしたが、同時に…独特の感性を持っていたんです」
蓮は祖父のノートを取り出し、ページをめくった。そこには細かい字で書かれた観測記録と、奇妙な図表が並んでいた。数値データの横には、詩的な文章や神秘的な記号が書き込まれている。科学と神秘が、奇妙な調和を保ちながら共存していた。
「祖父の記録によれば、霧の濃度は記憶の波動と比例関係にあり、特定の条件下では現実と記憶の境界が溶ける」蓮はノートの一節を読み上げた。「彼の理論では気圧変動と集合的無意識が共振し、そのピークが七時四十二分に訪れる」
ルカは蓮のノートを覗き込んだ。そこには天気図と共に、複雑な幾何学模様が描かれていた。中心部分には「記憶の結節点」という言葉があり、霧梁県の地図上に複数のマークが付けられていた。その一つが霧見気象観測所だった。
「何かの暗号のようね」
「そうなんです。祖父は科学と、見えない世界の橋渡しをしようとしていました」蓮の声には尊敬の念が滲んでいた。「私もそれを継ごうとしています。見えないからこそ、測定し、理解したい」




