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第41話 遊園地の再生

空が暗くなり、月の光が強まってきた。メリーゴーランド全体が、月の光を浴びて微かに輝き始めている。木馬たちの目が、一斉に月の方を向いたような錯覚がした。


「もうすぐだ」


田村は工具箱から小さなオイル缶を取り出し、星模様の木馬の関節部分に油をさした。その動作には、長年の習慣が感じられた。


「準備はいいかい?」


その言葉と同時に、遊園地全体に変化が起き始めた。月の光を反射して、錆びた金属が新品のように輝き始める。朽ちた木材が元の色を取り戻し、壊れた電球が一つずつ灯り始めた。


「なんて…」


ルカは息を呑んだ。廃墟だったはずの遊園地が、光と色を取り戻していく。それは現実の変化ではなく、写し世の記憶が重なっているのだろう。だが、ここまで鮮明なのは初めての体験だった。


クロの説明が脳裏に浮かんだ。「写し世の力が強い場所では、記憶が物理的に干渉することもある」。この場所では、過去の記憶が現在に重なり、一時的に物質的な変化をも引き起こしていた。その変化は、チヨの声が聞こえたり、河内佐助の妻の顔が写り込むのとは異なる次元の現象だった。だが、太陽が昇れば、すべては元の姿に戻るだろう。物質的な干渉は夜明けまでという限界があるのだ。


周囲の空気がざわめき、かすかな笑い声が聞こえ始めた。子どもたちの声だ。透明な姿が、遊園地の中を走り回り始めている。彼らの足は地面に触れず、風のように宙を舞っていた。一人の少女が通り過ぎる際、ルカの体に触れた。その瞬間、体が一瞬軽くなる感覚があり、鳥肌が立った。写し世の干渉が肉体にも及ぶことを実感した。


時間の軋むような低い音が遠くから響き、ルカの耳を震わせた。それは過去と現在が混ざり合う音、記憶の層が重なる音だった。


「月影遊園地へようこそ」


田村の声が変わった。若々しく、活気に満ちている。振り返ると、彼の姿も変わっていた。作業着姿の老人ではなく、制服を着た若い技術者の姿になっている。


「これが…写し世?」


「いいや、これは『時の狭間』だ」


クロが言った。「過去と現在が重なる特殊な時間。本当の写し世よりも実体に近い。しかし、月の力に依存し、夜明けと共に消える。それが写し世と現世の境界の違いだ」


彼の声には、どこか畏敬の念が混じっていた。右目の紋様が強く脈打ち、その光が遊園地全体に広がる青い光と共鳴しているかのようだった。


メリーゴーランドが動き出した。音楽が流れ、木馬たちがゆっくりと上下に動き始める。「星の世界へ」という古い歌が、どこからともなく流れてくる。廃墟だったはずの遊園地は、今や活気に満ちていた。


空気には甘い香りが漂い、かつての祭りの匂い、子どもたちの笑い声と興奮した叫び声が混ざり合う。ルカの肌にも風が触れ、それはどこか温かかった。時の狭間の風は、記憶を運ぶ風だった。


観覧車も動き始め、ゴンドラが月に向かって上昇した。その車輪から、かつての乗客たちの願いを映す光の輪が広がった。様々な色の光が夜空に向かって伸び、星々と混ざり合うように見えた。


しかし、その明るさの中にも、どこか切なさが漂っている。子どもたちの表情には、喜びと共に、どこか物悲しさがあった。彼らは永遠に、この瞬間を生きているのだ。


「さあ、乗るがいい」


田村が星模様の木馬を指さした。彼の姿は若返り、目には未来への期待と希望が輝いていた。だが同時に、何か知っているかのような悲しみも宿していた。


「これに乗れば、願いの欠片を手に入れられる。だが…」


「代償を払うのですね」


「ああ。すべての願いには代償がある」


ルカは星模様の木馬に近づいた。月の光を浴びて、木馬の体が青く光っている。その目は生きているかのように、ルカを見つめていた。木馬の表面には星の彫刻が刻まれ、その刻線に沿って青い光が流れるように輝いていた。近づくと、優しい体温のような温かさが伝わってきた。


「クロ、あなたは?」


「私は…別の馬に乗ろう」


クロは星模様の木馬の隣の、黒い木馬を選んだ。その表情には緊張と期待が混じっていた。彼の右目の紋様が不安定に明滅し、何か重大な決断を迫られているかのようだった。


「チヨがかつてその馬に乗った記憶に惹かれた」クロがほとんど聞こえないほどの小さな声で呟いた。その声に混じる痛みにルカは驚いたが、今はそれを追及する時ではなかった。


クロの目が一瞬、彼方を見つめた。まるで十年前の夏の日、この場所で誰かを見送ったかのように。彼の右目の紋様が強く脈打ち、面の下から一筋の涙が伝うのをルカは見た気がした。


「チヨは…この場所に来たことがあるの?」


「ああ」クロの声は懐かしさに震えていた。「彼女はこの黒い馬に乗り、星の馬の少女に手を振った。二人は友だちだったんだ」


その言葉に、ルカの胸に何かが灯った。チヨとカナ。二人は友達だったのか。しかし記憶の中に、そんな少女の面影はない。チヨが誰かと親しくしていた光景を思い出せなかった。


「準備はいいか?」


田村がスイッチを入れ、メリーゴーランドが回転を始めた。音楽がより大きく、より鮮明に聞こえる。まるで過去への扉が開いたかのように。


ルカは木馬に掴まりながら、目を閉じた。周囲の音が遠くなり、心の中だけに意識が集中していく。木馬の律動的な上下運動が、古い記憶を呼び覚ますように思えた。


「願い…」


彼女の心に浮かんだのは、チヨの笑顔だった。桜の花びらが舞う中、優しく微笑む姉。「ルカ、大丈夫。私がいるから」と言って、小さな手を握る温かさ。


「——姉に、もう一度、触れたい。名前を呼びたい。忘れてしまう前に、手のぬくもりを、この胸に焼きつけたい」


ルカの願いが心に浮かんだ瞬間、星模様の木馬の目が淡く瞬いた。月光が円を描き、空間が静止する。その光の中で、チヨの姿が一瞬現れた。白い小袖に緋の袴、微笑む姉の姿。彼女は静かに近づき、ルカの頬に触れた。その温もりが心に染み渡る。同時に、声がほんの一瞬だけ、耳の奥に届いた気がした——「ルカ、わたしはいつもそばにいるよ」。


その声に心が震え、ルカの目から涙がこぼれた。あまりにも懐かしく、あまりにも痛ましい声。彼女はもっと聞きたいと願ったが、チヨの姿も声も消えてしまった。

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